第三十四話 ララディの怒り
「はあ……はあ……」
ユウトが荒い息をしながら、聖剣を杖代わりにするというなかなか罰当たりなことをする。
「(……なるほど、勇者は聖剣を完全には使いこなしていないですね)」
そんな彼を見て、ララディはもう力尽きたのかと驚く。
もう少し『できる』かと思っていたが、そうでもないらしい。
現在のユウトでは、聖剣の力を出すのは一度きりしかできない。
そのことを、次の定例会議で報告しなければならないと考えるララディであった。
「はぁ……倒せたの……?」
マホもまた、ユウトほどではないが疲れを顔に出していた。
何度も強力な魔法である『アース・ニードル』を使ったものだから、魔力の大部分を喪失している。
「(はぁ……こいつもまだまだですね。残念乳デカお嬢様や、中二病ビビりとは比べものにならないです。……使える奴だったら、けしかけてギルドメンバーを襲わせたんですが……)」
心の中でなら、何を思っていても無罪なのである。
ララディの場合はたまに口にしてしまうことがあるので、注意が必要だが。
「はあ……ちょっと疲れたわ……」
「おい、マスターにもたれかかるなです」
マホが甘えるようにマスターにもたれかかれば、目を吊り上げたララディが彼女を見下ろす。
おそらく、ここにマスターがいなければマホは殺されていただろう。
それくらい、ララディはイライラしている。
「ふふ……。オーガを倒して気が抜けたんだよ。ちょっと、許してあげてほしいな」
「はあ?」
ユウトがニコッとイケメンスマイルを見せながらララディに言うが、キツイ返事が戻ってくる。
最早、ララディに素を隠すということはする気がなかった。
隠しているのは、ギルドのことだけである。
「何言っているですか、お前?」
「え、いや……だから」
ララディにじっと見つめられ、ユウトは少し身体を引く。
彼女が本当に何を言っているかわからないといった顔をしていたからだ。
そんなにマスターが好きなのかと思い、苦笑と共に少し怖くなるユウト。
だが、確かにララディのマスターへの愛は理解できないほど深いものだが、今回に限って言えば別の意味も含まれていた。
何も理解していない様子のユウトに、仕方ないとため息を吐きながら教えてやる。
「―――――オーガが、あの程度の攻撃で死ぬわけないのですよ」
ララディはユウトの後ろ、オーガが立っていた場所を見て言う。
そこには、聖剣の力で倒されたオーガがいるはずだった。
しかし……。
「そ、そんな……」
ユウトが目を剥き、口をパクパクと小さく開閉させる。
信じられないと考えていることが伝わってくるように、呆然と呟く。
そして、それは同じ勇者パーティーであるマホもまた、口にはしないだけで同じ気持ちだった。
もし、隣にマスターがいなければ、大声で現実逃避する意味のなさない言葉を叫んでいたかもしれない。
「ガァァァァァァァァァァァァッ!!」
土煙を晴らしてしまうほどの、とてつもない声量で叫ぶ。
オーガは健在であった。
聖剣による強烈な光の斬撃を受けても、未だ太い両脚でしっかりと大地を踏みしめていた。
だが、硬い皮膚とタフな体力を持つオーガでも、聖剣が相手では無傷というわけにはいかなかった。
頭から一筋の血を流しているし、息も荒くなっている。
しかし、『それだけであった』。
「(まあ、今の勇者ではこれくらいが限界ですね)」
現在、いつもニコニコのマスターを除けば、平常心を保っていられているのはララディだけだった。
心の中で、相変わらず辛辣なことを考えている。口にしないだけマシである。
ララディは、ユウトの攻撃がオーガを倒せないことを予想していた。
それは、『勇者担当』として今まで嫌々ながらも彼らを観察していたことから分かることだった。
彼女にとっては、昨日が初めて会って会話したのだが、観察していたのはそのずっと前からだ。
『王国担当』のリッターから報告を受けてから、ずっと勇者パーティーの監視は続いている。
そんな彼女が分析すると、ユウトたちがオーガを倒せないことは明白であった。
そもそも、ユウトたちの実力がまったくオーガに届いていなかった。
魔物の中でも上位の強さとタフさを誇るオーガでは、まだ異世界にきて半年も経っていない勇者パーティーが勝てるはずもない。
では、何故魔王軍幹部であるドスを追い払うことができたのかというと、それは『魔王軍担当』のクーリンが彼に対する嫌がらせを隠れて行っていたからである。
闇ギルド『救世の軍勢』はどこにでも現れるのである。
そして、最も重要なことは聖剣である。
聖剣は魔の力を持つ者には一撃必殺クラスの絶大なダメージを与えることができるが、それ以外の者には強力な武器程度でしかないのである。
これが、ドスを撃退できてオーガを倒せない理由である。
オーガは魔物といえども、魔の力はそれほど多く持っていないからだ。
さらに、聖剣は使用者の力と共に、その力を増していく。
今のユウトの力では、これぐらいが関の山であった。
「ふわぁ……」
そのことを完璧に理解していたララディであったが、ユウトたちには伝えていなかった。どうでもいいからである。
「ゴァァァァァァァァァッ!!」
「がはっ!?」
