13
千鶴の家は江戸時代からの、代々継がれてきた華道の家元であった。
それこそ茶道における表千家、裏千家といったように、全国的にも知れ渡るほどの知名度がある。
千鶴の父親である畑優山は代々伝わる畑家流華道当主であり、跡継ぎがいない現状、千鶴がサッカーを遣りたいという気持ちを陵辱するほどに反対するのは、千鶴本人がわかっていた。
「どうした? 千鶴」
八畳もある広い畳のリビング。三人しか暮らしていない家では、バラエティー番組の賑わったテレビの音ですら寂しげに聞こえるこの空間で、父親のつまらなそうなつぶやき声が大きく聞こえ、千鶴は茶碗を手に持ったまま、そちらに視線を向けた。
「人の話を聞く時は、茶碗を置きなさい」
「あ、はい……」
そう叱られ、千鶴は茶碗をテーブルの上においた。「今日、学校でなにかあったのか?」
「どうしてそう思われるんですか?」
「お前が帰ってくるのがいつもより遅くてな」
千鶴は父親の言葉に、喉をつまらせる。
「あ、あの……お父さん――」
「まさか、なにか悪いことをしているわけではないだろうな?」
娘の言葉を聞き入れないと言わんばかりに睨みつける父親を不満気な視線で睨み返そうとして、
「違う。悪いことなんてしてない」
千鶴は言葉で言い返そうとした。
――が、
「それならば、どうして帰宅したのが夕方の六時なんだ? いつもだったらそれよりも一時間以上早く帰ってきているだろ?」
講演会や展覧会で家を留守することはあっても、基本的に華道教室をしているこの家から出ることがない父親が、娘の帰宅時間を知らないわけがなく、そのことを娘である千鶴が気づかないわけがない。
「ちょ、ちょっと放課後友達と学校のグラウンドで――」
「まさかとは思うが、お前――球蹴りに現を抜かしているわけではないだろうな?」
キッと睨みつける父親に、
「球蹴り?」
千鶴は、自分ではなく、姉である千尋がやっていたことを否定されたように、胸の奥がかきむしられたように苛立ちを覚えた。
「あぁそうだ。それにうちは代々伝わる華道の家元。跡継ぎがいないと途絶えてしまう。それはお前もわかっているだろう」
優山は湯のみの縁に唇を添え、お茶を一口、喉を潤わせた。
「わかっています」
「千尋にはその才能があった。だがあいつはこの家の端くれの倅が出る地方のサッカー大会を見るや、「サッカーをやりたい」――なんぞ言い寄って」
千尋の、後先を考えない行動は今に始まったことではなかった。
サッカーを始めると決めた次の日どころか、大会が終了し、母親に送ってもらう帰り道の途中で、小学生用に使用される四号サイズのサッカーボールや、サッカーシューズを自腹で買っていた。
父親に許しを得るよりも前に、あの時、和成にいつか勝負がしたいという約束を交わしたあの日のうちに、スポーツショップに赴き、脛当てなどの最低限必要なサッカーアイテムはすべて、今まで貯めていたお年玉貯金を使って、母親と一緒に買い揃えていたのである。
「お、お父さん――」
「私は反対だ。いやお前が放課後学校から歩いて帰ってくることも、家から帰って出かけることも」
優山は、それこそ、これは違う、あれはダメだの堂々巡り。
娘の言い訳など聞く耳を持っていない。
それを見て、千鶴は姉がどうして華道を嫌いになっていたのかがわかっていた。
父親が娘を期待していることは別にかまわない。
娘も応援されることは嬉しいことだ。
だが、それはあくまで本人がこころから頑張ろうと思った時だけ。
姉妹は、それこそ物心がつくよりも前から、父親や祖父から華道の教えを学ばせられていた。
しかし、それはあくまで代々継がれている畑流華道が途絶えないようにしているだけ。
娘の将来など、溝に捨てているようなものだ。
「――それをどうしてか、あいつはサッカーを遣りたいと私に言ってきた」
千鶴は父親の愚痴を、ジッと黙って聞き入れていた。
今は反論する時ではないとわかっていたからだ。
だが、心の中には常に……、
――違う。
という否定の言葉。
