第百六十九話 マスターのもの
シュヴァルトはふてくされていた。
せっかく、面倒ではあるが奴隷商人からエルフの子供たちを助けてやったというのに、得られたのはまさかの悲鳴と涙。
精一杯、笑みまで浮かべていたというのに、子供たちはそれを仇で返してきやがったのである。
流石に、シュヴァルトもムカついたからといって子供たちを斬殺するなんていうことはないが、不快であることに変わりはない。
それに、マスターに子供たちがしがみついているのを見ているのも腹立たしい。
というわけで、シュヴァルトは奴隷商人の馬車をあさっていた。
子供にも嫉妬するのはどうなのかとか言ってはいけない。
「ほう……。あのブタ、結構貯めこんでいたようですね」
馬車の奥を調べていると、奴隷商売で得た金が転がっていた。
それを、収容量が不明な摩訶不思議なスカートの中にしまっていく。
『救世の軍勢』は闇ギルド。倒した相手から金銭をかすめ取るのは、グレーギルドでもするようなことだ。取らないはずもなかった。
それに、この馬車に積んである金が、奴隷商人の全財産というわけでもないだろう。
全財産をかすめ取るわけではないからセーフといういまいちわからない理論で以て、ひょいひょいと回収していく。
「なんだ。エルフ以外にもいたんですね。ほら、さっさと行ってください」
鎖につながれている子供以外の奴隷を見つけると、その鎖を断ち切ってしっしっと手を払う。
『救世の軍勢』に奴隷は必要ない。構成員がマスターの奴隷みたいなものだし。
まあ、吸血鬼であるヴァンピールを筆頭に、人間を糧にするようなメンバーもいないことはないのだが、彼女たちのためにわざわざ奴隷をギルド本部に持って行ってやることもない。
面倒だし。というか、自分とマスター以外は、基本的に嫌いだし。
それに、奴隷たちを近くの街まで連れて行ってやることもしなかった。
そもそも、そこまでしてやる義理はない。
奴隷から解放してやっただけ、ありがたく思ってほしい。
「……別に、解放なんてしなくてもよかったんですけどね」
シュヴァルトは慌てて奴隷たちが駆け出して行ったのを見送ると、自嘲気味に薄く笑う。
昔のことを、まだ引きずっているのだろうか?
そんなことはないと思いつつも、やはりその気持ちを拭いさることはできなかった。
あの時、もしうまくいっていなく、マスターに助けられていなければ自分は……。
そこまで考えて、シュヴァルトは頭を横に振る。
「まあ、今ではマスターの側にいられるので、いいんですけど……」
そう言いつつ、他にも何かマスターの喜びそうなものがあるかと物色していると……。
馬車の中の一角。そこから、何とも言えない雰囲気を醸し出す物体があった。
シュヴァルトは首を傾げながら、それを視界に入れる。
「こ、これは……」
シュヴァルトは目を丸くして、それを手に取った。
◆
マスターは、ルーフィギアと共に話をしていた。
気に食わないエルフの側にマスターがいることにシュヴァルトはピクリと眉を顰めながらも、すぐに上機嫌に戻る。
素晴らしいものを見つけたのだ。今は、ルーフィギアのことなど、どうでもいい。
「マスター。少し、お時間よろしいでしょうか?」
シュヴァルトがそう問いかけると、マスターは優しく微笑んで頷いてくれる。
そのことだけでぽっと胸を温かくさせる。
マスターは、喜んでくれるだろうか?
自分は嬉しいのだが、マスターも喜んでくれるとその嬉しさは何倍にも膨れ上がる。
「これを」
「あら、これって……」
シュヴァルトが差し出したものを、マスターの背中からひょいっとルーフィギアが覗き見てくる。
いや、お前は見るな。
そう言いたいシュヴァルトであったが、今はとても機嫌がいいので許してやる。
――――――奴隷の首輪。
「はい」
マスターの言葉に、シュヴァルトがコクリと頷く。
彼女が手に持っていたのは、重厚そうな黒い首輪。
奴隷を奴隷たらしめ、象徴でもある奴隷の首輪だった。
「しかも、これ、黒い首輪じゃない。珍しいわね」
ルーフィギアの言葉に、シュヴァルトはコクリと頷く。
珍しいものだから、彼女は獲物を捕まえて飼い主に見せに来た猫のように持ってきたのだろうか。
奴隷の首輪には、色によってランク付けされている。
たとえば、一番下のランクである白の首輪は、鉱山で働かされるような奴隷につけられるものだ。
尊厳や権利といったものは一切顧みられず、死ぬまで働かされ続けるような過酷な未来の待つ奴隷たちにつけられるものである。
それに比べて、黒の首輪は一番高いランクのものである。
その権利や尊厳は奴隷でない一般人とまったく変わらないどころか、むしろ少し大きな権利すら持っている。
それは、黒い奴隷の首輪の主となれるのは、かなりの権力者でないと許されないものだからであり、そんな所有物である奴隷も付随的に権利が与えられるからである。
「これの処分は、あなたたちに任せるわ。売れば、そこそこ良い値段になりそうだし、お金に代えてもいいと思うわよ」
ルーフィギアはそう言って、奴隷の首輪をどうするかはマスターたちに任せた。
彼女にとって、エルフの子供たちさえ助け出せればそれでいいからである。
まあ、寄越せと言われてもシュヴァルトは渡す気なんてなかったのだが。
どうしようかと悩むマスターに、シュヴァルトが提案をする。
「――――――これ、私につけてください」
「えぇっ!?」
――――――!?
