第三章⑤ 誕生会
その晩、まだ夜も若いうちに、アマネールはノアとグレイの誘いでトレッフュ商店街に赴いた。
商店街の入口に立つ門まで来たところで、夕闇に佇むユリとリディアの姿を見つけた。不思議と、アマネールの到着を心待ちにしていた様子である。どこかそわそわする彼女たちに促されて、アマネールはトレッフュに歩を進めた。
門を抜けてすぐ異変に気付いた。トレッフュのそこかしこで灯る、金属の装飾枠に包まれた卵型のランタンが、一様に青く光っている。以前は赤や緑など、極彩色に輝いていたというのに。
今宵のトレッフュを彩る紺青の光は、アマネールの天結にあしらわれたオパールと同じ色合いであった。
「うわ」
正面の光景に圧倒されるアマネールを、ノアは満足げに見つめている。
「俺たちからの贈り物だぜ」
「お誕生日おめでとう」
ユリの透き通った声が続く。
「そっか。今日、十月三日」
アマネールはようやく事態を把握した。何しろオルナメントに言われるまで、自身の誕生日を知らなかった身である。意識していなくても無理はない。
「おいおい。僕たち、君にばれないよう水面下で準備したんだよ。こそこそして損した」
グレイはがっくりと肩を落とした。
「あら、いいじゃない。サプライズ成功ってことで」
リディアは満面の笑みを湛えている。
「死後の世だからこそ、誕生日は祝わなきゃね。せっかくしぶとく生きてるんだもの」
「それは......」
ありがたいような、悲しいような気持ちになったアマネールは、何とか前者を優先した。
「ありがとう」
「なにその感じ。あんたなんか不満げじゃない?」
「いや、僕、死んだのか。と思って」
「贅沢言うわねえ。あたしなんて、人生の半分はこっちで祝われてるのよ」
与太話に花を咲かせながら、アマネールたちは行きつけの福腹亭に向かった。トレッフュの最奥まで歩き、店の扉を押し開けると、すでに彼らの席が用意されていた。
すぐに、福腹亭のウェイトレスである乙女座の星霊がやって来た。桃色に澄んだ艶美な彼女は、これまた美しい水瓶を抱えている。
青紫色に透き通ったその瓶は、死後の世を象徴する星霊に違いない。水瓶をアマネールたちのテーブルに置くと、乙女座の星霊はそそくさと去っていった。
少しして、店主のアルヴィナが五つのグラスを手に運んできた。チャイグラス風の精巧な装飾が施されたものだ。
「こうするんだよ」
ユリはアマネールに目配せし、アルヴィナから手渡されたグラスを水瓶にこつんと当てた。
すると水瓶が意思を持ったように(実際に水瓶座の星霊使いの意思が働いているのだろう)、独りでに傾き、ユリのグラスに液体を注ぎ始めた。グラスに満たされていくのは、藍色と水色が混然一体となった炭酸飲料だった。
「スカイカクテル。祝い事はこれに尽きるわ。なんせ体が芯から温まって、ありったけの元気が出るんだから」
アルヴィナは得意げに説明する。
「言葉を選ばずに言うなら、合法の酒さ。まじ飲みすぎ注意」
グラスに限界までカクテルを注いだのち、盛り上がった泡を口ですすったノアが笑った。
アマネールも彼らに倣って、水瓶にグラスを軽く当ててみた。青空と夜空が溶け合ったような清麗な液体が、同じく優美な水瓶から滔々と流れてくる。
「それでは、アマネールの十四歳の誕生日を祝しまして」
グラスを掲げたグレイは、皆にそうするよう促した。
「かんぱーい!!」
ほどなくして、乙女座のウェイトレスとアルヴィナが交互に料理を運んできた。仔羊のローストに秋の魚介、根菜のサラダに香り高いスープと、大層なコースである。
ふと、アルヴィナとその星霊が並ぶのを見たアマネールは、不釣り合いな二人をまじまじ眺めた。とてもじゃないが、絶大な妖艶さを湛える乙女座の星霊を、恰幅の良いアルヴィナが呼び出したとは思えない。
「昔はよく見間違えられたのよ」
アルヴィナの声音が大真面目なのもあって、アマネールは派手にむせた。食事を始める前だったのは幸いだった。
「おい。ガキが、冗談じゃないんだ。バースデーボーイじゃなきゃ殴ってるからね」
「あれ、アルヴィナの口癖なんだ。うけるよな」
ノアはけらけら笑っている。
「あら? 夢がでかいのはいいことよ」
リディアだ。何のフォローにもなっていない。
「やれやれ。でかいのは体だけで勘弁だぜ。いってえ!」
アルヴィナのげんこつがノアに炸裂した。堪忍袋の緒が切れたようだ。どうやら恐ろしいことに、アルヴィナは本当に冗談のつもりではないらしい。
この一幕を皮切りに、アマネールたちはご馳走に飛びついた。
スカイカクテルの効果はてきめんで、食事が半ばを過ぎる前に、グレイの頬は赤く染まり始めた。ユリはより顕著に影響を受けており、その口は閉じる兆しがなく、普段とは別人のようにおしゃべりになっている。
「ってかノア、トレッフュの明かりを青一色にしようって提案したの私なんだからね! なーにが俺たちからの、よ。いいとこ取りしちゃってさ」
ユリがグラスを傾けるスピードは、次第に速まっていくばかりだった。
「これはこれは、令夫人のご機嫌を損ねてしまったそうで」
この上なく愉快げに冷やかしてくるノアは、この上なくやかましい。
「あたしが思うに、ありゃ無意識だわ。ユリったら、罪深い女だねえ」
リディアも大変憎たらしくにやついている。アマネールは無視した。
「お兄さん、顔真っ赤ですぜ」
「何言ってんだ。コイツのせいだよ」
ユリに負けず劣らず、スカイカクテルを豪勢に飲み干し、アマネールは言い切った。
料理もひと段落ついたころ、アルヴィナはケーキを出してくれた。不思議と懐かしい香りのするデザートには、可憐なスズランの花が添えられている。
「ねえ......まさか。このケーキ」
アマネールの頭に浮かんできたのは、故郷で世話になったスイーツ店だ。
「私の古い友人からだよ。あいつの腕は凄いんだ」
「仲良かったの? ルエラおばさんと?」
「もう二十年以上も前になるね。本土に乗り込んできたルエラと出会ったのは。今じゃおっとりしてるけど、昔はひどいやんちゃ娘だった。私たち、天煌杯にも出たんだよ。懐かしいねえ」
アルヴィナは微笑むと、アマネールたちの背中をバシッと叩いた。
「精々頑張るんだよ、あんたらもね」
そこから先はお祭り騒ぎだった。いつの間にか飲んだくれたアルヴィナも加わった一同は、大いに食べ、飲み、笑い合った。
日をまたぐ頃には、リディアの顔はその赤毛と遜色ないほど真っ赤になっていた。ユリはテーブルに突っ伏して、気持ちよさそうに寝息を立てている。見れば、アルヴィナも大の字で床に転がっていた。彼女もまた、夢の世界にいるようだ。
何があったのかは不明だが、さらにアルヴィナの下敷きになっていたのがグレイだった。アマネールが事態に気付き、喋り続けるノアとリディアを落ち着かせて、三人で引っ張り出したグレイの顔は真っ青だった。
「あちゃ。この様子じゃ、もうお陀仏じゃないか?」
「これで二度目ね。次はどんな世界に行くのかしら?」
ノアとリディアは平気で縁起でもないことを言う。
結局この日はリディアがユリを、ノアがグレイを背負い、五人は福腹亭を後にした。