「あいつは私や父の教えに背いた。サッカーなんて男がやるようなことを、どうしてうちのような華道の人間がしなければいけないのか」
――違う。おねえちゃんはちゃんとお父さんや生徒の人たちを見てた。
「あいつには才能があった。その才能を開花させるために私は教えてきた。だがあいつは集中力が散漫なときが多くて困ったものだよ」
――違う。サッカーの映像を見ていた時、すごい集中してた。
「それに覚えが悪かったのかね? 本来は一教えればというが、あいつは十教えてもせいぜい五がやっとだった。まぁまだ子供だったからだろうがね」
――違う。一度見たプレイなら体格的に無理でも何度も挑戦して自分のものにしようとしていたし、複雑なドリブルコースも二、三回でクリアしていた。パスだって、わたしが遠くにいても優しく取れるくらいだった。
千鶴は父親の言葉、ひとつひとつを否定していた。
姉が本当に楽しそうにサッカーをしていたことを、家族の中で自分がいちばん身近に見ていたからだ。
それをなにもかもなかったように、最初からサッカーをしていたことすらバカバカしいと決めつけている父親に反感を覚えるほどに。
――あぁ、サラさんの言っていたとおりだ。
千鶴はサラに言われたことを思い出す。
「お父さん……」
重たい言葉を、喉の奥から吐き捨てる。
「なんだ?」
優山は、千鶴を一瞥する。「あぁ、お茶のおかわりを――」
母親が優山の湯のみに急須からお茶を注ごうとした時だった。
「わたし、あるサッカークラブから誘いを受けていて、それに入ろうと思ってる」
千鶴は父親の雁首を介錯するかのように、磨きかけられた刀剣を振り下ろした。
「今、なにを言った?」
優山は唖然とした顔で、娘を睨んだ。
「私の話を聞いていたのか? お前が帰りが遅くなるのを心配してだな」
「それって、おねえちゃんがサッカーをしていたことが、帰りが遅くなったのが原因だから、殺されたことが理由だから?」
「千鶴、お前、なにを言って?」
優山は、自分に大声をあげている千鶴に虚を衝かれていた。
「わたしも、おねえちゃんがサッカーをしていたから、その練習で帰りが遅くなったから襲われて殺されたんだって、サッカーがおねえちゃんを奪ったんだって思ってた」
千鶴は、ゴクリと喉を鳴らす。
「でも、サッカーをしていた時のおねえちゃん、お父さんが言ってるみたいに集中力がないなんてことはなかったし、覚えが悪いなんてこともなかった」
「そ、それは、あいつがまだ華道というものがなんなのかというのを理解できていなかったからで」
優山は、千鶴をなだめようと困惑した顔で選択肢を選んでいくが、
「それじゃぁ聞くけどお父さん? おねえちゃんや私と同じくらいの時、華道が楽しいって思ったことあった?」
千鶴に問い質され、優山は言葉を見失った。
「た、楽しかったにきまっているだろ? 私はそれで家を継ごうと思っていたくらいだ」
「本当に?」
「あぁ、だからこの家の後を継いだ。それがいけないことか?」
優山は顔に手を当て、指と指の間から娘を見すえた。
「いけないことなんて思ってない。すごいことだって思ってる。でもわたしはこの家を継ぎたかったのかなんて聞いてない」
「それじゃぁ、なにが聞きたいんだ? そもそもわたしはお前がサッカーをやることは反対だ」
「わたしは『華道が楽しいって思ったか?』を聞いてるの。わたしもおねえちゃんもサッカーが大好きだけど、華道も嫌いじゃなかった。――ごちそうさまでした」
千鶴は両手を合わせ、食事を終える挨拶を済ませると、使った食器を重ね、台所へと運ぶと、そのまま自分の部屋へと引っ込んでいった。
優山は、千鶴を追いかけるように視線を向けていた。
「千尋が、あいつが華道を嫌いじゃなかった?」
優山は、華道を指導していた時の千尋のことを思い出していた。
教えることをすぐに否定したり、姿勢も正しくなかった。
家元の娘だとは到底思えないその為体なやり方を、優山は正そうとしていた。
千尋が、自分に反発して、華道を嫌いになっているのではないかと、優山がそう思うのも無理はなかった。
……なぜなら、
「あいつも――私と同じだったのか?」
