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「それじゃぁBチーム一年から三年で六人ずつに分かれてください」
プロ女子サッカーチームスクレイバーFC下部組織『マライアSC』Bチームキャプテンであり、サイドバッグを請け負っている三年の三國椎奈先輩の、ハツラツとした声がBチームが練習に使う第2グラウンドに響き渡った。
「椎奈先輩、こっち人数足りません」
一年の長瀬優衣が腕を大きく伸ばしアピールする。そちらに視線を向けると、優衣のほかに、松川先輩、一年サイドバッグの平河洋子、三年センターハーフの蒲生瑞希先輩――そして裕香の五人。
「あっと……」
三國先輩はベンチの横で松葉杖を突いて、みんなを見ていた私に視線を向ける。
「もしかして、私も入れて計算してませんでした?」
Aチーム二十人。Bチーム三十人の選手が所属しているマライアSCである。私が入ればちょうど三十人ではあるけど……。
「それじゃあぁ長瀬さんたちのところは五人でお願いします」
私は、ちらりと裕香や優衣たちのほうに視線を向けた。裕香がこちらを向き、肩をすくめている。
はやく直して一緒にしよう。そんなふうにいわれている気がした。
そんなの私が一番わかっている。だけど変にハードワークをしてしまうと次に怪我をしたときそれが癖になって余計に怪我を長引かせてしまうと和成おにいちゃんや海老川先輩から注意を受けたことがある。
だけど二人とも共通して、怪我をしていた間、からだを思い切り動かせなかった鬱憤払いは完全に全力で動けるときに、試合の時にしろとも言われた。
だから今は我慢している。
心は、体は、今か今かと徒競走のピストルがなるのを待っているかのようにうずうずしていた。
それも仕方がないか――と、心の中で笑みを浮かべる。
ここ最近、外から刺激を受けることが多くなってきたからだ。
☆
「チヅル、フルグパスの練習をしましょう」
昼休み、サラがサッカーボールを抱えながら千鶴に声をかけていた。
「す、すこし休ませて。わたしご飯食べたら胃の調子が悪くなるから」
机に突っ伏したように体を丸くしていた千鶴が、サラを見上げるように言う。
「おう……、でしたら放課後にしますか?」
「いや本当にちょっと休めば収まるから。ほんと小さいときからなんだよなぁ――」
千鶴はおなかをさすりながらつぶやいた。別に胃腸が悪いわけじゃない。
ようするに胃の消化がすこし悪いのである。吐き出すことはないが、吐き出しそうな嫌悪感がいつもあった。すこし、ほんのすこしだけ休めば治るので、千鶴自身あまり心配はしていない。
「それからフルグパスってなに?」
「ボレーパスのことです」
いつもの癖でドイツ語を使ってしまったサラは、千鶴に頭を下げた。
千鶴自身気にしてはいないし、知らないドイツ語を知るのもまた子どもながらに楽しくはあった。
…………三分後――。
「気分は大丈夫ですか?」
サラが心配そうに千鶴に声をかけているが、今すぐにでもグラウンドに飛び出して、サッカーの練習がしたいといわんばかりにそわそわしている。
「うん、大丈夫。ごめんねサラさん心配かけて」
「そんなの気にしないでください。それとサラです」
サラは頬を膨らますように、呼び方の訂正を促した。
「それじゃぁ、どんなのをやるの?」
グラウンドに出た千鶴とサラは、向かい合うように立っていた。
「わたしがボレーでチヅルにバールをパスします。チヅルもボレーでワタシに返してください」
「走りながら?」
「それもありです。それじゃぁ、あの線までを一回にしましょう」
サラはハーフウェイラインを指差した。ちょうど二人がいるのがペナルティーアークのライン上となるため、おおよそ20メートルの距離だ。
が、千鶴の中でひとつの疑問が出てきた。お互い、横に並んでボレーを出すと、一方の足しか使わないのではないかと思ったのだ。
「サラさん、利き足ってどっちですか?」
「右です」
その言葉どおり、サラは右側に陣を取っていた。「わたしも右なんですけど」
「でも両方使えないと困りますよ。折り返しのときはワタシの方が左になるんですから」
言われてみればたしかに。両方使えないと咄嗟の反応なんてできない。
「それじゃぁはじめます」
言うや、サラはボールを右足裏で左足の前に引き寄せ、ボールが左足に乗ったところでジャンプする。左足が着地したところで右足でボールを拾いリフティングを開始する。
「かっこつけなくてもいいと思うけど」
ボールが取れやすいように、千鶴はすこし前を走り出した。
「チヅルッ!」
サラが右のインサイドで千鶴にパスを送った。「落としたらダメですよ」
要するにボールを落とさないで、ハーフウェイラインまでいけるかどうか。
「よっと」
