継承者のナイフ
「お姉様、どうぞお席に戻ってください」
クルムはため息をついて、ぐすぐすと泣いているファンファにお願いをする。
命令しても良い立場であるけれど、なんとなくそんな気持ちにはなれなかった。
やり方は良くないし、ただひたすら無駄な時間も多かったけれど、おそらくファンファの『優しくしてあげたのに』という言葉は本気なのだ。それを考えると、仕方のない人だという同情心も多少湧いてくる。
この性悪の中に抜けた部分があるのも、ファンファと言う人間の魅力の一つであるのかもしれないと考えるクルムである。
「はようせんかい、小娘」
グレイが言うと、ファンファは泣きながらキッとグレイを睨みつける。
「あなたがクルムに悪いこと教えたんでしょ!」
先ほどの光景を見てなおこの態度をとれるのは大したものである。
「元からこんなものじゃったが」
「いえ、先生から教わりました」
「人のせいにするでない」
「ほら見なさい! まったく、もうっ」
グレイがクルムをじろりと見ると、我が意を得たりとばかりにファンファが怒りながら立ち上がって椅子に座る。
「今からでも遅くないわ。私の手を取ってこのお爺さんを追い出しましょう? 明日パクス商会へ行くのは、二人一緒でもいいから」
「お姉様、先ほどのお話をお忘れで?」
グレイがため息をついて立ち上がろうとすると、ファンファは慌てて「噓噓噓!」と声をあげる。ちょっとでもいい条件でという気持ちが残っているのだろう。
これまでワンマンで甘やかされてきたので、一応言ってみたところ、まずそうな気配を感じての撤退である。
「お姉様。私はちゃんと王を目指しています。今は信じられないかもしれませんが、お姉様が手を貸してくれれば少しは可能性が出てくるとは思いませんか?」
「……思わないわ。だって、お兄様たちって厳しいもの。ちょっと本気で取り組もうとしたら、あっという間に殺されてしまうわよ。あなただってよく知ってるでしょう?」
ファンファが言っているのはクルムの兄たちのことだ。
「分かっています。分かっていますが、私はこんなくだらない争いは終わりにしたいんです。お姉様はこれまで王位継承者争いに参加しても、生き残ってきたわけでしょう? 私にもそのやり方を教えてください。末の妹が二人仲良くしているくらい、お兄様方は見逃してくれるのではありませんか?」
「…………まぁ、そうかもしれないけれど。もしクルムが王様になったら、私は自由に楽しく生きてていいのかしら?」
「ええ、もちろん。それまで協力はしてもらいますが」
「いざとなったらあなたのことを売って生き残ってもいい?」
「……正直ですね、お姉様」
「だめ?」
これは傘下になる条件の話だ。
どうせ王になれば、面従腹背の連中ばかり相手をすることを考えれば、分かりやすいファンファを御せなくてはどうしようもないとクルムは考える。
「いいですよ。ただし、万が一それで私の方が上手くいった場合は分かってますね?」
「……その時はほら、ちゃんと裏切るわって伝えてから裏切るから、ね?」
「なんですか?」
「だめだったら出戻らせてくれる?」
「駄目に決まってるでしょう」
ファンファは頭を抱えて「うー……」と唸る。
本当はある程度趨勢が決まってから勝ち馬に乗るつもりだったのだ。
こんなところで決断を迫られる予定はなかった。
ファンファはしばらく唸った後、そっと目元だけを見せてまたクルムに尋ねる。
「…………もし、クルムが王様になったら、政略結婚しなくてもいい、とか、どうかしら?」
「いいですよ」
「え? いいの? 本当に?」
もし強い勢力に所属した場合、どんなにうまくやったとしても次の王はファンファを王族としての駒として使うことだろう。それまでにできるだけ自分の魅力を高め、良い場所へ嫁げるように準備しておくのがファンファの最大限の自由であった。
だから傘下に入れと言ったクルムが、あっさりとそれを認めたのは驚き以外のなんでもなかった。
「お好きにどうぞ。どうしても政略結婚が必要になった場合は、先に私が婿を取りますので」
「そ、そんなこと言っていいの? 本当に?」
「何なら自由に相手を選んでよいと誓書を残してもいいですよ。それでお姉様が満足してきちんと私の味方をしてくださるのなら」
ファンファは目を伏せてまたしばらく悩んだ後、きちんと座り直してクルムと向き合った。
「……仲良くしましょ。傘下に入ったという情報自体は流さないほうがいいわよね。ここであったことは、ここにいた人しかわからないことだし。私はこれまで通りに過ごして、お兄様たちに睨まれない範囲で勢力を広げるの。必要があればクルムに協力する、って感じでいいかしら?」
一度バシッと決めてしまえば、これまで数年〈魔窟〉で生き残ってきた王女らしい意見も出てくる。
「そうですね……、ただしお姉様を後援してくださっている方々には、きちんと私の言うことも聞くように伝えておいてください。あと、お姉様、分かってますよね」
クルムはにっこりと笑って手を差し出す。
「……うぅ…………、やっぱり渡さないとだめ?」
「はい、駄目です」
立ち上がってとぼとぼと歩き出したファンファは、ベッドの布団を持ち上げようとして持ち上がらず「ちょっと手伝ってちょうだい」と冒険者に呼びかける。ようやく目を覚ました二人の冒険者が布団を持ち上げると、ごそごそと中へ上半身を突っ込んで、何かを探している。
王位継承者争いに参加すると宣言した王子王女には、その証となるナイフが一つ渡される。
それを失った状態では、どんなに全体の納得を得ようと、王位を継承することはできない。そして、現王が宣言した時点で最も多くのナイフを持っていたものが王位継承者となる決まりだ。
「そんな決まりもあったのう」
「知っているのですか」
「一応な」
この事実は王位継承権争いに近しい人物にしか知らされていないことだ。
つまりグレイが出奔する前には、グレイはこの争いに近い立ち位置にあったということになる。
当時のグレイは何をしていたのだろうかとクルムが考えていると、ファンファが派手な装飾が施されたナイフを手に持って戻ってきた。
「ホントに渡さないとだめかしら?」
「駄目です」
ファンファは深くため息をついて、グレイが弾き飛ばしてしまったテーブルを悲しげに見つめてから、クルムの手の上にナイフをのせる。
「……傘下に入ったのだから、後でテーブルも弁償してくれる?」
「それはお姉様の方でお願いします。ご存じの通り、私の方はあまりお金がありませんので」
クルムはさらりと嘘をついて、ファンファからのお願いを退けるのであった。