優山も、千尋や千鶴と同じ年頃の時、父親である先代や、先々代から華道を教えこまれていた。
学校から帰ると、友達と遊ぶことすら許されず、家にいる時は常に華道、華道、華道……の毎日。
遊び下がりである子供が、一辺倒に同じことをさせられては、それに対して嫌気が差してしまうのは、なんとも当然のことである。
もちろん、それが大好きだと思っている人間にとってはいいことなのだが、それはあくまで本人がそういう気持ちで、物事に接していたかにもよる。
優山本人は、華道よりも他にやりたいことがたくさんあった。
もちろん、家族が自分に期待してくれているということは子供ながらに理解はしていても、逆にそれが重圧になり得る場合もある。
優山が中学の時、所属していた華道部の部員から畑流華道の家元の息子――というだけで期待され、展覧会に応募しても入選しなかったことに、次もあると励ます部員もいれば、家元の息子が小さな大会ですら入選できないという心ない言葉をつばと一緒に吐きかけられたストレスが爆発し、高校入学とともに、やりたかった野球を始めた。
もちろん、小学校から始めている部員に勝てるわけもなし、野球の才能もなかった。
だが優山は、野球を楽しんでいた。
高校を卒業し、大学生になったあたりから、再び華道に目を向けた。
この時、彼は思ったのだ。
今度は逃げずに、華道と向きあおう――と。
それからは飛ぶ鳥を落とす勢いと言わんばかりに、優山が発表した作品が次々と賞をもらい、周りからは、
「やはり畑流は伊達じゃない」
と賞賛を得るようになった。
優山は中学の時、どうして何をやってもダメだったのかがわかった。
やはり、自分が華道を最初から好きでなければいけなかったのだと。
その考えが、よもや、自分の娘たちに重圧をかけていたことすら気づかずに。
かつて、自分が父親にされたことを、今度は自分がしてしまっていたことに、気づこうともしないで。
「どこで間違ったのだろうか」
優山は、隣にいる妻に問いかけた。
「私は、どこであの子たちを歪ませてしまったのだろうか」
天井を仰ぎながら、苦しみを吐露するように優山はつぶやく。
「最初から、あなたの教えが間違っていたとは言いません」
妻はゆっくりと自分の湯のみに唇を添え、お茶を一口飲む。
「最初からか――」
「家を継ぐことも大事ですが、あの子たちはまだかわいいかわいいヒヨドリです。まだ世界も何も知らない、いいえ、自分がやりたいことも気づいていない」
妻はゆっくりと夫を見据える。「それはあなたが一番わかっているはずじゃない?」
「わたしがわかっていること?」
「あの子たちと同じくらいの時、あなたすごくつまらなそうに華道をやっていたでしょ? 小学校も入ってなかった千尋が、足をしびれさせているのに無理やり正座させていて、あの子本当は泣きたかったけど、お父さんが生徒の皆さんに大事な話をしていたから、終わるまでずっと我慢していたんですよ」
「そ、そうだったのか――」
意外な事実を聞いた、優山は、
「あの子も辛かったんだな」
と叩頭した。
「でもあなたが困るからって、あの子たちもあなたが好きですからね」
妻のことばが優山の心を抉る。
「私の育て方が間違っていたのだろうか?」
「あら? わたしの言っていることが理解できませんでしたか? あの子たちはあなたの作品を穴が空くほど見ているんですよ。それは花が綺麗だということも知っていて、はかないことも知っている。そしてなにより――作品を作っている時のあなたの横顔がカッコイイなんて言ってたくらいなんですから」
突然の言葉に、優山はカッと顔を赤くさせる。
「そ、そんなこと、千尋ですら一言も言っていなかったぞ」
あたふたと慌てふためく夫を見て、
「それはそうですよ。娘が仕事を真剣にしている父親に対して格好いいと思ってはいても、口にすることなんて滅多にないですからね」
クスクスと笑みを浮かべる妻。
「でもそれは、優山さんも同じだったんじゃないんですか?」