シュヴァルトの驚愕の発言に、ルーフィギアはもちろんいつも笑顔のマスターも唖然と目を見開く。
そんな視線を受けても、相変わらず無表情をキープするシュヴァルト。
「あなた、馬鹿なの!?何も不自由していないのに、自分から奴隷になるような馬鹿がどこにいるの!?」
「馬鹿、馬鹿と失礼ですね、あなた」
馬鹿を連呼するルーフィギアをじとーっとした目で見るシュヴァルト。
関係ないのだから、黙っていてほしい。
どういうことかとマスターが聞いてくるので、シュヴァルトは説明する。
「そうですね、一から説明しますね。と言っても、そんな大層なことはないのですが……」
奴隷宣言が大したことのない理由で行われるのかと、マスターは戦慄した。
「私はマスターのものじゃないですか」
「そうなの?」
まず、大前提として話し始めた内容をルーフィギアがマスターに確認すると、さらに戦慄した表情を見せていた。
シュヴァルトはそう思っているのだが、所有者であるマスターはどうやらそうじゃなかったらしい。
認識の齟齬というものだろう。
「その意味を込めてメイド服を着用しているのですが、それだけではどうにも足りないと常々考えていたのです。そんな時、これを手に入れたんです」
全員の視線が、シュヴァルトの持つ奴隷の首輪に注がれる。
「これがあれば、私はマスターのものだということを内外に知らしめることができます。私はマスターのものであることを再認識して幸せになり、他の者たちもマスターのものであることを羨んでくることでしょう」
「そうなの?」
陶酔しきった目をして語るシュヴァルトの言葉を確認すると、マスターは首を横にブンブンと激しく振っていた。
ちなみに、シュヴァルトの言う他の者たちとは、『救世の軍勢』メンバーのことである。
あながち、間違いではなかった。
「さあ、マスター。私の首にこれを巻いてください」
シュヴァルトの言葉に、マスターは酷く困惑した様子を見せる。
彼が心優しいということは知っているが、ここは何としても巻いてもらいたい。
「ええ。確かに、あの時のことは思い出したくもありません」
マスターに問いかけられたのは、過去のこと。
かつて、まだマスターと会う前に彼女が味わっていた屈辱の日々のこと。
「(マスター以外の者のために使われていたなんて、思い出しただけで反吐が出そうです)」
心の中でペッと唾を吐くシュヴァルト。
彼女にとって、問題は被支配層になっていたことではなく、誰に使われていたかが問題であった。
そこが、マスターの認識との大きな齟齬である。
「しかし、マスターは特別です。私は、マスターのだけのものであり、マスターのためだけに行動したい。そのために、この奴隷の首輪は必要不可欠なものなのです」
そこまで言っても、マスターはなかなか首を縦には振らない。
娘のように思っている存在を奴隷に叩き落とす親がどこにいるだろうか?
いや、この世界ではそう珍しくはないが、少なくともマスターはそのような親ではなかった。
うんうんと悩むマスターに、シュヴァルトはボソリと呟く。
「……私は、いらない子なんですね」
――――――!?
シュヴァルトはシュンと落ち込んだ様子を見せる。
そんなことはないと慌ててフォローするマスター。
「……でも、私をいらないって……」
いやいや、必要だと強く説得するマスター。
「じゃあ、これでマスターのものにしてくれますか?」
コクコクと頷くマスター。
とにかく、シュヴァルトの気持ちを元の状態に戻すことで頭がいっぱいだった。
……とんでもない約束をしてしまったことに気づかず。
「では、早速お願いします」
シュヴァルトは悲しんでいた雰囲気はなんのその、スッといつも通りの状態に戻って首輪をマスターに差し出す。
いや、いつも以上にウキウキとした雰囲気を醸し出していた。
マスターはその変貌っぷりに目を白黒とさせるが、時すでに遅し。
『救世の軍勢』メンバーに甘いせいなのか、どうにも演技などを見分けることができなかった。
マスターは、渋々といった様子で首輪を受けとり、シュヴァルトに近づく。
「……はい。本望です」
本当に良いのかと聞いてくるマスターに、万感の思いで頷くシュヴァルト。
ついに……ついに、この時がやってきたのだ。
スッと顔を上に向け、首筋をさらす。
生物の弱点である褐色の首筋をさらすのは、マスターの前だけである。
ルーフィギアがこの場にいるのが割と不快だが、今は我慢することにした。
マスターは何度かためらう様子を見せながらも、首輪をシュヴァルトの首に巻く。
そして、カチャカチャと音を立てて少しの間弄り……。
「――――――あ」
カチャン……と、一際高い金属音が鳴った。
マスターの手が離れると、奴隷の首輪がまるで存在を確認するように、キュッとシュヴァルトの首を優しく絞めてきた。
少々息苦しいが、その苦しさもまた快感へと変わる。
「うっ……」
ほっと、艶めかしい吐息を漏らす。
褐色の肌を紅く染め上げて艶やかな姿をさらすシュヴァルトを見て、ルーフィギアは思わずごくりと喉を鳴らす。
同性でさえも囚われてしまうような色気を、シュヴァルトは放っていた。
「これで、私はマスターの奴隷です」
改めて確認するように、シュヴァルトは呟く。
マスターは微妙な笑みを浮かべながら頷く。
「……これから、奴隷を末永く側に置いてくださいね、マスター」
ニッコリと、普段は見られないような、心の底から幸せだといった笑顔を見せるシュヴァルト。
マスターの笑顔は確実に引きつっていた。




