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「はいっ! 梨桜」

 夕食を終え、お風呂に入るまでの小休止時。学習机の椅子に座っている裕香が、サッカーボールを取り出し、左足の裏で転がしながら、同じく、自分の学習机の椅子に座っている私に向かって、ボールの下を左足のトーで蹴りあげた。

「よっと」

 私は、左足のインステップでボールを蹴り上げ、裕香のほうへと返す。

「はい」

 裕香は返すように左のインサイドで軽く蹴り上げ、「ほい」

 私がそれを左のインサイドで蹴り返す。

 ……と言った流れで、お互いが向かい合うようにイスに座って、ボールを蹴り返していく。

 リーフFCにいたころからやっている、繊細なボールコントロールを養うためにやっているパスの練習だ。雨が降って外での練習ができない時によく屋内練習としてやっている。

 本当は両足を交互に使うのだけど、先ほどから裕香は左しか足を使っていない。

 例によって現在右足脹脛の肉離れを起こしている私を思ってらしい。

「す、すごいわね」

 私たちと同じく、学習机の椅子の背もたれに身をゆだねている諸星先輩が、目をパチクリとさせながら、ボールを追いかけるように視線を右往左往させている。

「でも、これって結構難しいんですよ」

「あら、そうなの?」

「ボールを蹴る角度とか強さとか、近距離だから結構コツがいるんです」

 しかもワンタッチで返さないといけないから、余計に辛い。

 本当は固定されたイスでやるのだけど、部屋にあるイスのほとんどが脚にタイヤがついているタイプ。

 ちょっとでも油断すると、タイヤがあらぬ方向に転がって、距離が離れるから蹴り損ねやすくなっている。

「最初は5メートルから、徐々に近付いて、今は3メートルで二十回ラリーができるくらいですからね」

 裕香が平然と、それこそ当たり前のような口調で言うものだから、

「すごいことを言ってるのに、本人はそう思ってないのか」

 諸星先輩は、はぁ……と、関心するのだった。

「それはいいけど、今度のテストはどうだったの?」

 別のクラスだからか、裕香がそう聞いてきたので、

「別にいつもどおりだったけど?」

 と言い返す。「はい、言い出しっぺはどうだったの?」

 ちょっと強めに左のインフロントを使って、ボールを蹴り上げた。

「古文と英語がダメだった」

 ちょっとムッときたのか、裕香も左のインフロントでボールを蹴り返す。

「どんなのだった?」

 ボールの落下地点が、足よりも手前だったので、膝で返す。

「心ばへなど、はた、()まで、よくおはする御ありさまに」

 裕香は、ボールを蹴り返すと、同時に、古文の問題を出した。「()の中?」

 聞き返すようにボールを蹴り返す。――裕香は、コクリと肯いてみせると、ボールを蹴り返してきた。

「あっと、たぶん[埋もれいたし]じゃない?」

 諸星先輩が答える。「どんな意味でしたっけ?」

 裕香からのボールを左のインサイドで蹴り返す。

「たしか、ふたつ意味があって、ひとつは[引っ込み思案]とか[内気だ]」

「問題の答えというか、現代語は?」

「源氏物語の蓮生に出てくるやつで、女性の性格の表現で、彼女は内気だって意味」

「なるほど。――もうひとつは?」

「[気分がうっとうしい]」

 諸星先輩の言葉が、妙に胸に刺さったのか、

「あっ」

 と、裕香が蹴り損ねたボールが、私の胸に落ちた。

 胸のトラップは基本的にあまりボールが弾まないから、ボールを相手に返すことができない。

 長年の癖なのか、胸のトラップはボールを自分のところにキープするために、あまり強くバウンドさせることがないから、ボールは軽く跳ねただけで、私の左太腿でもう一度バウンドし、左のほうへと転がっていった。

「何回だった?」

 裕香が片目を瞑りながら、不満気な顔を見せる。「えっと、十回くらい?」

 今日は不調だったか。

「見ているこっちはすごいとしかいえないんだけど」

 私と裕香が肩をすくめるような仕草に、諸星先輩は唖然としていた。

「それはそうと、今日の練習はどうだったんですか?」

「んっ? Aは準備運動をしてから10分間の走りこみをして、パスやドリブルの練習をしたあとに、20分ハーフのミニゲームだったけど?」

「走りこみって――3キロ?」

「えっと、ちょっと待って、10分間で3キロ走りきるって、簡単に計算すると時速18キロで走らないといけないんだけど?」

 諸星先輩はツッコミを入れるように裕香のほうを見た。

「えっと、私と裕香がリーフFCにいた頃に、基礎体力を作るために10分間でタッチライン往復十回とかやってましたけど」

「それって、普通にムリじゃない? 小学生のタッチラインは68メートルで、往復だと136メートル。それを往復十回だから1360メートルを10分で走りきれって」

「あぁ……、いや、これってちょっとカラクリがあって、別に走りきらなくてもいいんですよ」

 私の言葉に、諸星先輩は首をかしげる。

「試合中、コートの中を走り回らないといけないけど、だからって常に全力で走るわけじゃないですよね?」

 特に私みたいな攻撃に参加するDFなんて、それこそ一瞬で68メートルを全力で走らないといけないけど、大体ここぞって時しかやらないし。

「うん、そうね」

「10分間往復十回っていうのは、その時間内にどれだけ走ることができたのかを見る体力テストみたいなものなんです。まぁ勘違いする人はその時間内に走りきらないとダメだって思うわけですけど」

