王の子
いかにも自分がわかっていて引っ越しの準備をしていましたよ、とでもいうようなコメント。実際はただ、お金がある程度たまった上に、近所の治安が悪くなってきたので田舎へ引っ込もうとしただけである。
最近ここらの治安が悪くなってきたのは、単に仲良くしていた子供たちが日の当たる場所へ羽ばたいていったからという理由だけではない。
実は最近王位継承問題が大っぴらになり始めており、それに乗じて心根の良くない連中が王都に流れ込んできているのだ。
かつて王位継承問題に巻き込まれてひどい目に遭ったことのあるグレイとしては、今度こそは巻き込まれないようにという思いもあった。
それならば、今この場でも話を聞かずにさっさと立ち去るべきなのだが、残念ながらまだそこには気づかない。
【青天の隠者】なんて二つ名を知り、自己承認欲求が満たされてご満悦である。
「では、引き受けてくださるのですね……!」
「うむ。若者の頼みごとの一つや二つ引き受けず、何が……、うむ、何が【青天の隠者】か」
よく意味も分からず自分のものかも確定していない二つ名を名乗るグレイ。
思わずニヤけそうになるのを我慢しながら、気分はすっかり大物である。
内容も聞かずに縁があるかもしれないというだけで頼みごとを引き受ける姿は、確かに大した人物に見えなくもないけれども。調子に乗って顎鬚をなでていたせいで、グレイは目の前にいる少女の目がきらりと怪しく光ったことにも気づかない。
「ありがとうございます。ハルシ王国が第十一子、クルム=ハルシが謹んでお礼申し上げます。これから私の教育係としてどうか末永くよろしくお願いいたします。【青天の隠者】様のことはこれより先生とお呼びしてもよいでしょうか?」
「……構わぬとも」
全然構う。
でも今更『駄目です、さようなら』というわけにはいかなかった。
というか、グレイは三十年という期間を経て罪を許されたが、かつては王国の大犯罪者であったという事実がある。
さらに言えば生家であるアルムガルド家もその件で取り潰しになっている。
自分の身の安全に関してはそれほど心配していない。
最悪暴れて行方をくらませてしまえばいいのだから。
そんなことよりも、不名誉極まっている自分を先生と呼ぼうとしているこの王女のことが心配になった。どこの馬の骨だか知らないやつならまだましだ。なにせグレイは何もないどころか、悪評を持っている人物なのだから。
ハルシ王国の王位は長子相続ではない。
当代の王が最も優秀だと思う子に、王位を継承させるのだ。
お陰で国は歴代の優秀な王たちによって栄えてきた。
そしてその代償として、王位継承が決まる前後には王室に権力争いの嵐が吹き荒れる。母親の違う子供同士ではもちろん、同腹の子供同士ですら殺し合いをするのが当たり前の空間だ。
そんな殺伐が極まった王室で、かつての大犯罪者を先生などと呼べばどうなることか。あっという間に集まってきた他の子供たちに、骨も残らず食い荒らされてしまう。
「では早速共に王宮へ。先生のお部屋はすでに用意してあります。先生は知識豊富で大変お強くいらっしゃるとか。ぜひ昔話もお聞かせください」
「……よかろう」
「本当に良かった……。弱きを助け強きをくじき、その全てを投げうってでも仲間のために尽くす。そんな【青天の隠者】殿であれば、必ずやクルム様の力になって下さると信じておりました。周囲は油断ならぬ者ばかりですが、手を取り合ってクルム様を盛り立てて参りましょう」
ウェスカの言葉はグレイの自尊心をくすぐりまくる。
くすぐられ過ぎて思わずにやけそうになったが、それと同時にお前がしっかりしろよという気持ちも湧いてきた。
どこの誰から聞いた話だか知らないけれど、影に生きるものの癖にグレイのことを信じすぎだ。もうちょっとちゃんと色々と探って【青天の隠者】が都落ち犯罪者であることまで探っておくのが仕事でしょ、ちゃんとして、と思う。
グレイは重々しく頷いて、「そうと決まれば参りましょう」といって立ち上がり歩き始めたクルム王女の後に続く。
曇り空であったはずの外には、いつのまにやらすっかり太陽が覗いている。
遠くには虹まで見えており、グレイの段々と重くなってくる気持ちと裏腹に、気持ちの良い雰囲気だ。
「先生を迎えることができたことを、空も歓迎してくれているようです」
クルム王女がにこやかな笑みをグレイに向ける。
虹を背負った表情はキラキラと輝いており、人が見れば本当に奇跡を信じてしまいそうなカリスマがあった。
しかしひねくれた爺であるグレイは顎鬚をなでながら「ふむ」と声を出しただけであった。どうやらこのクルムという王女が大層な自信家で、おそらく野心家でもあることを敏感に察したのだ。
すぐに調子に乗って失敗するくせに、人を見る目がないわけではないグレイである。
ついでにカバーをかぶせてある荷台、それに家をちらりと見ると、王女はやはりにっこりと笑ったまま両手を合わせて首を傾げた。
「先生が暮らしに必要なものは王宮に準備しております。不足があればいつでも仰ってくださいね。ここは私たちの方で手続きをして引き払っておきますので」
有無も言わせぬ雰囲気。人の考えを察する能力も高いようだ。
ああ、王族ってこんな感じだったなと、グレイは遠い目をして遥か昔を思い出す。
当時はいけ好かない奴だと鼻を鳴らして適当にあしらっていたが、爺になってみれば、こんな風に生きていかざるを得ない王族の者たちを少し哀れにも思う。
人を立派に使えなければ、味方を増やしていかなければ、王位継承争いであっという間に命を落とすかもしれないのだ。彼らだって命懸けである。
グレイは荷台から冒険者時代に使っていたローブを取り出すと、前をしっかりと止めてフードを深くかぶった。
王宮で自分がグレイ=フォン=アルムガルドであるとばれないようにするためだ。
王都へ帰っても誰も訪ねてこなかったし、顔も皺だらけになっているから、まぁ、まずばれるとは思っていないが、念には念を入れてというやつである。
汚らしくも見えるローブを纏った瞬間、クルム王女は一瞬目を細めたが、フードを深くかぶってしまったグレイは、そのわずかな変化に気づくことができなかった。




