ただのかすみ目
ウェスカは優秀な冒険者であったが、仕事で王都へやってきた際に、濡れ衣をかけられて危うく全てを失いかけたことがある。
昔から王都は魔窟であると先輩から聞かされてきたというのに、長年の実績と自信が、そのままウェスカの油断となっていたのだ。
そんなウェスカの人生を救ったのは、今となってはたった一人の主となってしまったクルムと、すでにこの世にはないその兄であった。
とにかく、そんな理由でウェスカは二人に絶対の忠誠を誓っていた。
クルムの兄を亡くしたことでウェスカは自分の力の足りなさを痛感する。
なんとか残ったクルムだけでも守るためには、もっと圧倒的な力が必要であった。
そう考えたのは賢い主も同じであったようで、ウェスカはその何かの捜索を命じられた。
王都は魔窟。
誰がどこの王位継承者と繋がっているかもわからない街で、優秀な人材を探すことは非常に難しい。捜索は当然のように難航した。
クルムが十三歳になる日は、刻一刻と迫ってきていた。
クルムは日増しに二人でいる時の表情が険しくなり、一層の覚悟を決めているのがわかる。それでもウェスカに対してはねぎらいの言葉をかけてくるのだから、とんでもない胆力だ。
ウェスカはクルムのために命を使う覚悟がある。
だが、できることならばクルムには幸せに、穏やかに生きて欲しいという思いもあった。
演技力の高いクルムであれば、復讐なんて諦めて無能な王女の振りを続けることができるだろう。そうすれば仮初の平和を得ることはできる。
ただしそれはあくまでウェスカの希望だった。
生きて欲しいと願うウェスカの希望と、復讐に燃えるクルムの希望は違う。
だからウェスカは自分の気持ちを胸の奥にしまって、クルムのための切り札を探す。悔しいことに、自分では力不足であることを既に痛感した後だ。『俺が何とかします』なんてことは口が裂けても言えない。
必死に街を駆けずり回ってみるが、それらしい人物は見つからず。
ウェスカはついに、王都の端にある治安のよくない地域まで足を踏み入れることになった。
酒瓶が転がり、住人が虎視眈々と人の財布を狙うような地域で、ウェスカは一人の老人を見つけた。
その老人は凛と背筋を伸ばし、遠くに見える王宮を眺め、何やら憂いているような表情をしていた。
どこかで見たことがある。
そう思いながらしばし観察していたウェスカは、顎鬚に手をやる仕草で一人の男を思い出した。
【青天の隠者】。
まだウェスカが駆け出しであった頃噂になっていた、超有名冒険者である。
これだと思った。
人格、強さ、そして立身出世を望まぬその姿勢。
しかしウェスカが知っている頃からは随分と時がたっている。
腕がなまっていては、と無礼なことを考えた瞬間、【青天の隠者】の碧空のまなざしがウェスカを貫いた。
「鼠か……」
地面に転がっているのはゴミばかりで、鼠なんて一匹たりとも見当たらない。
気づいている。
身じろぎもせず息を殺しているウェスカの存在を鼠と例えたのだ。
隠形には自信があったウェスカだったが、段々と細まっていく目に耐えきれなくなり、慌ててそこから逃げ出した。
なまっていない。【青天の隠者】はいまだ健在だ。
ウェスカは興奮したまま主の下へ走る。
ついにウェスカは主の命令を成し遂げたのだ。切り札はここにいた。
「……なんじゃ、ゴミか。まったく、最近は目がかすむのう」
その場からもう数百メートル遠ざかったウェスカは、あくびをしながら呟かれた独り言が多い老人の言葉を、当然知る由もなかった。
【青天の隠者】の家へ招き入れられたウェスカは感動していた。
まず恐ろしいほどの覇気がこもった一喝で、クルムを監視していた輩をほとんど追い払った。それは齢十二にして恐ろしい胆力を誇り、滅多に動揺することのないクルムですら口ごもらせるほどのものであった。
しかしその直後雰囲気は一変する。