 そう説明するのだが、ピンと来ないのか、諸星先輩は、自分たちもやっているはずなのに首をかしげていた。

「まぁ、笛が鳴ったら切り返さないといけないのは辛いよね?」

 裕香が肩をすくめるように言った。「あぁ、しかも終わりの30秒間は特に」

「えっと……」

「あぁ、私たちに色々と教えてくれた人が、練習にってはじめたことなんですけどね。笛が鳴ったら走っている方向とは逆に戻らないといけないんです。ボールが敵に渡ってハーフラインにセンタリングされたっていうシチュエーションを想定して」

「あれ? そういえば10分間って少年サッカーの前後の試合時間くらいじゃ?」

「笛はGKがシュートをクリアした合図なんです。それを取り返すために踵を返す」

 うん、あの大会の時のメンバーは、それこそ和成おにいちゃんが河山センチュリーズにいた頃からやっていたから、いつもの光景だったのだけど、

「新しく入って来た子たちは唖然としていたよね」

 裕香の言葉に同意する。「コートの中を走っているだけだったものね」

「でも、結構試合感覚でやってない?」

「そのおかげで、当時は攻撃に参加する形のDFに出来上がりましたけどね」

 そういえば、今度のトライアウトはどういうテストをするんだろうか。

「裕香、それとなく和成おにいちゃんに話を聞いてないの?」

「和成さんからはあんまり連絡をもらってないけど、まぁあの人の考えてることだから、結構厳しいと思うよ」

「そうか……」

 もしかして、そういうのも私が考えないといけないんだろうか?

 スカウトを任されていると言っても、学業とか練習もあるから、そんなに時間がない。

 サッカークラブの立ち上げにはスクレイパーFCも関わっているから、明日、放課後の練習の時にAチームが練習している第一グラウンドに行って、後藤監督や矢沢コーチとかに訊いてみよう。

「あれ? なんか妙に引っかかるんだけど?」

 視線を裕香に向けると、彼女は、

「どうかした?」

 と、きょとんとした顔で見つめ返してきた。


 翌日、学校が終わった私は、Bチームの練習グラウンドである第二グラウンドで、それこそ公共放送がテレビで流している体操番組の、イスに座った状態での体操をしたり、左足を持って屈伸に似た動作での準備運動を終えると、

「それじゃぁ、Aの方に行ってきます」

 と、Bチームのみんなに頭を下げた。「行ってらぁ~~っ!」

 二年の外川(とがわ)先輩が、手を振るように私を見送る。

「仕事がんばってね」

 同じく、二年の松川先輩も手を振る。

「先輩たち、梨桜を見送るのはいいですけど、準備運動が終わったら走りこみのあとに3onやりますからね」

 一年のMFである長瀬優衣が、そのふたりにそう言い返す。

「了解。――それじゃぁね梨桜」

 外川先輩と松川先輩は、踵を返すように、ペナルティーラインへと走っていった。

「さてと、こっちも行きますか」

 松葉杖を支えに、いざ第一グラウンド。

「トライアウトのテスト内容?」

 第一グラウンドに着くと、ちょうどAチームは、10分間の走りこみを終え、[壁パス]の練習をしていた。

 壁パスといっても、壁にボールを蹴るわけではなく、コートの中に、二メートル間隔で壁役の人が10メートルの四角形になるかたちで、蹴られてきたボールを蹴り返すといったもので、蹴り返されたボールはかならず次の壁となっている選手にパスを送っていく。