怒りの雄叫びを上げたオーガは、聖剣の斬撃をも耐え抜いて残っていた少ない土の棘を粉々に破壊し、愚かにも刃向ってきたユウトに襲い掛かる。
こん棒の薙ぎ払いを、身をかがめて避けたユウトであったが、続くオーガの蹴りを躱すことはできなかった。
内臓がぐちゃぐちゃになったと錯覚してしまうほどの衝撃を受けて、ユウトは口から血を吐く。
「ガァァ……!」
「うあ……」
ユウトを倒したオーガが次に目を向けたのは、自分を土で動けなくしたマホであった。
マホさえいなければ、オーガは聖剣の斬撃を驚異的な脚力であっさりと避けることに成功し、今のように血を流すことなんてなかっただろう。
オーガは決して知能の高い魔物ではないため、その分単純な感情―――怒りを強く彼女に向けていた。
真っ赤に血走った目に囚われて、まるで蛇に睨まれている蛙のように動けなくなってしまう。
そんな彼女を庇うように立ちふさがったのは、マスターであった。
「な、何しているのよ!危ないから下がりなさい!わ、私なら大丈夫だから……っ!」
そうマスターに言うが、言葉と反してマホの脚は小さく震えていた。
それを知ってか知らずか、マスターは優しく微笑んでマホを見下ろした。
「マスター……」
「ゴァァァァァァァァァァァァァッ!!」
マホの呟く声をかき消すように、オーガが吠える。
オーガはユウトやマホへの怒りで忘れていたが、彼の微笑みを見てマスターのことを思い出す。
こん棒で打ち落とすより、避けなければならないと本能が教えてくるほどの、危険な魔力の塊を撃ち出してくる獲物だ。
力が尽きた様子のユウトやマホは後回しだ。
今、最も危険度が高いマスターを先に狙うことに決めたオーガ。
だが、ここには勇者パーティーに対するものであればどうとも思わないし行動しないが、マスターに対する敵意には過剰に反応する者がいたことを、オーガは知らなかった。
「―――――お前、何調子に乗っているですか?」
「ッ!?」
オーガはマスターから―――正確には、彼にしがみついているいかにも弱そうな少女から発せられる強烈な怒気と殺気を感じ取った。
その濃密な気は、今まで多くの闘争に勝ち抜いてきたオーガも感じたことがないほどであった。
ララディは目をビゴーンッと光らせながら、口を開く。
「別に、勇者パーティー相手なら好き勝手すればいいです。ララは感知しないです。でも、マスターは別だろうが……です」
怒りのあまり、口調が変わりかけて慌てて取り繕うララディ。
優しいマスターなら自分を受け入れてくれると確信しているが、やはりララディからすると綺麗なところだけを見てもらいたい。
「マスター。勇者たちはダメダメですし、ララがやってもいいですか?」
オーガに向けたドスの利いた声と違い、甘えた可愛い声でマスターに許可を請う。
マスターは悩む様子を見せていたが、ユウトとマホの様子を観察する。
「マスター……?」
ユウトはオーガから受けたダメージが大きく、まだ立ち上がることができないようだ。
マホは雰囲気が少し変化したマスターを、不安げに見上げている。
そんな彼らを見て、マスターはニコニコとしたままララディに向かって頷いたのであった。
戦う許可を得て、ララディはニヤリと笑う。
これは、マスターに刃向ったものを彼の手足として処分できる喜びからくる笑顔である。
しがみついていたマスターの背から滑り降り、細い脚で大地に立つ。
「だ、大丈夫なの?ララディって、私よりも年下なのに……」
「失礼ですね、お前。心配されなくても、お前よりは戦えるです。あと、年上ですよ、ガキンチョ」
マホは強大な魔力を持つと知っているマスターならともかく、小さな女の子であるララディが戦うなんて信じられなかった。
それも、自分たちが手も足も出なかったオーガを相手にするなんて、自殺行為以外に考えられない。
見た目的にララディが年下であると勝手に思い込んでいたマホは、ララディが年上だということに異世界に召喚された時並の衝撃を味わっていた。
そんな彼女を見て、ララディはふんと鼻息を荒く噴き出す。
自分の力をしっかりと認識していて自負もある彼女は、マホ程度の魔法使いに心配されても鬱陶しいだけである。
「ガァァァァァァァァァァァッ!!」
オーガの方向は、もちろん威嚇のためでもあったが、こんな小さな子供に一瞬でも畏怖した弱気な自分を鼓舞するためのものでもあった。
だが……。
「うるさいですよ」
「ゴァッ!?」
地中から突然現れた異常なまでに太くて長い鞭のようなものに殴りつけられ、オーガはその巨体を吹き飛ばされる。
だが、硬い身体を持つオーガはすぐに起き上がり、自分を攻撃してきた鞭を睨みつける。
「しょ、植物……?」
話せないオーガの代わりに呟いたのは、マホだった。
巨大な植物の蔓がオーガを殴りつけたのを、呆然として見ていた。
それは、にゅるにゅると不規則に蠢きながら攻撃指示が下るのを待っている。
「むむっ、流石に硬いですね。あまりダメージもなさそうです」
マホならこれほどの植物を召喚して使役するとなると、一気に魔力が尽きてしまってもおかしくない。
そんな魔法を使っても、平然とした様子のララディ。
彼女を見て、底が知れないとマホはごくりと唾液を飲み下すのであった。




