第百五十八話 新たな吸血鬼領の領主
「はー……。どうして、私がこんなくだらない式典に出なければいけないのかしら?」
リトリシアは、深いため息を吐き出した。
彼女の衣装は、普段よりも豪華でおしゃれなドレスであった。
ヴァンピールじゃあるまいし……と、自分の姿を見てまたため息を吐く。
「仕方ありません。吸血鬼領にとっては、とても重要な日なのですから」
「メル……」
背後に現れたメイドの少女を見て、リトリシアは名前を呼ぶ。
そんなことを言っておきながら、あんたはいつもと変わらないメイド服じゃない。
そんな言葉を、口に出る前に喉の奥で飲み込む。
戦闘すらもメイド服で行うメルに、いちいちそんな嫌味を言っても大したダメージにはならないだろう。
「……まあ、重要な日ってことは分かるけどね」
リトリシアはヴァンピールと違って馬鹿ではない。
この式典の意味も、ちゃんと理解している。
だからこそ、深いため息もつくのだが。
「なら、精一杯楽しみましょう。この、『帰ってきたヴァンピールを崇め褒め称える式典』を」
「その最悪の式典名は、どうにかならなかったのかしら……?」
メルの言葉に、忌々しそうに顔を歪めるリトリシア。
ただでさえ気に食わないヴァンピールが、さらに調子に乗るような式典名である。
もちろん、式典名を考えたのはヴァンピールである。
他の者が考えたのであれば、それはもはや馬鹿にしているとしか思えない。
まあ、ヴァンピールはノリノリなのだが。
今も、一人高い場所に立って高笑いしている。うるさい。
「……本当、帰りたいわ。帰らせてくれるのなら、何でもしてあげるくらい」
「……相当、嫌なんですね」
「あんたもそうでしょ?」
「……私はヴァンピール様の眷属ですから」
リトリシアはメルの返答にほんの少しの間があったことを聞き逃さなかった。
その間が、彼女が本当はどう思っているかを教えてくれる。
とは言っても、ここで同志を見つけたところでどうにもならないことなのだが。
「ヴァンピール様以外の真祖であるリトリシア様がこの場を後にしてしまうと、色々と問題が生じるかと……」
「分かっているわよ。だから、嫌々でもここにいるんじゃない」
式典の目的は、吸血鬼領のトップとしてヴァンピールが返り咲いたことを周知することだった。
以前の真祖三人による合議体から、ヴァンピール一人がトップに立つものへと変えること。
実際に力を見せつけられたリトリシアならまだしも、他の全ての吸血鬼たちがそれを支持するわけでもない。
とくに、若い吸血鬼たちはかつて君臨していたヴァンピールを知らないのだから、なおさらである。
ちなみに、老齢の吸血鬼たちは、批判したり拒絶したりすることはしない。
ヴァンピールの後ろ盾として微笑んでいる男が怖いからである。
まあ、そういうことで、その若い吸血鬼がヴァンピールへの対抗として同じく真祖のリトリシアを擁立しようとするかもしれない。
だから、彼女もヴァンピールがトップに立つことを認めているということを示すために、このような悪趣味な名前の式典に出席しているのである。
「でも、リトリシア様が嫌々とはいえヴァンピール様をお認めになるとは思いませんでした。ヴァンピール様に勝るとも劣らないくらい、超負けず嫌いなのに」
「あいつと比べないでくれる?」
リトリシアはとても嫌そうに顔をしかめるが、メルの言う通りであった。
だから、彼女はヴァンピールと頻繁に喧嘩しているのである。
口で罵り合ったり、拳で取っ組み合ったりする間柄なのは、明らかに似た者同士だからだろう。
……ヴァンピールとリトリシアはお互い決して認めないだろうが。
「……まあ、私が負けたのは事実だしね。しばらくは、従っておいてあげるわよ」
「…………」
ふっと不敵に微笑むリトリシア。
「でも、いつまでもあいつの下にいるわけじゃあないからね。いつの日か、私が吸血鬼領のトップに立つわ」
「……そうですね」
やはり、大人しく下でくすぶっているような女ではない。
メルは改めてリトリシアを評価した。
それに、ヴァンピールの眷属といっても、メルは彼女に忠誠を誓っているわけでもなんでもない。
そもそも、吸血鬼領のトップになんて興味が微塵もないのだが。
メルがヴァンピールとリトリシアのどちらがトップにふさわしいかと問われると、一瞬の迷いもなくリトリシアと答えるだろう。
だって、ヴァンピール馬鹿だし。
とはいえ、ヴァンピールを貶めてリトリシアを応援するということもしないのだが。
本当に、どっちでもいいのだ。
「それに、トップになれたらまたマスターに会えるかもしれないしね!」
「…………は?」
目をキラキラとさせてグッと拳を握りしめるリトリシアに、メルの声がやけに響いた。
「そう言えば、本当にマスターはどこに行ったのよ?ヴァンピールの餌なんじゃあなかったの?」
「まさか。マスター様がヴァンピール様の下にいるはずないじゃないですか」
むしろ、逆である。
このことは、ヴァンピール本人に言っても怒らないだろう。事実だし。
「はぁぁ……。早く会いたいわ……マスター」
「…………」
メルは蕩けた表情で空を見上げるリトリシアを、能面のような無表情で見つめていた。
あの日、マスターの血を啜ってから彼女はおかしくなってしまった。
すっかり、マスターの血に酔わされてしまったのである。
結果として、今ならマスターの血のためなら何でもしてしまう狂った真祖になってしまったのである。
これが、ヴァンピールほどの自我の強さがあれば別だったのだが、リトリシアは強いとはいえそこまでではなかった。
そうして、あっけなくマスターの血の魔力に飲み込まれてしまったのである。
「……ちっ、また面倒な」
「あら?何か言った、メル?」
「いいえ、なんでも」
やさぐれた顔を一瞬で元に戻すメル。
観察眼に鋭いリトリシアも、見抜けなかったほどだ。
「ちょっとー!そこの真祖の小娘と召使い!あなたたちは、まだわたくしを褒め称えていませんわよー!?早くこっちに来て、崇めなさいな!」
そんな時、遠くから誰かさんのイライラとさせるような大きな声が届いてきた。
メルは何とも思わなかったが、リトリシアは額に青筋を浮かばせてあからさまに怒っていた。
「……ちょっと、失礼させてもらうわね。トップがお呼びのようだし」
「あ、はい」
頬をピクピクとさせながら、リトリシアはメルの前から去って行った。
それを見送って、ふうっと息を吐き出す。
「……マスター様にお会いしたいのは、私も同じなんですけどね」
以前のように、いつの間にか姿を消していたマスター。
今回も、付いていくことはできなかった。
しかし、ヴァンピールの側にいれば、今回のように再びマスターと会うことができるだろう。
そのために、メルは彼女に仕えているのだから。
「痛いですわ!?何をなさるんですの!?」
「あんたが意味わからないことを言うからでしょ!?」
メルは、ギャアギャアといつものように喧嘩をしている二人の元に、脚を運ぶのであった。
いつか、再びマスターと会うことを夢見て……。