 私が第一グラウンドに着いた頃には、練習開始から五分くらいたっていたころだった。

「うわぁ」

 私はそれを見て、Aチームに漂っている不快指数が高まっていたのを肌で感じた。

 リーフにいたときも同じ練習をしたことがあったけど、すごい苦手だったんだよなぁ。

 しかも距離が離れているならいいけど、2メートルの距離だと結構蹴り返される角度の計算とかもしないといけないから、相手との信頼関係が……。

 しかも――。

「ちょっと、どこ蹴ってんの?」

「あんたねぇ、もうすこしやさしいパスができないわけ?」

「ほら、もうすこし早く」

「あぁもう、なんでそっちなのよ」

 と言った具合で、「前より悪化してません?」

 私は、たずねるように後藤監督や、矢沢コーチを一瞥した。

 なんかみんな一触即発の空気なんですけど。

 特にAチームでもベンチとか、選ばれていない選手のパスワークが悪く感じる。

 わざとボールを軽く蹴り返したり、逆に強く蹴って、わざとボールが取れないようにしている。

 個人プレーも大事だけど、なによりそれをつなげるための連携がまったくできていない。

「海老川たちはそうでもないんだがなぁ」

 矢沢コーチがため息を吐く。

 その海老川先輩や、妻崎先輩、五木先輩は壁役の選手の中におり、蹴られてきたボールを、相手が取れやすい角度で蹴り返している。

 まぁ、あの人たちは一年生の話も耳にかけてくれるし、なによりパスがすごく取れやすいんだよなぁ。

「それで、今日はどうした?」

「あ、今度の日曜日にトライアウトがあるのはご存知ですよね?」

 そうたずねると、矢沢コーチは後藤監督を一瞥してから、

「あぁ、こちらからはボクが見ることになったよ」

 と応えた。「それがどうかしたのかい?」

「あ、いや。日にちもそんなにないですし、どれだけ集まるのかなぁって」

 それに、ちょっと気になることがあった。

「あの、もうひとつお聞きしていいですか?」

「なんだ? ――っ!」

 後藤監督が、私を眇めるように、それこそ眉をしかめたような顔でにらんできた。

「あれ? なんか拙いことでも聞い――」

「おい、そこっ! ボールは相手が取れるコースで送れっ! そんなに離れていると相手からクリアされるぞ」

 後藤監督は、私の言葉を遮るように、コートに向かって怒声を上げた。

「あ、はいっ!」

 それにおどろいた私と、コートの中で練習をしているAチームの声が重なった。

 おそらく、Aチームに所属している一部選手の練習態度と、相手へと送り返すボールのパスコースが悪いことに、苛立ちを覚えていたのだろう。

「それと、壁はワンツーでの要を任されているんだ。パスだからと言って気を抜くな。ボールを盗ろうとしている選手がいることも視野に入れておけ!」

「び、びっくりしたぁ」

 後藤監督の声は、スタンドで応援をしているBチームでも鼓膜が破れるほどの大音量だから、場所によっては鼓膜が震えて眩暈が起きそうになる。

 だからか、Aチームとはいえ、慣れている三年生はまだしも、上がったばかりの二年生とかはおどろいて、借りた猫みたいに縮こまっている。

 監督とかコーチって、敵に回したくない一番の相手だからなぁ。

「うぅ……」

 そんな中、壁役を任されていた一人の選手が、嗚咽を吐くように肩を震わせていた。

 この前の入れ替え戦でBからAに昇格できた、一年のMFである百道香澄だ。

 たぶん、自分がミスしたことを怒られたんだと思ったんだろうけど、正直、二年、三年生のほうに怒ったんだと思うよ。

 あの練習試合以降、本当にAチームの中で流れている空気が悪いもの。

「大丈夫? 監督の怒声なんてはじめてだから、びっくりしたでしょう?」

 隣にいる五木先輩が、百道の肩に手をかけ、慰める。「ほら、まだ練習は残ってるんだよ」

「そうそう。ほら二年っ! サッカーは一人で勝てるゲームじゃないのよっ!」

 海老川先輩が、笑顔のすぐに叱咤の声をあげた。

「あ、はい」

 それに応える二年生。

 練習が再開されると、これ見よがしに態度を改めているようだけど、やっぱり、傍から見ればそう簡単に直るものでもなさそうだ。

 ただ、Aチームが本格的に崩壊しないのは、海老川先輩たちみたいな、ムードメーカーがいるからだろうなぁ。

 Bチームの中にも、もちろんAに上がりたい人は何人もいるけど、あぁいった、自分が自分がと言った人ってそんなにいない。

 それに、出場選手を決めるのは監督だからなぁ。

「あんたたち、練習態度をしっかりしていれば、試合に出れるかもしれないわよ」

 と、妻崎先輩が発破をかけていた。

 AもBも実力をアピールして呼ばれるしかないか。

「あぁ、すまない。うるさかったかな?」

「いや、もう慣れました」

 私は、苦笑を浮かべる後藤監督に向かって、困惑とした笑みで返す。本当はちっとも慣れてないけど。

「それで、なにを聞きたかったんだ?」

「トライアウトをするにしても、募集とかはしているんですよね?」

「地元のお店が募集チラシを店頭に貼ってくれてな、すでに五十人くらいの募集があった」

 おぉ、結構集まってきてる。

「でもなぁ……」

 後藤監督が腕を組み、頭を抱えるようにうなった。「どうかしたんですか?」

「いや、テスト内容をあの人に任せて組んでもらったんだが、正直子供たちが半分でも残ってくれると嬉しいんだがなぁ」

 あの人って、もしかしなくても和成おにいちゃんのことだろうなぁ。

「どんなテスト内容なんですか?」

「さすがに、おさななじみである君が内容を聞くと、怒りを通り越してあきれると思うんだが?」

 私は、後藤監督や、矢沢コーチから、当日のテスト内容を聞くや、

「いや、さすがに。……これって高校生レベルのトライアウトじゃ?」

 と、喉もと過ぎればなんとやら、

「もしかして、あの子たちにも同じことやってたのかな?」

 ポニーテールFCの子供たちのことを思い出しながら、わたしは、トライアウトの内容に不安をかかえるのだった。


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