儂が正義じゃ
片手で成人男性一人の体重を悠々と支えるなど、見た目が老人であろうと関わってはならない化生の類に違いない。哀れにも捕まっている男以外はすっかり酔いも冷めた青い顔をして、ばたつきながら逃げて行ってしまった。
残された男も、胃の内容物をすっかり吐き出して、今は冷や汗をだらだらとたらしながらどうこの場を切り抜けるか考えていた。
「何かここで変わったもんを見んかったか?」
ちょっと人生上手くいってなかったから、ちょっと調子に乗ってしまっただけの哀れな男である。まだまだ年も若いその男は、かつてないほどに記憶をほじくり返して、昨日の朝ごはんとか、今日聞いた友人のしょうもない話とかを思い出してはぽたりと冷や汗をたらす。
「ふむ、答えられんか。仕方ないのう」
何が仕方ないのか。
自分の命が仕方ないで奪われるのではないか。
そんな恐怖にかられて男は悲鳴を上げるように喋る。
「あっ、なんかでかい荷物持った、あの! 大男が歩いてた! 血を流してんのに平気そうな顔してた!」
「よし、案内せい」
「は、はい!」
案内と言われて男の頭は真っ白になったが、それでも反射的に返事をして大男が去っていった方に向かって歩き出す。
男の頭の中は、『どこに案内すればいいんだ?』でいっぱいである。二日酔いの朝よりも青白い顔でフラフラと路地を歩いていく。
「先生、この人がウェスカの居場所を知っているとは思えないんですが……」
クルムがちょいちょいとグレイの袖を引いて、小声で話しかける。
「しかしこの辺りに詳しいことは確かじゃろ。あんなに堂々と地面に座ってたむろしておったんじゃから」
「そうかもしれませんが……」
「それともお主にはあてがあるのか?」
「ありませんが」
「ではこういうやつらに怪しい場所を聞いたほうがまだ早かろうて」
後ろでごにょごにょと相談をしているのが、内容はわからずとも聞こえてくる。
男は自分を始末する相談をしているのではないかとパニック状態に陥っていた。
そうして思いついたのは、やばい奴にはやばい組織をあててしまえばいいのでは、ということである。
この辺りには非合法な組織の拠点が一つ存在する、とされている。
この男くらいのちょっと酒を飲んで管を巻く程度の仲間内では、絶対に近付かないようにしようと決めている場所だ。入ったら生きて出られる保証はない、という噂である。
男は混乱したままその建物の前までやってきて、びしっと姿勢を正した。
「こ、ここ、かもしれません!」
「ふむ、なる程」
グレイは上から下まで建物をじろりと見つめ、確かにそれっぽい場所だなと判断した。それっぽいというのは、暴力的な組織が拠点にしそうな丈夫な建物であるな、という印象である。
「お、俺はこれでお役御免ということでよろしいでしょうか!」
「うむ、事が済むまでそこで立っておれ」
「は、はい?」
「儂らを非合法な組織とぶつけて潰し合わせようとしたのか、本当に目的の場所に達したのか判断がつくまで、そこに立って神妙に待っておれと言っておるのじゃが、分からぬか?」
男の思惑などすっかりまるっと見抜いていたグレイである。
別にこのまま解放してやっても良かったのだが、思ったよりもこの男が界隈に詳しそうであることを悟って、役に立ちそうだと留めおくことにしたのだ。
ここが駄目なら別の場所へ案内させるつもりである。
男はあまりの事態にふらりとしたが、その瞬間に自分よりも頭一つほど大きな老爺ががっしりと両肩を掴んでホールドしてくる。力強かった。手に力を入れられたら肩が握りつぶされるのではないかという恐ろしさがあった。
「分かったのか、分からぬのか?」
「分かりました!」
「んだ、人の家の前でぎゃあぎゃあ騒ぎやがって、ぶちころっ」
「やかましい」
ドアを蹴り、刃渡りが五十cmもありそうな大柄のナイフを持って禿頭の男が現れ、姿を確認したグレイに即座に意識だけを退場させられた。
側頭部に手を当てて、そのままドアの縁にたたきつけられたような形だ。
あまりに躊躇のない暴力に慣れた老人であった。
武器を持って脅してきた時点で敵対は確定。
躊躇などという言葉はその時点で向こうから捨てたも同然だ。
ここに案内した男はがくがくと体を震わせたし、クルムも頬をひきつらせて口を僅かに開けて呆然としている。
当然建物の中からは怒号が上がる。
「んだこらぁ!」
「ぶち殺すぞ!!」
「逃がすな、殺せ!!」
「ほっほ、活きが良いのう。誰が逃げるか、生抜かすなクソガキどもが」
「笑ってる場合じゃないですよ、何をしているんですか!」
「なにって……、ごみ掃除じゃろう。見てみよ」
なにがしかの薬を使って部屋の隅でお花畑に旅立っている若者。
ベッドの上には涙している女性。
床には土下座をしているみすぼらしい身なりの男性とその家族。
「儂が正義じゃ」
ずかずかと部屋の中へ足を踏み入れたグレイは、武器を手に襲い掛かってくるならず者たちに向かって笑う。
振るわれた武器を左手で払えば、破裂音がして武器がはじけ飛ぶ。
払いとほぼ同時に繰り出されていた右の掌底がならず者の頬にあたれば、同じく破裂音。背の高い男がもんどりうって転がっていく。
それは戦いではなく蹂躙であった。
グレイの攻撃は当たれば必ず妙な破裂音と共に、人を木っ端のように弾き飛ばしていく。それは手であれ足であれ同じことだ。
およそ一般人が耳にしたことのないような破裂音が三十ほど響いたときには、建物の中はすっかり静かになってしまっていた。
終わったかに思われたその時、奥まで進んでいたグレイが振り返り、ゆらりと歩いて戻ってくる。
「やられた振りをしておる狸がおるのう……」
「あああっ」
武器も何もかなぐり捨てて走り出した男の背中を、グレイは「ふむ」と言って追いかけもせずに見つめる。
「ひぃいい」
驚いたのはここまで案内した男だ。
逃げられれば間違いなく自分の顔も割れてしまう。
それどころか、この場で酷い目にあわされる可能性すらあった。
「クルム、やるんじゃ!」
グレイの声が響く。
「ああ、もう……!」
隣にいる男は頼りにならない。
グレイは何とかする気がない。
クルムは仕方なく右足をひいて左半身を前面にするように、逃げてくるならず者の方を向いた。
「邪魔だ、どけぇええ!」
そうして伸びてくる男の手を左の手のひらで払う。
腕に触れた瞬間、先ほどまでこの建物で響いていた破裂音がした。
逃げてきたならず者は目を見開いて恐怖の表情を浮かべる。
体勢を崩したところで、右手のひらの掌底による一撃。
それは、先ほどグレイが腕だけで行った払いと攻撃を、全身を使ってやったような動きであった。
脇腹に掌底が当たり、もう一度破裂音。
男が血反吐を吐きながら地面に転がっていく。
「うむ、やはり実戦は大事じゃからな」
グレイは弟子の訓練の結果を確認し、満足そうにうなずくのであった。




