失敗と学び
覆いかぶさるように襲ってくる大男を目の前にしてクルムはいくつかのことを同時に考えた。
一つは、自分が随分と焦っていたことに対する反省。
今日は初めからずっと、ウェスカのことが心配で落ち着かずにいた。こと鉄火場においてグレイの言葉を無視するなど言語道断であった。
もう一つは、先ほどグレイがならず者を放り投げていたことの意味。
あれは意味もなく痛めつけていたわけではなく、的確にクルムの通り道を作っていただけだった。
さらにこの瞬間への対処。
あと数発は先ほどの破裂を使うことができる。
グレイとは違って、クルムが破裂を発生させられるのは、今のところ手のひらからだけだ。
だからクルムは咄嗟に両腕を伸ばし、手のひらを広げて迫りくる巨体を迎え撃った。
男の腕がクルムの肩に迫る。
リーチの差を考えれば、クルムの攻撃が決まるよりも、男がクルムを捕まえる方が早い。そうなれば怪力でタフな男は、容易にクルムの肩を握りつぶしてそのまま人質とすることになるだろう。
自分が悪い。
クルムはそれすらもある程度悟り覚悟しつつ、今自分ができることをなすべく手のひらに集中をする。
最善を尽くせばきっとグレイが何とかしてくれるだろうという謎の信頼があった。
「恥を知れ」
飛来した炎の塊が男の左半身に三つ刺さり、間を置かずはじける。
肉体の焦げる嫌な臭いと共にはじけて転がった大男を見送って、クルムはグレイが格闘家ではなく魔法使いであったことをようやく思い出した。
「愚か者、焦りすぎじゃ。戦いの場では急いだ者から死ぬぞ」
グレイがクルムの脳天に軽く拳骨を落としてつかつかと歩いていく。
あれだけの攻撃を食らったのに、半身を焦がしながらもすぐにむくりと起き上がった男は不気味だった。
息は切れていても戦いへの意欲はまだ失っていない。
明らかに常人ではありえない反応であった。
「まったく、気味の悪い奴じゃ。お主本当に人間か? 魔物でお主のようなのを見たことあるぞい」
「んんんん!」
痛みに悲鳴は上げていないが、危機は感じているらしい。
「グレイ様! その男の怪力は異常です!」
血走った目で走ってくる男を見て、ウェスカが牢の中から警告を発する。
グレイはそれを聞くと、両手を前に出し、魔法を撃つことなく男が来るのを迎え撃った。
男は得意分野で馬鹿にされていると感じて憤ったのだろう。
グレイの力比べに応じるべく、勢いに任せたまま手のひらを合わせて指を絡ませた。
「なぜ!」
見るからに力自慢の相手と、両手を組み合わせる手四つの形をとったグレイは、ウェスカの悲痛な叫びを聞いて笑う。
「力自慢でタフな男を黙らせるのならば、やはりこれが一番じゃろうて」
腕の太さがクルムの胴体程もある大男と、七十を超える老人の力比べがはじまった。いくらグレイの方が多少上背があろうとも、傍から見れば明らかに不利だ。
そのはずなのに、見ているクルムは不安を一つも抱かなかった。
ただ、性格の悪いことを、と思っただけである。
そうして、そんな常識から外れた感想を持った自分に疑問を持って首を傾げた。
勢いのあった大男は最初の一瞬グレイを後ろへ下がらせることに成功した。
しかしそこからぴたりと動きが止まると、徐々にグレイが男を上から押しつぶすように前へと出ていく。
じりじりと靴底を滑らせながら後退し始めた大男は、顔を真っ赤にしながらグレイを押し返そうとする。何としてもその場に踏みとどまり前へ出ようとしたせいで、徐々に上半身が後ろに逸れていき、やがて限界まで逸れたところで、男はついに片足を動かし、グレイに蹴りを放とうとした。
「あああ!」
気合を込めたがむしゃらな蹴りに、グレイはにっかりと歯を見せて笑う。
「逃げたな」
男はそもそも戦いを習ったことがほとんどない。
ただ怪力と丈夫さを武器にして我がままに生きてきた男だ。
そんな男の破れかぶれに放った蹴りが、グレイに届こうはずもなかった。
軸足への足払い。
男の蹴りは僅かにグレイに触れたが、それはもんどりうって倒れた拍子にぶつかってしまった程度の威力でしかない。
手が離され倒れていく中、グレイは手のひらを大きく広げ、やけどをしている男の頭を掴むと、そのまま床近くの壁にたたきつける。
直後、破裂音。破裂音。破裂音。
地下の石壁が砕け、頭が土に埋もれるほどにめり込んだところで、グレイはようやく手を離した。
大男の体は頭を起点にぶらりと完全に脱力している。
「しかしまぁ、何とも丈夫な男よ。これでまだ生きておるのじゃから」
「……先生、もうそっちに行っても大丈夫ですか?」
「うむ、大丈夫じゃ」
鍵の束を手に持ったクルムは、できるだけ大男を避けながらグレイの横を通り抜け、ウェスカが入っている牢の鍵を開け始める。二つ失敗して三つ目で、カチリと音がして錠が外れる。
「クルム様、それにグレイ様もありがとうございます。足を引っ張るばかりで情けなく……」
「無事ならいいわ。……ウェスカ、足を怪我してるの?」
「すみません。捕まる時にその男にやられまして……」
「……私の肩を使って」
「い、いえ、そんな恐れ多い」
「いいから!」
そんな主従の感動の再会をしていると、上から元酔っ払いの男がひょっこりと顔を出す。
「あ、あのぉ、一人その、逃げてしまったのですが……」
「ほうほう、そうか。ちょっとお主こっちにこい」
「え」
薄暗い地下で待つ得体のしれない背の高い老人が手招きをしている。
暴力度はならず者をきれいに均してしまうほどのお墨付き。
正直こんな薄暗いところに入りたくない。できることならば騎士が来たタイミングで逃げ出して、二度とこの界隈には近づきたくない元酔っ払いである。
「はようこい」
「はい! はいはいはい!」
手招きがぴたりと止まりグレイの目つきが悪くなったところで、元酔っ払いの男は転げ落ちるように階段を下りていくのであった。どうやら人の顔色をうかがう才能はあるようである。




