王宮の不審者
クルムが熱く語ってくれたおかげで、すっかり夕食を食べ損ねてしまった。
グレイは腹をなでながら与えられた自室へ戻る。
そもそもここでの食事システムを理解していないから、どこで何を食べたらいいかわからないのが困ったところだ。
グレイは部屋の中の引き出しを、何か食べるものはないかとあさり出す。
その姿はまるでコソ泥の様であったが、咎める者は誰もいない。
しばらく部屋を漁っていたが、何も見つけられなかったグレイは、諦めて肘置きのついた椅子を運んできて窓を開け放った。夜の空気でも吸いながらのんびり思索して過ごそうという魂胆である。
正直な話、今更になって立身出世には興味がない。
直接認められればうれしくなるが、じゃあこんな魔窟と呼ばれるような王宮でピリピリと過ごしたいかと尋ねられればノーだ。
そもそも大昔に暴れちゃったことがあるので、ばれたら何が起こるかわからない。
クルムの語る言葉は立派だったが、なんとなぁくグレイの心には刺さらなかった。
まず王になるということは、汚い王宮の権力闘争を制するということである。
まずもってグレイなんかに声をかけている時点で、後援者や味方がほとんどいないことが露呈している。グレイは自己評価を低く見積もっているわけではないけれど、王宮から見ての自分の評価が低いことくらいは理解しているのだ。
いくら褒められたって、それが揺らぐほどに甘い人生は送ってきていない。多分。
せめて理想を語るのならば具体的な道筋が見たかった。
ほうほうなるほどと感心するような何かがあればよかった。
それができればグレイだってちょっとは前のめりになれたはずだ。
いくら強い感情を見せられたって、『こいつ本気で王になるつもりあるんかな?』と思わせてしまった時点でクルムの負けである。
それでもグレイがこの場に残っているのは、ただただ引き受けてしまったからという理由だけである。ちゃんと精一杯の歓迎もしてくれた。
だからグレイは、クルムが駄目だと気づいたときに、他国へ逃がしてやることくらいはしてやろうと思っていた。一応途中で諭してみるつもりだが、死ぬまで気付かなければそれまでだ。
その時は心中なんかせずに、すたこらサッサと逃げ出すつもりでいる。
「あ奴らはどうして人を陥れてまで王なんかになりたいんじゃろうな」
王なんて兄弟蹴落としてぶっ殺して、貴族にいいように使われて、子をたくさん作り孤独に死んでいくろくでもない仕事だ。あんなものになりたいという気持ちがグレイにはさっぱり理解できない。
グレイは世に認められずにこの年まで過ごして来たが、教え子と心通わせる機会があった分、王なんかよりはまだ豊かな人生を歩んでるんじゃないかと自負している。
というかこれは、王なんてそんな人生を送っていろという、グレイの偏見の混じった考えでもあるのだけれど。
眠くなってきたところでベッドで休み、翌日の朝。
窓を開け放ったまま寝たせいか時折くしゃみが出るが、変わらず元気なグレイである。
開口一番で昨晩白熱してしまったことを謝罪してきたクルムは、朝食を食べながら毎日のおおよその流れをグレイに伝える。
朝食をとったら勉強。
昼夕はクルムを後押ししてくれるものと会食。予定がなければ私室付近に用意されている食堂で食事。
午後は新たな後援者探し。
そんな感じで毎日を過ごすのだそうだ。
午前中の勉強に関しては、外から人を招いても良いし、教育係が独断と偏見によって決めても良い。
「ふむ、なるほど」
「しかし今日のところは王宮の案内をさせていただこうかと。先生がお一人で動くことは滅多にないでしょうけれど、迷ってはことですから」
「では頼むとするかのう」
確かに王宮のことをよく知らないと、うっかり入ってはいけない区画に入ってしまうこともあり得る。それが王のプライベート空間だったりしたら大変なことだ。
たいていの場合はその前に兵士に止められるだろうけれど、入ろうとしただけでクルムの評判すら下げることになるだろう。
一応城内の大まかな形は頭の中にあるはずのグレイであったが、いざ思い出してみると朧げな部分があちこちにある。そも五十年以上前のことであるから、今は大幅に改装が施されていることは間違いない。
素直にクルムの厚情に甘えることにしたグレイである。
食事を終えれば身支度を整えて王宮見学に出発だ。
身支度を整えるといってもグレイのやることは、鬚に櫛をかけ、いつも通り妙な色をしたローブを羽織り、フードを目深に被るだけである。
「あの、大変申し訳ないのですが、フードだけでも取っていただくことはできませんか?」
本当は小汚いローブも立派なものに変えてほしいクルムである。
部屋のクローゼットには地味ながらも威厳のありそうなローブを山ほど用意しておいたのに、どうしてこれにこだわるのか。
クルムは真剣に悩んでしまっていた。
「すまんのう」
答えはフードがなくて顔を隠せない、なのだが、グレイの背景を知らぬクルムにはそこまで思い至らない。
「そうですか……」
流石に他の身分の高い人に言われればローブを外してくれるだろう。頼むからそうしてくれ、とクルムは願いながら、酔っ払いと若い兵士の間を抜けて王宮の案内を始めるのであった。
廊下を歩けば人が振り返る。
クルムが振り返られるほど美人だから、というわけではない。
背の高い老人が、顔を隠して堂々と王宮内を闊歩しているからだ。
その上そこらで訓練をしている騎士を引っ張ってきてもいい勝負ができるほどに、胸が厚くて肩幅が広い。長く白い鬚を見れば老人だとわかるのに、その体格は異様であった。
というか、王宮で顔を隠すんじゃないというのが、ほぼすべての人の共通意見である。クルムもその気持ちがわかるから、今は覚悟を決めて顔を上げて歩いているが、本当は恥ずかしくて仕方がない。
しかしいつもだったら嫌みの一つでも言ってくる貴族ですら、不気味なものを見るような目で避けていくものだから、それ以外の余計なストレスがかからずプラスマイナスややマイナス程度か。
おそらくここ数年では初めて、王宮をうろついても誰にも嫌味を言われないという偉業を達成しつつ、自室へ戻ろうとしたところで、クルムはハタと足を止めることになった。
視線の先には一人の青年。
引き締まった肉体と、青みがかった黒髪。
背中に背負った剣を見れば騎士のようでもあるが、彼もまた立派な王位継承者候補。クルムの兄の一人であった。
クルムは足を止めたままやり過ごそうとしたが、その青年は従者に何かを囁かれると、くるりと向きを変えてやってくる。
「お帰りなさいませ、お兄様。お加減は……」
「クルム。得体のしれないやつを王宮にいれるのはやめろ」
青年は自分よりも背が高い得体のしれない老人、グレイをまっすぐに睨みつける。
「……私が選んだ教育係です。いくらお兄様と言えども従うわけにはまいりません」
どう切り抜けるのかと様子を見ていたグレイは、クルムのはっきりとした態度に驚いた。普段であれば柔らかく対応しそうなものだ。
可能性としては、この青年もまた立場が弱いか、あるいは個人的に何か思うところがあるのか。
元大犯罪者である上に顔を隠しているという、圧倒的不審者の極みであるグレイは、悠々と事の行く末を見守るのであった。




