第百三十一話 メル
うわぁ……本当に、霧が深いなぁ。
以前、吸血鬼領に来たときも思ったことだけれど、目の前の視界すら開けないほどの濃霧だ。
これじゃあ、自分がどこに向かって進んでいるかも分からなくなってしまう。
それが、吸血鬼たちの目的なんだろうけれど。
「わぷっ。……もう!こんなに霧は必要ないでしょう!?ウザったいこと、この上ないですわ!」
吸血鬼であるヴァンピールも、鬱陶しそうに霧を払っている。
吸血鬼領に住んでいる吸血鬼たちからすれば、こんな霧は何でもないのかもしれないけれど、外に出ている吸血鬼にとっては鬱陶しいものだろう。
「あと少しで、着くはずですわ」
ヴァンピールは霧を払うことも面倒になったのか、僕の胸に顔を埋めながらそう言ってきた。
……馬の上なのに、器用だなぁ。
そんなことを思いながら馬を進めていると、次第に霧が晴れていく。
とは言っても、完全に晴れたわけではなく、うっすらと霧は残っているのだけれども、前が見えなくなるほどの濃さはなくなった。
しばらくそのまま馬を進めると、眼前に大きな門が現れる。
その門の両脇には、武装した兵士が二人立っていた。
吸血鬼領も、王国などの人間たちと同じく検閲の門が建てられていた。
「止まれ」
兵士さんの制止の言葉に、僕は馬を止めて従う。
別に、カチコミに来たわけではないからね。
兵士さんたちはこちらに近づいてきて、怪訝そうな視線を送ってくる。
彼らの赤い瞳が、彼らが吸血鬼であること証明していた。
「……人間?どうして吸血鬼領に人間が?」
「吸血鬼ハンターか?」
兵士さんの言葉に、僕は思わず苦笑して否定する。
吸血鬼ハンターというのは、吸血鬼を殺すことに特化した特別な冒険者たちのことである。
非常に強力な魔物である吸血鬼を倒すために、そんな特別職のような冒険者たちも存在するのだ。
確かに、吸血鬼たちに力を発揮できるハンターではあるけれども、流石に吸血鬼の本拠地に殴り込みを仕掛けるような者はいないだろう。
「じゃあ、なんだ?お前は、自分から餌になりに来たのかよ」
「はははははっ!それはいいなぁ!」
吸血鬼ハンターではないことを伝えると、今度は僕を馬鹿にしたように嘲笑う二人。
うーん……確かに、人間がこんなところにやってくるなんて、自殺志願者以外の何者でもないよね。
僕が勝手に納得していると……。
「あら、何がおかしいのですか?」
僕の胸のあたりから、そんな底冷えするような声が響くのであった。
視線を下ろすと、ヴァンピールが穏やかに微笑みながら彼らを見ていた。
うん、怖い声だと思ったのは、僕の勘違いのようだ。優しい笑顔をしている。
……何故か、兵士たちの顔色が悪くなっていっているけれども。最初から青白いのに、色を失う勢いだ。
「ヴァ、ヴァヴァヴァンピール……様……!?」
「ど、どどどどうして吸血鬼領に……!?」
「あら、わたくしが帰ってきてはいけないのかしら?」
「いえ!問題ありません!!」
ヴァンピールに見据えられた兵士は、身体をガクガクとさせて震えている。
……君、吸血鬼領ではどんなキャラで通っているの?
リッターの時と真逆の反応に、僕は思わず頬を引きつらせる。
「それで?わたくしの大切な人に、何か御用でも?」
「ヴァ、ヴァンピール様の餌でしたか!も、申し訳ありませんでした!」
ヴァンピールに深く頭を下げる兵士。
……僕には謝罪がないのね。まあ、餌らしいから、謝罪なんてあるはずもないか。
それに、ヴァンピールの餌……というのも、あながち間違いでもないしね。
「さ、早く門を開けてくださいまし。会議に遅れてしまいますわ」
「は、はい!すぐに!!」
兵士たちは慌てて門の側に行き、重たそうな門を開けてくれた。
僕はそれを見て、馬を前に進ませる。
「申し訳ありませんわ、マスター」
しばらく馬を進めたところで、ヴァンピールが話しかけてきた。
「あそこにいた不敬者たちは、ちゃんと責任を持って処分いたしますわ」
え、いや、いいよ、別に。
処分とか、何だか目のハイライトを消して言っているヴァンピールが不穏だし。
とくに、嫌な思いをしたわけでもないからね。
「むぅぅぅ。でも、わたくしが納得できませんわー!!」
手足をバタバタとさせて暴れ出すヴァンピール。
馬の上だから暴れないでね。落馬する。
まあ、僕のために怒ってくれていると思うと、嬉しくなっちゃうんだけれど。
僕は頬を膨らませて怒りをあらわにしているヴァンピールの頭を撫でてなだめながら、先を見据える。
昔の記憶をたどれば、そろそろ着くんじゃないかなぁ……。
「あ、着きましたわ」
そして、僕の記憶の通り、僕たちはすぐに吸血鬼領の街に到達した。
うっすらと霧のかかった街で、高い塔のような建物がいくつも連なっている。
王国では、なかなか見られない街の風景だ。
地面も石畳が敷き詰められており、馬の足音がとても良く響く。
「ふう……相変わらず、しけた街ですわね。霧がうざったいですわ」
ヴァンピールはそう言うが、この霧は晴れそうにないな。
というのも、ここの霧は太陽光の威力を削減することに役立っているのである。
ヴァンピールのように強力な吸血鬼ともなれば太陽光を受けても多少体調に変化があるくらいだけれど、普通の吸血鬼はもろに受けてしまえば消滅しかねない。
僕やヴァンピールには鬱陶しい霧でも、この街に住んでいる吸血鬼たちからすれば命を守る霧なのだ。
……それにしても、街を出歩いている人……というか吸血鬼が少ないね。
「そうですわね。もともと、繁栄している街ではありませんでしたが、ここまで寂れていたでしょうか?」
僕よりも訪れる機会が多いヴァンピールも、不思議そうにしている。
うーん……何かあるのだろうか……?
「それは、『真祖会議』のせいですね」
僕とヴァンピールが首を傾げていると、抑揚の少ない声が教えてくれた。
おお、この声を聞くのは、とても久しぶりだね。
僕は思わず笑みを濃くしながら、振り返る。
「お久しぶりです、ヴァンピール様。……そして、マスター様」
視線の先には、深く頭を下げているメイド姿の小柄な女の子がいた。
ああ、久しぶりだね、メル。
「はい」
僕がそう返すと、メルはうっすらと微笑みを返してくるのであった。