「わ、私も――いや、私もそうだったな。子供心に父や祖父が発表する作品がすごいと思っていた。これが華道なのかって心を打たれたこともあった。なにより花が生き生きと輝いていた」
「あの子たちはそれを、サッカーの中で見つけているんです。それにあの子たちは好きな選手がいるからという気持ちはないと思いますよ。プロはみんなすごいって思ってますからね」
「プロはみんなすごいか」
優山は、自分の考えが間違っていたのかという気持ちも拭いきれてはいなかったが、
「いや、そうだな。大きな大会で金賞を取れなくても、私は悔しいという気持ちもあったが、その作品を見た時、もっと花と会話をしていればよかったという自責感を覚えたことはあった」
畑優山本人が黒歴史であったと自負する中学時代に拝見した同年代の作品に、彼は家元の息子だということを恥じた。
もちろん受賞した作品の中には、他の家元の息子や娘が活けた作品もあったが、中にはそんなものに縛られていない一般人の受賞作品もあった。
そこで彼は一度心が折れ、華道から離れた。
そして再び、華道と向き合い、今や家元を継ぐようになったのである。
「それにあの子たちはまだ子供ですよ。やりたいことがたくさんあって時間が足りないくらいなんですから」
妻は小さく笑みを浮かべ、優山を見据える。
もう答えは決まっているだろう。
そんな視線だった。
「だ、だが――あの子がサッカーをやったとして」
「大丈夫ですよ」
あっけらかんとした妻の言葉に、
「大丈夫? どうしてそんなことが言える? 千尋が殺されたのは、あいつがサッカーをしていて、それで――」
優山は湯のみを叩きつけ、怒声を妻にぶつけた。
しかし、妻は優山の目から視線を放そうとしない。
「だけど、サッカーが悪いわけじゃないのはわかっているんですよね?」
その口元は微笑を隠そうとはしない。
「知っているんですよ? あなたがあの子たちに隠れて動画投稿サイトにアップされているサッカーの動画を見て、興奮していたことくらい」
「な、なぜそのことを? 家に誰もいないことを狙って見ていたのに?」
自分の秘密を暴露された優山は、声を震わせる。
「あなた、パソコンには観覧履歴っていうのが残るんですよ」
妻は、さぞ当たり前のように言った。「それに隠れて見るならスマホで見ればよろしいじゃないですか?」
「あんな小さな画面では満足せんし、やはり大きな画面で見たいと思わんかね?」
困惑した顔で言葉がしどろもどろとなっている夫に、
「それで、あの子たちがサッカーをやることは反対なんですか?」
妻はトドメを差した。
「はぁ……」
――ため息。
いや、つこうと思ってついたのではない。
優山は、千鶴から「サッカーがやりたい」と言われた時、
「どうして姉妹揃ってサッカーが好きになるのかね?」
千鶴の顔に、千尋の顔がダブって見えたのだ。
それに――、
「お前は、最初から千鶴の味方だからな」
優山が視線を向けた先で、平然とした顔で食事をしている妻を見据える。
男一人にたいして、女三人。
そもそも男性の語彙力に対して、女性の語彙力は数倍以上と言われているのが世の現状だ。
この組み合わせで、口論になれば勝てる見込みなどどこにもない。
「あとで千鶴の部屋に行くか。――それよりもだ」
食事を終えた優山は、茶で口の中を綺麗にしてから妻を一瞥すると、仏壇の方へと視線を向けた。
「どうしてさっきから、あの子たちなんて複数形で言っていたんだ? 話していたのは千鶴だけだったではないか?」
「あら、千鶴の味方になるのは、なにもわたしだけじゃないですよ」
妻の言葉を耳にして、優山は仏壇に飾られている娘――千尋の写真が、それこそ、
「なにを当たり前なこと言ってるの?」
と苦笑しているように見えた。「そうだったな。お前はいつも、誰よりも妹の味方だったものな」
「千鶴、起きているか?」
優山は千鶴の部屋の襖を叩き、中を確認した。
「お父さん?」
中から千鶴の声が聞こえ、こちらにやって来ようとしている足音が聞こえ、
「いや、そのままでいい。お父さんはお前にどうしてサッカーをやろうなんて思ったのかを聞きに来たんだ」
