空回り
めちゃくちゃ面倒くさいことに巻き込まれたことに気づいたグレイであったが、窓からひょいっと逃げ出したりはしなかった。
やろうと思えば難しいことではなかったが、ここに至るまで、一応クルムはグレイに対しての筋を通している。
言わなかったことはあれど、嘘はついていない。
調子に乗って安請け合いしたのはグレイの勝手であり、一方的に約束を破る気にはなれなかった。
少なくともクルムは、本気か演技か定かでないにしても、市井の冒険者でしかない爺に対して敬意をもって接してきた。それだけでも、グレイが大嫌いな糞王族とは一線を画した存在であるのは確かだ。
もう少しだけ様子をみたっていい。
大人しくソファに身を沈めて待っていたグレイの部屋がノックされる。
声をかけてきたのはウェスカで、どうやらクルムの準備ができたから足を運ぶようにとの話らしい。
通されたクルムの部屋は、想像していた通り中々に豪華であった。
この部屋だけで生活が完結するよう、一通りの設備が整えられており、壁には窓が設けられていない。やろうと思えば立てこもりだってできるだろう。
壁を壊されるまでの話だけれど。
「そちらへおかけください」
言われるがままにテーブルセットの椅子に腰を掛けると、クルムは手ずから茶の準備をする。カチャカチャとポットをいじり、茶葉の入った瓶の蓋をあけたり閉めたり繰り返している。
手順は間違っていないものの、慣れていなさそうな動作である。
グレイはため息をつきながら立ち上がった。
「儂がやろう」
「いえ、お招きしたのだから私が歓迎を」
「良い、慣れぬことをするものではない」
グレイは皺だらけの大きな手を伸ばして、クルムからポットを取り上げる。
用意されている道具は使用感のないものばかりだ。
茶葉はグレイが先ほど家で用意したものと同じで、保管のための瓶ですら真新しい。
怒る気にも呆れる気にもならなかった。
おそらくクルムは普段、茶を入れることなどないのだ。
王女なのだから当たり前だが、ならばなぜ今普段やらないことに挑戦しているのかという話になる。
「申し訳ございません」
「なに、儂は茶を入れるのが好きなんじゃ。こだわりが強くて、いくら王女様と言えど人に任せるのはちょっとのう」
答えは簡単である。
下調べでグレイが茶を好むことを知って、少しでも良い印象を与えるために準備をしたからだ。
自ら働くことで、グレイにより良い印象を与えようとしたのだろう。
あるいは、ここにいれるほど信頼できる使用人がいない可能性すらもあった。
どちらにせよ、いじらしい努力を馬鹿にするほどグレイは子供ではない。
努力には報いを。
恩には恩を。
報われない人生を送ってきたからこそ、そうあって欲しいと願って行動してきた。
グレイの信条でもある。
因みに、やられたことは倍以上で返すのもまた信条である。まともそうに見えてまともではないのが、このグレイという老人の難しいところだ。
グレイが手際よく茶の準備をしている間に、クルムは茶請けとして甘さ控えめバター控えめのぼそぼそクッキーを用意したようだ。
これもまた、グレイが好んで食べている一品である。
いつから観察をされていたのだろうと考えて、なんかちょっときもいなと思ったグレイだが、そんなことはおくびにも出さずに静かに茶を注いでいく。
ストーカーがきもい話はともかく、失敗を引きずらずにてきぱきと動くクルムの姿は、グレイの目にも好ましく映った。多くの子供たちを育てて見送ってきたグレイだからこそわかるが、十代前半でこれだけメンタルが強い子も珍しい。
その奥底には確固たる信念があろうことが感じ取れる。
準備が終わってようやく椅子に腰かけたグレイは、あえて誰よりも先にクッキーをつまんでみる。
プライドの高い王族であれば、ピクリとくらい表情が動くだろうと思ったが、クルムは少しばかり探る様な視線を向けてきただけだった。
口に広がったぼそぼそに薫り高い茶を加えてやると、ふわりと僅かなバターの香りが広がり味が完成する。
うまい。
こくりと飲み込めば、クルムはグレイの好みのものを用意したことを誇ることもせず、目を伏せて小さく頭を下げた。
「先ほどはご不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。お察しいただけたかと思いますが、わたくしの王宮での立場はそれほど高くありません」
「そのようじゃな」
