第百話 ありえない襲撃
「ふふん。今日は良い日だ。兄上には腹が立ったが、リッターの師を手に入れることができたのだからな」
ニーナ王女は馬車の中で、嬉しそうにそう言った。
まあ、確かにリンツ王子とは仲が悪そうだったからねー。
悪そうというよりも、本当に悪いんだろうけれど。
手に入れたという言い方はあまり正しくはないのだろうけれど、実際これから依頼に従って彼女を守ることになるのだから、訂正しないでおく。
「それにしても、本当にリッターはマスターのことが好きなのだな。ずっと引っ付いているぞ」
「うん、好き」
ニーナ王女はどこか呆れたように僕と引っ付くリッターを見る。
今も、リッターは僕の腕に抱き着いて顔を摺り寄せてきている。
ニーナ王女に会わせられるために屋敷へと連れて行かれた時も腕を組んでいたし、そこから考えるとほとんど僕はリッターと密着しているんだね。
こんなに密着したのは、おそらく長い付き合いのある『救世の軍勢』メンバーの中でも最長ではないだろうか?
しかし、僕としても娘みたいな存在であるリッターにこれほどまで好かれているのは、嬉しいことはあっても嫌なことはない。
「……あれほど気難しいリッターを、マスターはどうやって懐かせたんだ?私も、名前を覚えてもらうのはものすっごく時間がかかったんだぞ?」
ニーナ王女は何か秘訣でもあるのかと、僕に問いかけてくる。
いやー、別に僕はリッターのことを気難しいとは思ったことないからなぁ。
まあ、感情表現が苦手だとは思うんだけれど。
それに、初めてリッターと出会った時の方が、今の彼女よりももっと排他的だった。
感情のない魔導人形みたいだったし……。もちろん、リッターがそんな状態になっていたのには理由があったんだけれど。
……ここから先は暗くなるし、思い出すのはやめておこう。
僕から言えることは、根気よく付き合っていけばいいというだけだ。
実際、ニーナ王女はリッターに名前を覚えてもらっている。
こんなこと、『救世の軍勢』の面々以外では非常に少ないだろう。
「ふむ、そうか。……私は、もっと親密になりたいのだがな」
ニーナ王女は難しそうな顔をして考え込む。
そう言ってもらえると、リッターを娘のように思っている僕からしたら嬉しい限りである。
そんな感じで、馬車の中では穏やかな時間が過ぎていたのだけれど……。
「…………」
僕に抱き着いてスリスリしていたリッターが、バッと顔を上げた。
急な動きに、僕はもちろん対面のニーナ王女も驚く。
ど、どうかしたの?
「……何か、来た」
リッターは短くそう報告した。
何か……?
僕とニーナ王女が首を傾げていると……。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
「ッ!?」
外から、断末魔の叫びが響いてきた。
僕たちが乗る馬車の外には、馬車を操る御者やニーナ王女を護衛するための数少ない騎士たちがいたはずだ。
彼らの悲鳴だろうか?
僕とリッターが動く前に、ニーナ王女が飛び出して行ってしまった。
こういう時は(一応)側近である僕かリッターが先に外に出て危険があるのかどうか確認した方が良いと思うのだけれど……。
ニーナ王女は民を大切にする国家をつくると明言するほどの、民思いの王女様だ。
部下たちが心配で仕方なかったのだろう。
僕とリッターも彼女に続いて降りると……。
「お、お前たち……」
ニーナ王女が、馬車から降りたすぐそばで、呆然と立ち尽くしていた。
いったい、何事かと目を向ける前に、僕の鼻にはキツイ鉄の匂いが届いていた。
何となく予想ができてしまってげんなりとしつつも、目を向けると……。
そこには、血を流して倒れ伏す護衛の騎士がいた。
「ひ、ひぃぃ……っ!!」
御者は酷く怯えながらも、何とか暴れようとする馬の動きを抑えていた。
「おい!いったい、何があったんだ!?」
「わ、わからねえんです。い、いきなり化け物が襲い掛かってきて、騎士様たちを一瞬で……っ!!」
無傷で生き残っている御者にニーナ王女が詰め寄ると、御者は声を震わせたまま答える。
化け物……?
御者はそう言うものの、僕はにわかに信じられなかった。
「ば、馬鹿な……!ここは、エヴァン王国の王都だぞ。化け物など、出るはずが……っ!!」
ニーナ王女はそう言って汗を垂らす。
そう、エヴァン王国では街の中に魔物や化け物といった類のものが出てくるということは、ほとんどない。
騎士団などが常駐しており、そう言ったものを街の中に入れないからである。
地方の街などでは、警戒していても入ってくることはあるかもしれないけれど、ここは国家運営のために必要な人材が数多く住んでいる王都である。
当然、他の街とは考えられないほど騎士たちの警戒は強いし、今まで王都に魔物や化け物が現れたということはないだろう。
実際、王城に向かうときも同じ道を通っていたのだけれど、その時は何の気配も感じなかったし……。
「う、ぐ……」
そんな時、地面に倒れていた騎士がうめき声を上げた。
出血は激しいものの、死んではいなかったらしい。
「おい、しっかりしろ!何が起こったんだ!?」
震えて話にならない御者から離れ、ニーナ王女はそんな騎士に駆け寄っていく。
彼の身体は血だらけなのだけれど、それが自分の身体に付くことなんて一切気にしない様子で抱きかかえる。
……本当に、優しい王女様なんだなぁ。
「うっ……!に、ニーナ様……お逃げください……!」
「どうしたのだ!?誰にやられた!?」
「ま、魔物です……!いきなり空から襲い掛かってきて……他の奴が……!」
苦しそうにしながらも、必死にニーナ王女に報告する騎士。
確か、護衛の騎士は今彼女に抱えられている騎士と、もう一人がいたはずだ。
本来であればもっと護衛も多いのだろうけれど、向かっていた先が王城ということと王都の中という話だったので、これほどの少数なのだろう。
リッターというずば抜けた騎士がいることも関係しているだろう。
「そ、そうだ!もう一人の騎士はどうした!?」
「あ、あいつは……」
ニーナ王女も姿の見えない護衛の騎士のことを思い出したのか、抱きかかえる彼に聞く。
騎士も答えようとした時、リッターが呟いた。
「……来た」
彼女は言葉数が少ないし、感情表現も苦手だから説明といったことが苦手である。
しかし、今回は説明を求める必要はないようだ。
僕も、魔物が近づいてくる気配を感じ取れたのだから。
『グルルルルル……!』
そんな獣のような唸り声が、近くの木々の間から響いてきた。
そして、のしのしと重たげな足音と共に、その魔物は姿を現した。
……これは、珍しい魔物がいたものだ。
僕は意図せずそんなことを思ってしまった。
「なっ!?こ、こいつは……っ!!」
どう見てもおてんば姫であるニーナ王女も、この魔物のことは知っているらしい。
彼女は息を飲みながら、その魔物の名前を言った。
「き、キマイラ……っ!!」