娘の歩みを止めさせ、壁を挟んだ親子の会話が始まった。
「お前も、おねえちゃんが殺されたのはサッカーをやっていたからだと思っていたのだろ? それがどうして今になってサッカーを遣りたいなんて言い出したんだ?」
「きょ、今日ね。クラスメイトの、日系ブラジル人の子とサッカーをしたの。そしたらもうひとりすごいボールテクニックを持っているクラスメイトもいて」
「お前はそんな子たちに感化されて、サッカーを始めようと思ったのか?」
「そうかもしれない。でもわたし――おねえちゃんよりもすごい人なんていないと思ってた。体育でサッカーをすることはあったけど、みんながすごいなんて思ったことなんてなかった」
千鶴はひとつ、ひとつ言葉を発する。
「でもね、それってわたしがおねえちゃんしか見ていなかったからだったんだって気づいたの」
「千尋しか見ていなかった」
「おねえちゃんがすごいって今も思ってる。でももしかしたらおねえちゃんよりもすごい人がいるんじゃないかって。だから本気でサッカーと向き合ってみたい」
その言葉に、優山は、
「姉妹というのはどうしてここまで似てしまうのだろうな」
と苦笑した。
いや違う。「私にも似てしまったのか」
「お父さん?」
「んっ? あぁすまないな」
娘の声に優山はハッと我に返る。「やっぱり反対なの?」
「そう思ったけど自分の気持ちを言ったのだろ?」
「うん、どんなに反対されたって、勝手にトライアウトを受けて入団するつもりだった。その時は事後報告になっちゃうけど」
それくらいがなんだ。
千尋が居なくなってから、この家にはなにかが欠けていた。
千鶴も同じように居なくなってしまうのではないか。
……違う。
「お父さんな、ちいさいとき、小学四年制の時に母親を亡くしたのは知っているな?」
「う、うん」
「その時、お父さんは泣いてはいけないと勝手に思い込んでいた。泣いたら母さんが悲しむと思ったからだ」
千鶴は祖母のことを写真でしか知らない。
だがその写真からにじみ出てくる優しさを感じ、話を聞く祖母のことは好きだった。
「そしたらな、母さんの弟――叔父さんが言っていたんだ。『泣きたい時は思いっ切り泣け』とな」
「思いっきり、泣け?」
「子供のうちは泣けるが、大人になるに連れて泣けなくなる。だから今のうちに悲しいことや苦しいことがあったら思いっきり泣け。――だから」
優山は襖の先に娘がいることは確信していた。
千鶴も、父親が襖を開ければ手が届く距離にいることも気づいていた。
それはおそらく偶然だったのだろう。
ふたりは、それこそ同時に部屋の襖を開けた。
「かわいい娘のわがままを聞けない父親がどこにいる? 思いっきりサッカーを楽しんでこい」
「わたし、おねえちゃんよりもすごいサッカー選手になりたいっ!」
バンと、空気をつんざくほどに襖が壁にぶつかる。
それこそふたりとも同じタイミングで言葉を発したため、
「あれ?」
と互いにけげんな顔つきで首をかしげる始末。
「ふたりとも、食後のデザートはアイスクリンですよ」
二人を呼びに来た母親が、廊下で見つめ合っている父娘を見て、
「どうかしたんですか? そんなところで」
と首をかしげた。
「いいの?」
「お前が遣りたいと言ったんだ。だが途中で逃げ出すな。逃げ出せばたとえお父さんでも拳骨じゃ済まないからな
握り拳をつくる父親を見て、「わかってる」
そう言うと、千鶴は玄関の方へと歩みだした。「千鶴、どこに行く?」
「友達に電話。わたしもトライアウト受けられるようになったって」
そう言葉を発する千鶴の顔に暗澹とした翳はどこにもなかった。
「千尋、あいつを守ってやってくれ。あいつがお前の代わりじゃなく、あの子にしかできないことを一緒に応援してやってくれ」
優山は、そう心から願った。
その後、千鶴から、サッカークラブのトライアウトに参加できると連絡を受けたサラが、千鶴が受話器から耳を遠下げるほどに、
「やったぁ! やった! これでチヅルと一緒にサッカーが思いっきりできますぅ!」
と、欣喜雀躍していたのは言うまでもなかった。