千鶴はボールを左のインサイドで自分が取れやすいほうにボールを上げた。
向かってくる相手がいることを想定して、ボールを左腿でリフティングしつつ、サラが自分よりもすこしあがったのを確認して、
「サラさんッ!」
左足のインサイドでボールをサラのほうへと蹴り上げた。
「ナイスッ!」
そのボールをサラは特に無理するわけもなく、易々と右のインサイドで自分の方へと蹴り上げる。そして千鶴とはすこし違って、右のトーでボールを次の動作がしやすいように蹴り上げ、「はいッ! チヅルッ!」
右のインサイドで先を上がっている千鶴のほうへとボールを蹴り上げた。
これを何度か繰り返し、ハーフウェイラインを越えたあたりで、元のペナルティーアークまで往復。使う足も左右逆になった。
「ゴールッ!」
最後にボールを受け取ったサラが、ペナルティーアークに足を踏み入れるや、安全対策のために倒されていたサッカーゴールに向かってボレーシュートを放った。
ちょうどネットがコートの外側にむいていたこともあって、ボールはゴールの奥のほうへと入り込んでいく。
「サラさぁん?」
さすがの千鶴も、これにはすこし頬を膨らませていた。
サッカーゴールがきちんと立てられているのならばボールを取ることは簡単だ。
しかし今ゴールはうつむいて倒されている状態であるため、潜り込まないとボールが取れない。
「んぅん、思わずシュートしてしまいました」
サラは苦笑をうかべる。
「まったく」
自分もそんな状況になったらシュートしていただろうなと一瞬思ってしまったため、怒るに怒れなくなった千鶴は肩を落とすように、四つん這いになってサッカーゴールの中へと潜り込んだ。
「チヅル、ちょっと一言いいですか?」
サラはボールを取りに戻ってきた千鶴に声をかける。「なんですか?」
「ボールを取るときスカートにネットが引っかかったみたいで、ちょっとショーツが見えてました」
言われ、千鶴は完熟したトマトのように顔を真っ赤にした。「かわいいウサギの」
「わぁー、わぁー、わぁー」
サラの言葉をかき消すように、千鶴は大きな声を上げた。
「おぅ、なんでそんなに恥ずかしいですか? すごく可愛かったですよ」
「別に女の子に見られたくらいだからあまり気にしないけど、でもあんまり男子の前で言わないでよ?」
千鶴の迫力ある顔に、サラは思わず「ワカリマシタ」
と言わざるを得なかった。
「それじゃぁ、もう一周しましょう」
ポンッとサラは手をたたいた。「今度は千鶴が右で、ワタシは左サイドから上がりましょう」
こうやって気分を切り替えるのが上手いのがサラのいいところだろうなと、千鶴が思っていたときである。
「ふむふむ、千鶴どのの今日のパンツはウサギのプリント……と」
なにやらよからぬ声が聞こえ、千鶴はそちらに視線を向けた。
校舎側のタッチラインにショートヘアーにポンパドールの活発そうな女の子が立っている。すこし厚めのトップスと、膝小僧がすこし隠れるくらいのデニムのスカート。その手には小さなノートと鉛筆が持たされていた。
璃庵由学園は学園と呼ばれているわりには、初等部のみ基本どこの小学校とおなじで自由な服装である。(もちろんTPOはわきまえている体で)
千鶴はすこし少女っぽい文字がプリントされたトップスとひざ下までのスカート。
サラは運動がしやすいように、無地のトップスと、ひざ小僧がのぞくほどのハーフパンツ。
二人とも共通して、長い靴下を履いている。寒さ対策ではなく、怪我予防のためである。
今は学校の中でやっているので入れてはいないが、本気でサッカーをするのならば、ストッキングの中にすねあてを入れたいとさえ思っているところだった。
「えっと?」
ただ見たことのない生徒だったため、千鶴はどう反応すればよいかわからず、首をかしげていた。
「あ、某のことなんぞ気にせず、思う存分練習にはげんでください。自称夏川日向、ここでおふたりのプレイをじっくり見させていただきます」
言うや、少女――夏川日向はその言葉どおり、ジッと千鶴とサラを注視しはじめた。
メモ帳を開き、鉛筆をグッと握っている。さながら見学というよりも、むしろ観察に近い。
「……どうします?」
千鶴がちらりとサラを見た。別に邪魔をしないと言っている以上、無下な扱いにはできなかったからだ。
「一人より二人、二人より三人です。よくいいます。女の子三人寄らば近所迷惑」
サラは満面の笑みを浮かべるように日向を見ていた。
「それをいうなら、『~かしましい』じゃ」
千鶴はサラと付き合うようになって、自分がどれだけ視野が狭くなっていたのかがすこしずつわかってきていた。サラほど積極的に友達を作れば、ふさぎこまなかったのかもしれないと。
「ところであなた別のクラスの――」
