選べ
グレイは周囲を囲まれていることも、宿の中が怪しいことも分かっていた。
昨日の今日ではあるが、一人逃がしたのであるからこんな展開は十分に想定できていた。
「動くなよ、こいつを殺すぞぉ」
ビアットを捕まえている男は、まさに昨日逃がした人物。
「宿の中は満員だったようじゃな。きっとその男にそそうがあったんじゃろう。残念じゃが殺すと良い」
「た、助けてくださいぃ」
「こ、殺すぞぉ! 本当に殺すぞぉ!」
チクリと首元にナイフが刺さり、ビアットが悲鳴を上げた。
これ以上挑発すると本当に勢いで殺しそうだ。
昨日と同じく目がどこか胡乱気で血走っている。きっと悪い薬でもたしなんでいるのだろう。
「なんじゃ全く騒がしい……。何か儂に用でもあるのか?」
「馬鹿にしやがってぇ……。おい、やれ!」
周囲から現れたのは、どこにでもいそうな街の住人であった。
戸惑いながらも各々武器になりそうなものを手に持って、囲いをじりじりと縮めていく。
「お前、昨日借金がある奴を助けてたよな。こいつらも俺たちに借金があるんだ。お前をぶっ殺せば全部チャラにしてやるって約束でここに来てる。正義の味方ぶりやがって……、死ねよじじい!」
「ほうほう、借金のう。人とは愚かじゃなぁ」
「偉そうな口利いてんじゃねぇ! おい、早くやれ!」
「あ、あああああ、すまん!!」
一人の男が角材を振りかぶりグレイに向けて思いきり振り下ろす。
グレイは腕を動かして、ぱしりとそれを受け止めた。
「のう……。お主、なんで借金なんかしたんじゃ」
憐れむようなグレイの表情に、殴りかかった男は戸惑いながら答えようとする。
「そ、それは……、お、俺だってこんなこと」
「そうじゃよな、不本意じゃよな……」
直後、男の顔は張り倒されて路地裏を転がり、地面を二転三転してからようやく動きを止めた。
「じゃが儂に楯突いたんじゃ、ただで済むと思うな」
「な、なにしてんだ爺! こいつを殺すぞ! 本当に殺すぞ!」
ナイフの先端が首にめり込み、ダラダラと血が流れ始める。
ビアットは痛みで完全に恐慌状態であったが、こんな状況にもかかわらず平常運転をしているグレイを見て、昨日ひっぱたかれた記憶がフラッシュバックする。
胃がむかむかとしてきて、急にごぷりと中身がせりあがってくる感覚があった。
はっきり言って、突き付けられたナイフよりもグレイの方が怖かったのだ。
「吐きそうだ……」
「何言ってんだてめぇ、ふざけてんじゃねぇぞ! おら、殺すぞ、殺す!」
「やかましいわ」
何気なく放たれた魔法が、ビアットを拘束する男の顔めがけて飛来する。
飛んでくる小さな礫に気づいた男は、思わずナイフを持った手でそれを振り払おうとして、すぐに失態に気が付いた。
礫と同じくらいの速さで、背の高い老人が自分の眼前にまで迫ってきていたのである。
慌ててビアットをグレイに向けて放り投げて身を躱そうとする男。
しかしグレイは一切接近速度を緩めることなぐ、ビアットを右手の裏拳で殴りつけてどかし、そこでついでに振りかぶったようになった拳を、男の顔面に小さな礫ごと叩き込んだ。
地面にたたきつけられるようにして倒れた男。
裏拳を食らって地面に這いつくばるビアット。
最初に殴られてピクリとも動かない、角材を持っていた男性。
グレイはゆっくりと振り返り、各々手に武器を持った街の人々を睨みつけた。
今しがた男を地面に沈めた拳からは、新鮮な血がしたたっている。
グレイが一歩進めば、武器を持っていた街の人たちは「ひっ」と小さく悲鳴を上げたり、息を飲んだりしながらじりじりと下がっていく。
「お主らにも事情があったんじゃろうなぁ」
ぱっと手を開き笑って見せたグレイであったが、その歩みは止まらない。
ついにその中の一人が武器を放り出し、背中を見せて逃げだした。
「うむ、十分に考慮すべきことじゃろう」
一見寛容そうにも見える顔で頷きながら、グレイが開いた手から放ったのは火の玉であった。それが逃亡先に着弾して火柱が上がったところで、逃げ出した男はへなへなとその場に座り込んでしまった。
「並べ」
静かだが路地裏にいる武器を持った男たちにははっきりと聞こえる程度の声量だった。戸惑って互いに見つめ合っていると、グレイがにっこりと笑う。
「はようせんかい!」
「はい!!」
突然の一喝に、男たちとついでにビアットも思わず鋭く返事を返す。
ビアットはその場で立ち上がっただけだったけれど、他の男たちは見事に横一列に並んで見せた。
腰を抜かしていた男だけがよろよろと戻ってきているのを見て、グレイはちょいちょいと手招きをする。
今から死刑にでもあうかのように絶望しきった顔をして、男はふらふらとグレイの前に立った。
「反省しとるか?」
かけられた声は思いのほか優しかった。
男は一縷の望みにかけて目を輝かせる。
先ほどの『ただで済むと思うな』というグレイの言葉は忘れてしまったらしい。
「し、してます!」
「これからは真面目に働くか?」
「働きます!!」
「うむ、その意気じゃ。では覚悟せよ」
「え?」
元気に返事した男に向けて、グレイは両手を振りかぶり、頬を挟むようにして力が逃げないようにびんたを食らわせた。
路地裏に派手に音が響き、男は数歩よろめいてその場にすとん座り込む。
言葉もなくしくしくと普通に泣いていた。
痛みがどこにも逃げていかない、今まで体験したことのないような一撃であったのだ。
「次、左からじゃ」
「お、俺ですか?」
「お前じゃ」
「あ、あの、俺、俺は、その、家族とかもいて……」
「うむ、じゃから痛い思いだけで許してやると言っておるんじゃ。はようこい」
「ほ、ホントに反省してます! 許してください! ごめんなさい!」
その場で土下座をして謝罪を始めた男に対して、グレイは「ふむ」と言って顎鬚をなでて近寄り、しゃがみこんで襟首を持ち上げ、目をしっかりと合わせながら穏やかな声で質問をする。
「死ぬか、投獄されるか、叩かれるか選べ」
「……叩いてください」
「よし、立て」
再び路地裏に派手な打擲音が響く。
「次からの者もよぅく考えておくが良い。死ぬか、投獄されるか、叩かれて明日から普通に働くかじゃ」
しばらくの間、路地裏に妙な音が響き続ける時間が続いた。
直立不動で後ろに立っていたビアットは、首元から血を流しながらも、あの中に自分が含まれていなくてよかったと心底安心していたのであった。




