王女の立場
庭園に面した長い廊下を通り抜けていくと、やがて王族とその側近が暮らす、プライベートな区画へ差し掛かる。
クルムが通りすがる者にふんわりとした笑みを湛えながら挨拶をすると、大体の場合は取り繕ったような笑顔で挨拶を返される。本当は声をかけてほしくないと思っているのが見え見えであった。
時には仏頂面で普通に返事をするものがいたり、使用人という身分であるにもかかわらず無視を決め込む者もいたが、それは特殊な例だ。
それほど長く歩くことなく、クルムたちは一つの扉の前にたどり着く。
扉の両脇には兵士が立っていたが、その態度を見れば彼らがクルムに忠誠を誓っていないのが一目でわかる。
片方は酒臭く、槍を杖のようにして船を漕ぎ、片方はいかにも新人らしい若者で、閑職に追いやられた不満の顔を隠そうともしなかった。
クルムがそんな二人に「ご苦労様です」とねぎらいの言葉をかけると、酔っ払いは慌ててシャンと背筋を伸ばし、若者の方は首だけで軽く会釈をした。
いつものことだからなのか、ウェスカはそんな二人に怒りもせず扉を開けてクルムを中へ招き入れる。
グレイもその後に続き中へ入ると、短い廊下にいくつかの扉が並んでいた。
突き当りにある特別豪華な扉の先が、クルムの部屋にあたるのだろう。
使用人たちからはあんまりな扱いをされているようだが、与えられた空間自体はそう悪くない。少なくとも、すっかり遠い記憶となってしまったグレイの生家よりはかなり金がかかっている。
クルムは数歩進んで最奥の扉の前で振り返り、華麗な仕草で頭を下げる。
「ここが私に与えられた場所。そしてこれから先生がお過ごしになる場所です。私の私室はこちら。先生のお部屋はこちらで、その向かいがウェスカの部屋となります」
王女自ら指示した部屋の扉は、クルムの部屋のすぐ隣。
本当にどこの馬の骨ともわからないグレイを、身近に置くつもりであるらしい。
「中にあるものは全て先生のために用意したものです。しばしおくつろぎください。足りないものがあれば何なりと。身支度を整えてから、後ほど改めてお声掛けさせていただきます」
なにか引っかかる言葉があったが、会話のテンポを重視するためにグレイは鷹揚に頷いて答える。理解力の低い馬鹿だとは思われたくない。
「厚遇に感謝しよう」
「いえ。一蓮托生ともなる教育係をお引き受けいただいたのです。これくらいではまだまだ。それでは、また後程」
言うだけ言ったクルムは、ウェスカが開けた私室の扉をくぐり姿を隠す。
一蓮托生という言葉について思考しているうちに、ウェスカもまた「また後程」と声をかけて自室へと籠ってしまった。
さっきからなんだか言葉の端々に気になるものがありながらも、グレイは扉を開けて用意された部屋へと足を踏み入れる。
入ってみればその部屋は、これまでグレイが住んでいた家全体ほどの広さがあった。床には足で踏んで良いのか悩むほどのふかふかの絨毯が敷かれ、家具もシンプルでありながら高級感の漂うものばかりが用意されている。
色合いは渋く抑えられており、まるでグレイの好みを把握して準備されたような部屋であった。
「ふーむ……」
荷物を入ってすぐのボードに置いたグレイは、足の裏から跳ね返ってくる慣れない絨毯の感触を気持ち悪く思いながら、堂々と部屋の真ん中を歩いていく。
そうしてダークブラウンのカーテンと窓を開け放って部屋に風を取り入れた。
初春の気持ちよい風が、庭園に咲いた花の香りをふわりと室内へ運んでくる。
血みどろの魔窟の癖に、何もないときはこうしてさも優雅であるよう擬態しているから恐ろしい。
なんか冒険者時代にそんな魔物いたな、とか思いながらグレイは「よいせ」という掛け声とともに、ソファに体を投げ出した。
まるで尻やら腰やらを包み込まれるような最高級の感触に「ほほっ」と思わず声を上げてから、グレイは急に真面目な顔をして先ほどの言葉について考える。
調度品からして、『先生のために用意したもの』というクルムの言葉は間違いないようだ。どうやらクルムが数日前から自分を迎え入れることを計画していたようだとグレイは察する。
だとすればグレイが引っ越しの準備をしていたこともクルムは知っていたはずだ。
そうなってくると馬車の業者が夜逃げしていたことにも、なんだか陰謀めいたものを感じてしまう。王族なら欲しい者のために、あの程度の商家一つ潰すくらい簡単にやってのけるだろう。
わざわざ察せるように言ってきたのは、暗にグレイに対する謝罪をするためか。
まぁ、はっきり言ってあの馬車業者のことはグレイも嫌いだったのでざまぁみろくらいにしか思っていなかったけれど。
なにせグレイが依頼をしに行ったとき、態度も悪くじろじろと値踏みして、前金を払わないと引き受けてすらくれなかったのだ。そこまで考えてから、グレイは前金を持ち逃げされたことに気が付いた。
ますます腹立たしくなってきたので、できることならクルムがあの業者をきっちり潰してくれていることを願うグレイである。
それからもう一つ気になったのは、一蓮托生、という言葉。
かすみがかった遥か昔の記憶の糸を手繰り寄せるグレイ。
確かに十代の若い頃には、木っ端貴族であったグレイにも王族の友人がいたのだ。
なよなよとして病弱であり、心根こそ優しかったが、とても王位継承争いができるような男ではなかった。それでも母の身分が高かったため、立場としては相当に強く、否応なく争いに巻き込まれていったのだけれど。
そんな男が苦笑いしながら語っていた。
自分の教育係は、母親の生家である侯爵の息のかかった、野心にあふれた子爵であると。
教育係というのはその全力を持って仕える主を盛り立てる存在。いわば後見人である。
王となれば栄達が約束される代わりに、落ちぶれた時は大抵同じタイミングで命を落とすことになる。
そうだそうだ、思い出したぞ、とグレイは一人納得して長い顎鬚をなでる。
そして途中でぴたりと手を止めて天井を仰いだ。
「儂が、教育係か」
あの立場の弱そうな王女の?
護衛の兵士とか使用人にまでなめられてて、明日にも殺されてもおかしくなさそうな?
もしかして結構面倒なことに巻き込まれたんじゃないかと、グレイはこの時ようやく、正しく状況を察したのであった。
ぶんぶくぶくまほしいです




