現実逃避の毎日
クルムは表情にこそ緩やかな笑みを湛えていたが、心は死にかけていた。
「クルムはこのお茶が好きなの? 野趣あふれた味で私も嫌いじゃないわ」
「お気に召したようで嬉しいです」
上手くやったつもりであったのに、あと十日でパクスに再会となった日から、ファンファが頻繁にクルムの部屋へ遊びに来るようになったのだ。
間違いなくクルムの持っている災禍の指輪を狙っているのだが、丸わかりだから帰れよともいえない。午前中の早い時間にグレイとの訓練は済ませているが、午後の書類仕事の時間や視察の時間はファンファに無限に奪われていく。
ファンファが来ている時に限ってグレイは同席しない。
初日にはにやにやしながら見守っていたくせに、二日目から飽きたと言って一切顔を出さなくなった。
いても話を引っ掻き回してファンファを挑発するだけなので、二日目の段階では好きにしたらいいと思っていた。
ただこれが三日四日と続いてくると、どうしてグレイは助けにこないんだと理不尽な怒りに変わってきた。いっそファンファとの関係はもうどうなってもいいので、いったん殴って二度と顔を出さないようにしてほしかった。
もちろん、ありえないことだからこその妄想であって、実際は些細な嫌がらせをするくらいで、クルムはにこにこと対応している。
ちなみに今日のお茶が野趣あふれる味になっているのは、ファンファに出した分だけ庭に生えていた雑草を干したものを混ぜたからだ。一応グレイに聞いて毒ではないことだけ確認している。
因みに草を干す作業はにやにやしながら手伝ってくれた。
糞爺である。
ちなみにウェスカは真面目にビアットの教育をして、一緒にお仕事をこなしているので何も責めるつもりはない。ファンファが帰った後の香水臭い部屋で、ウェスカから今日の報告を聞くのがクルムの清涼剤となっている。
ビアットはあれで意外と真面目に働いているそうだ。
すごくまじめな勤務態度と聞いて、おそらくグレイの方の教育が効いているのだろうなとクルムは納得した。
ふざけたことばかり言うようで、あれで押さえるべきところは押さえているのがグレイの憎らしいところだ。どうせ今は部屋でお気に入りのテーブルでも磨いているのだろうと思うと、クルムはますます腹が立った。
表面で笑っていなければいけない分、内心がどうしても荒れてしまうのだ。
グレイの茶葉をたっぷりと使った自分用のお茶をすすりながら、ぺちゃくちゃと意味のないことをしゃべり続けるファンファに相槌を打つ。
お洒落とか、流行とか、女の子らしい噂話とか、必要に応じて勉強して調達するけれど、そうでなければ全く興味がわかない。
何の身にもならないファンファの話を聞いているくらいならば、グレイと皮肉を言い合っている時間の方がよっぽど楽しかった。
「お姉様は楽しそうですね」
話が途切れた時にふと思ったことを呟く。
ひとりごとのような呟きだった。
皮肉ではない。
全く耳に残らない話をしているファンファは、本当に楽しそうだと思ったのだ。
ファンファにはクルムに取り入るという目的はあったのだけれど、文句も意見もせずにただ話を聞いてくれる相手はファンファにとっても珍しいのだ。
男性を話し相手にすることの多いファンファは、それが的を射ているかいないかは別として、一応常に自分がどう見られているかを気にしている。
逆に女性と会話する時は、常に相手にマウントを取る必要があったし、相手もすぐにファンファには近寄ってこなくなる。
その点クルムはすでに格下だと考えているし、頑なに指輪を譲らないことは腹が立つが、居留守も使わず毎回ファンファの相手をして相槌を打ってくれる。時折ぽつりと返ってくる言葉は、ファンファにはない視点があって少しだけ面白かった。
「人生一度きりなのだから楽しく生きないと損だと思うの」
「……そうですね」
「あなた、色々と勉強しているようだけれど好きなこととかはないの?」
「そうですね」
頭を空っぽにして話をしていたせいで、クルムは咄嗟に返事ができなかった。
慣れてきてあまり雑にも雑に対応しすぎたことを反省しながら、脳みそをフル回転させる。
させた結果、好きなことは出てこなかった。
「読書とか、でしょうか」
「……あなた、かわいそうね」
同情されてイラっとする。
好きな物などなくとも目的はある。
必ず達成しなければならない想いはある。
クルムはそれだけで十分だと思っていた。
「もっと遊んだほうがいいわ」
ファンファは立ち上がり手を広げてステップを踏んで見せる。
「かわいい服。綺麗な髪。肌をきれいにして、爪を磨くの。街を歩けば皆が振り返って私を見るわ。……クルム、悪いことは言わないから、王位継承の争いに首を突っ込むのはやめなさい」
能天気な言葉にクルムは我慢できずに言い返す。
「お姉様も、自分を磨くことが好きならば王位継承争いに参加する必要はないのではありませんか?」
「あら……、私が参加しているのは自分の価値を高めるためよ? 別に本当に王になろうなんてこれっぽっちも思っていないわ」
「そう……なのですか」
クルムにとっては驚きの発言だった。
王になることはクルムの目的の一つだ。
そうして家族の仇を討ち、この国の制度を変える。
兄弟たちもみな、王に価値があるからこそそれを目指しているのだとばかり思っていたクルムにとって、目からうろこの発言だった。
「そうよ。どこかで勝ちそうなお兄様やお姉様の陣営に入って、私は自由気ままに生きるの。今はそれの邪魔をされないために力を蓄えているだけよ?」
そんなことのために前に立ちはだかられていることに対する怒りと、王位などいらないと簡単に投げ捨てるファンファへの理解できなさがないまぜになり、気持ちがぐちゃぐちゃになる。
「それでも私は、参加させていただくつもりでいます」
「そう……。気が変わったらいつでも私を頼るといいわ。そうね、毎日話し相手になってくれるのならば、私と一緒にお洒落をして穏やかに暮らす日々を保証してあげるわ。きっと楽しいわよ」
「ありがとうございます」
全然ありがたくないけれどと思いながら礼を言う。
ファンファの割と本気の善意による提案は、クルムにとっての地獄の日々だ。
「そのための第一歩として、その怪しい指輪は私が引き取って、パクス様に返してあげる」
ここ数日で、パクスがファンファに何かを吹き込んだことはもうはっきりとわかっていた。ファンファ自身も一度口が滑ってからはもはや隠すつもりもない。
いや、半分くらいは、クルムならまだ気づいていないかもしれないと希望を持っているのだが、段々と要求はあからさまになってきていた。
「すみません」
クルムが断ると、ファンファは肩をすくめて椅子に座って肘をついた。
自分を相手にして胸元が見える服を着て何か意味があるのだろうかと考えるクルムの脳は、また現実から逃避してどこかへ旅立とうとしていた。
頬を膨らませて可愛い顔を作っているようだが、クルムにとっては鬱陶しいだけだ。
「本当にあなたのことを思って提案しているだけなのに」
ちょっとだけ馬鹿な妹のことが気に入ってきたファンファは、三割くらいの本当を語りつつ、まだまだクルムの部屋に居座るつもりのようだった。