「先生は王位継承権の争いについてもお詳しいようですね。教育係と聞いたときも、何一つ質問をされませんでした。もしや王宮にご友人がいらっしゃるのでしょうか?」
「いや、おらんよ。王都で暮らしていれば、あんな端の方でも王宮の噂くらい入ってくるもんじゃ」
すでに友人はいない。
友人だったやつはいるかもしれないけど、そいつらは王都へ帰ってきたというのに一度も家を訪ねてこなかった薄情者なので、友人の枠からは除外することにしたグレイである。
あと教え子とかは何人かいそうだけれど、こちらも友人とはちょっと違う。
嘘は何もなかった。
あとはちょっと隠者っぽくかっこつけてみただけだ。
うまくきまったと、グレイは長い顎鬚をなでる。
「それは先生だからこそです。常人ではそうはいきません。……王位継承権の争いに関しても、説明は不要ですか?」
聞いたのは結構昔のことなので、細かいルールとかはまだ全然思い出していない。
だからできることなら詳細に聞いておきたいところだが、グレイはゆっくりと首を縦に振った。
なぜならその方が何でも知ってそうに見えてかっこいいから。
真面目にやればそのうち全部思いだせるはずだと高をくくっての、先ほどに続くカッコつけである。
「しかし望みだけ聞いておこう。お主は儂を教育係にしてこの先に何を望むのだ?」
先ほどまでと違って、この質問は結構本気だ。
半日足らずの付き合いではあるが、グレイはクルムが糞王族とは違うと感じている。そうであったらいいなと願っている。
「もちろん、王位を」
「本気かの?」
グレイが空色の目でじっとクルムを見つめても、態度は一切変わらなかった。
「はい」
「……ふむ、そうか」
一番望まぬ答えが返ってきた。
グレイはそっけなく答えてティーカップに目を落とす。
もてなそうと努力してくれたことはわかった。
しかし、信頼関係ができたわけではない。
グレイだって何一つ自分の事情を開示していないわけで、そんな状況でクルムばかりに本音を望むことは酷であることはわかっている。
グレイの気持ちとしては本当に、『ふむ、そうか』という感じであった。
怒っているわけでも、呆れているわけでもない。
「まぁ、そうじゃろうな」
少々前のめりに熱が入り始めていたのが、ちょっと冷めた。
それだけのことであった。
◆
クルムはなぜ王位を望むのか、熱を込めて語る。
少女らしい理想を以て語る。
そのすべては理に即していたし、そう悪いものではなかった。
もしクルムが王になれば、そう悪くない治世が始まるのだろう。
そのはずなのに、それが伝わっているはずなのに、グレイはどこか上の空であった。
その雰囲気は、当然クルムやウェスカにも伝わる。
それでもクルムは必死に語った。
クルムには後がないのだ。
この老人を何とかして味方につける必要があるのだ。
半端では困る。
ウェスカのような、絶対に他所へ向かない忠誠心を手に入れる必要がある。
しかし、熱がこもればこもるほど、クルムはどこか泥の中でもがいているような嫌な感覚を覚えていた。
それでも今は動くしかない。
時に涙を溜めて、時にテーブルを叩いて、語る、語る、語る。
グレイを味方にするために用意した言葉を語りつくす。
「さて、老人はそろそろ休む時間じゃな。うむ、若いながら大したものじゃ」
グレイが、息も絶え絶えになりながら語り終えたクルムに対してかけた言葉であった。
「気持ちがこもりすぎたようで、時間を使ってしまいました」
「若いのだからそれくらい元気な方が良い。では儂は部屋で休むとするかのう」
グレイは優しい。
優しいのに、今のクルムはそのなんでも見通していそうな碧空のまなざしに見つめられるのが怖かった。呼び止めなければならないのに、声をかけられないまま、グレイの老人とは思えぬほどに広い背中を見送ってしまう。
ぱたりと豪華な扉が閉まる。
しばしの沈黙。
それからクルムは平手でテーブルを思いきり殴りつけた。
部屋の防音はばっちりだ。グレイにはこの音は聞こえない。
「どうすれば……っ、良かったの!」
自問自答であった。
時間がないなりに環境は整えた。
人柄を計算に入れて、心ひかれそうな言葉を準備した。
なのにこの手ごたえのなさはなんだ。
「なんとか……、何とかしなきゃいけないのに……」
こぶしを握り、言葉を絞り出すクルム。
ウェスカはかける言葉も見つけられず、ただそこに立ち尽くすしかなかった。