「いえいえ、違います。某もおふたりと同じクラスですよ。まぁあまり学校に来ていなかったので知らなかったというのも無理はありませんが」
両手の平を千鶴たちに見せて否定するような素振りを見せる日向に、千鶴とサラは小首をかしげた。
「家族で劇団をやっておりまして、その公演のために県内やちょっと離れたところとか色んなところに行ってますから学校を休みがちになるんです。あ、勉強は心配しないでください。教科書とノート、それと筆記道具。教えてくれる人がいればどこでも教室です」
「サッカーもボールと蹴る相手がいれば、どこでもプレイできます」
言い返すようにサラも胸を張るように言う。「張り合うようなことじゃないと思う」
千鶴はちいさく嘆息を吐いた。どことなく似た雰囲気の二人から板ばさみになっていたからだ。
日向は軽めの準備運動を終え、千鶴とサラの和の中へと入る。
「それじゃぁ、まずは軽く」
三人がちょうど三角形の形になるや、サラはボールの下を右のトーで日向の方へと蹴り上げた。「おっと」
日向はそれを右のトーで受け止め、「千鶴どのッ!」
ボールをダブルタッチで千鶴のほうへと蹴り上げる。
千鶴は無理なくボールを右足の甲でつかむイメージでボールを受け取った。
熟練されたサッカー経験者はボールの蹴り方、ことパスひとつにとっても相手の性格がわかると言う。
日向のボールはやわらかく、相手がクリアしやすいように大きく半円を描いている。
ともなれば、千鶴は日向という少女が自分が思っている以上にサッカーが上手いと感じるのも必然的なものであった。
「チヅル、今度は言われたほうの足で受け、相手にパスしましょう。三人とも右利きみたいですから」
「おお、さすがサラどの。一瞬で某の利き足を見抜くとはさすがであります」
別に特別なことを言ってもいないのに、感銘を受けたような声をあげる日向。
「だったら、左ッ!」
千鶴は言葉を発しながらボールを右インサイドで蹴り上げた。
サラはボールを左のインサイドでトラップし、「ライトッ」
左のインフロントで日向の方へと蹴り上げる。
日向はボールを右のインサイドで上げ、「千鶴どの、『かみ』ッ!」
右のインステップで千鶴のほうへと蹴り上げたが――。
「ふぇぇっ?」
千鶴は日向の言葉に困惑する。左右どちらの足でリフティング、もといクリアすればよいのかわからず、ボールを落としてしまった。
「おぉ、何をしてるんですか?」
「いや、今のはわたしが悪いの?」
小さく笑うサラを横目に、転がっていくボールを追いかけていた千鶴が文句をのべた。
「す、すみません千鶴どの。普段父や母たちからそのように言われ続けておりましたから、混乱させてしまいましたね」
日向は千鶴に頭を下げた。
「夏川さん、『かみ』ってなに?」
ボールを日向のほうへと蹴り上げ、千鶴はたずねた。
「『上』は観客席から舞台のほうを見て右のことを言います。『下』は左のほうですね」
そう説明しているなか、日向はボールを左のインサイドで蹴り上げ、ボールを左の太ももでリフティングする。
「そういえば、結構ボールコントロールが上手いですけど、サッカーをしていたんですか?」
「小姓夏川日向、体力づくりとバランスを鍛えるためにリフティングをたしなんではおりましたが、こうやってちゃんとしたサッカーをしたことはあまりありません――下」
日向はボールを左インサイドで千鶴のほうへと蹴り上げる。「チヅル、さっきみたいに落とさないでください」
サラが茶化すように言った。「はいサラ――ウサギッ!」
千鶴は、日向からのボールをノーバウンドで左のインサイドを使ってサラのほうへと蹴り上げた。
「えっ? ウサギ? ラビット?」
困惑した顔でサラはボールを左のトーで蹴り上げるが、ボールの蹴りどころがわるかったこともあり、ボールがこぼれるように転がりだした。
「チヅル、いったいどっちで蹴ればよかったんですか?」
サラがひざまずき、頬を膨らませながら千鶴を見上げた。「人の失敗を笑うからです」
そんなサラを千鶴は嘆息をつくように見かえす。
「あはは、おそらく十二支のことをおっしゃっているのでしたら右の方ではないでしょうか? 北を向いたとき、四番目の卯は東――右になりますから」
千鶴とサラ、二人の様子をみて、日向はカラカラとわらうように説明をする。
「でしたら、素直に右だと言ってほしいです。人をからかうのはよくありません」
サラは小さく悲鳴をあげるように文句を言った。
「ふたりがそのつもりだったら――私はドイツ語を使って」
ボールを取りに走ったサラが、ちらりと千鶴と日向のほうへと視線をむけた。
そのとき見せた悪魔のような天使の笑顔に、
「「さすがにそれだけはやめて」」
と、サラの復讐心を察した千鶴と日向の否定的な声が重なった。
――同時に、昼休み終了のチャイムが鳴り響くのだった。