クルムに優しく声をかけた【青天の隠者】は、椅子を三脚家の中へ運び込むと、未だ隠れているウェスカ他数人をぎろりと的確に睨みつけたのである。
ウェスカ以外のものは恐れおののいて逃げ出してしまった。
しかしウェスカは違う。
全てを見通す【青天の隠者】の慧眼に感服し、その姿を白昼に晒して褒めたたえたのである。
ああよかった。本当に正解を引き当てたのだ。
ウェスカは安堵に身を任せながら、言われるがまま椅子に腰を下ろした。
これで一縷の希望が見えてきたと、思わず涙しそうになるのをこらえながら、頼もしい背中を見つめつつ、クルムと言葉を交わしたウェスカであった。
さしたる事情は話せていないのというのに【青天の隠者】ことグレイは、二つ返事でクルムの願いを聞き入れた。本当に噂通りの方であったかと、ここでも感動一入のウェスカであったが、王宮に近付くにつれてさらに驚かされる。
普通は冒険者が王宮に入ることなんてまずありない。
いくら【青天の隠者】と言えど、何らかの反応はあるものだと考えていたのだが、実際はどうだ。
グレイは泰然たる態度を崩さずに、一度尖塔を見上げたきり、かくしゃくとしてクルムの後に続く。
ウェスカが初めて王宮へ来た時はもっと体を固くして警戒したものだが、これこそが格の違いかと改めて感じ入ったわけである。
グレイは王宮を見上げても怒りも悲しみも湧いてこないことに、年を取ったなぁと爺らしい感想を抱いていた。グレイはこの王宮が、そのきらびやかさとは裏腹に血みどろの糞みたいな場所であることをよくよく知っている。
思い出すほど嫌な気持ちになるので、グレイは楽しいことを考える。
そうだもしかしたら昔の知り合いとかに会うかもしれない。
当時仲の良かったやつらだって、もしかしたら元気に王宮で働いている可能性がある。この世界じゃ初恋のあの人もすっかりバーさんになっているんだろうか。っていうか、王都に来て二十年になるけど、結局誰も訪ねてこなかったのだった。
楽しいことを考えていたはずなのに段々とイライラしてきたグレイである。
自分が身分や素性をできるだけ隠していた上、旧友と会う努力も一切していなかったのだから、見つけて尋ねて来いという方が難しい。
考え事をしていると王宮の中から複数の護衛を連れた青年が馬に乗って現れる。
グレイの独断と偏見でものを言うのならば、いかにもボンボンっぽい見た目で、なんだか意地悪そうな顔をしていた。
クルムが道を譲ったので、グレイもそれにならって道を空ける。
余計な争いはしないに越したことはない。
「そんな恰好で街をうろつくなど……、恥を知れ」
「申し訳ありません、街の子に憧れがあったものですから。ケルンお兄様は、お出かけでしょうか」
悪口を言われたのに腑抜けた笑顔で、まるで本当に兄を慕うように声をかけたクルムに、ケルンと呼ばれた青年は舌打ちをした。
「お前には関係なかろう」
「残念です……。楽しいことでしたらご一緒させていただけたらと思ったのですが……」
「ふん、ただの視察だ」
明らかに馬鹿にしたように答えたケルンは、そのまま馬の歩を進めたが、数歩進んで足を止め、振り返って尋ねる。
「クルム、今度は何を拾ってきた? 変なものばかり拾うのはやはり母親が卑しいからか?」
「気に入ったんですの。素敵なお鬚だとは思いませんか?」
「ちっ、話にならんな」
ケルンはかぽかぽと馬の足を鳴らしながら去っていく。
ぼんやりとしたやり取りが、彼女の生きるための処世術なのだろうとはグレイにもわかる。家へやってきたときの打てば響く雰囲気はすっかり鳴りを潜めていた。
若かりし頃の友人を彷彿とさせる姿には心が痛む。
グレイはどうやら王宮でのクルムの立場は相当に悪いらしいと察しながら、自慢の顎髭をゴシゴシと撫でる
しかし、『素敵なお鬚』とは、大層気持ちの良い褒め文句だ。何だか少しだけ、クルムのために働いてやりたくなってきたグレイであった。




