慣れたもの
握りつぶされた足がずきずきと痛む。
これではもし助かったとしてもクルムの代わりに仕事をすることは困難だ。
ある程度教養がある人物になると、クルムの味方をすることがいかに無謀であり未来のないことか分かってしまうため、人を雇うことができないのだ。
グレイを仲間に引き入れることができたことは幸運だった。
いずれ勢力が大きくなっていけば、味方することに利を見出した優秀な人材も集まってくることだろう。そうなれば自分一人駄目になったところで大した問題はないとウェスカは考えている。
しかしそれは今ではなかった。
王宮には治癒魔法の名士がいる。
がめつい女性だが、これまで使う暇もなくため込んできた貯金を切り崩せば、これくらいの怪我はすぐに治してくれるはずだ。
とにかく、何とかして抜け出さなければならない。
ウェスカは壁に手をついて立ち上がり、足を引きずりながら鉄格子に掴まって様子を探る。奥には上へ登る階段があり、規則正しいいびきのようなものが一つ聞こえてくる。
手探りでの位置を確認したウェスカは、ほとんど何も見えないほどに暗い牢の中で膝をついた。なんでもいい。何か脱出に役立つものを見つけるつもりだった。
クルムはパクス商会の店を起点に、馴染みのある小さな店に立ち寄ってはウェスカの話を聞いてみる。本当にその日なんとか暮らしていくくらいの生活をしている者たちにとって、クルムという王女は唯一話を聞いてくれる偉い人だ。
王宮内での勢力なんかもよくわかっていないから、ありがたがって何でも教えてくれる。
直接的な資金援助などの協力は得られないまでも、こういった細かな情報収集においては非常に役立つ存在だった。
完全に街に溶け込んだ目がごまんとあるような状態である。
まぁ、問題は結局自分で聞かないとその目たちからは何も報告が上がってこない点にあるのだが。
しかし今回は役に立った。
彼らは皆ウェスカのことを知っている。
目立たぬ容姿であるが、子供に優しく、誰にでも丁寧な男に好感を持っていないものは殆んどいないのだ。
「ああ、ウェスカさんなら……」と、足取りが全てわかるほどに情報が集まるのだ。
そうしてある路地付近にたどり着いて、クルムが店に立ち寄ろうとしたところ、一人の中年女性が「ああ、良かった、クルム様!」と言って向こうから駆け寄ってきた。
さっさとウェスカの話を聞きたいところだが、クルムはぐっとそれをこらえて女性に尋ねる。
「どうしたんですか?」
「あのね! 結構前にウェスカさんがこの奥に入ってったきり出てこないんです! 見に行ったら子供は虫の息で倒れてるし、持っていた荷物は地面に散らばっているしで心配で……!」
「ありがとうございます! 探してきます」
「あ、でも、もしかしたら危ないかも……」
「大丈夫です、先生がいるので」
急ぎ路地裏に駆けこむクルムと、それを追いかけるグレイ。
黙ってついてきているだけのグレイは結構感心していた。
ここに至るまでの所要時間はわずか三十分程度。
行動ルートが限られていたとしても、この人口十万人を超える街の中から短時間でこれだけの情報を収集できるのは、日ごろの努力のたまものである。
路地を抜けていくとだんだんと治安の悪そうな場所に差し掛かる。
クルムは何も気にせず果敢に進んでいき、べろべろに酔っぱらいながら路上で酒を飲んでいる男たちに目を付けた。
「すみません、お尋ねしたいことがあります」
「あー? はいはい、お尋ねしたいことなんですかぁ?」
「人探しをしておりまして。謝礼はお支払いいたしますので、是非ともご協力を。ええと……」
特徴を言おうとすると、パッと出てこない。
目立たぬ顔つきをしているのがあだとなって、説明が酷く難しい。
しいて言えば年の割には童顔なのだが、それがどうしたという話だ。
「よし、わかった! お嬢ちゃんさてはお金持ちだなぁ? おじさんたちが一緒に探してあげるから、こっちにおいでぇ」
ふらりと歩いてきて肩を組もうとした男の腕を、グレイががしりと捕まえる。
このまま放っておくとどこかへ連れていかれて財布ごと全部持っていかれそうだ。
急な話だから仕方ないが、こんなところにいかにも金持ちですという格好で来るものではない。
「んだっ、この!」
気分よく美少女であるクルムにからもうとしていた酔っ払いは、突然邪魔をされて腕を払いのけようとする。そのままバランスを崩して転びそうになったが、腕を支えられていることでぶら下がるようにグレイを見上げることとなった。
「でか! ……あ、なんだ、爺じゃん。おーい、爺。痛い目見たくなきゃこの手を放せよ」
「うむ、元気で良いことじゃな。儂が一杯おごってやるから話をじゃな」
「こら、爺、放せって言ってんだよ。おら!」
放せと言ったのに御託を並べるグレイに腹が立ったのか、酔っ払いの男はぶら下がったような姿勢のまま、腰の入らない蹴りをグレイの足に放つ。
「まあ落ち着け。そこらで酒でも飲んでじゃな」
「放せって言ってんだろ爺、こら、その鬚引きちぎるぞ!」
酔っ払いはいっこうに話を聞かず、あろうことか空いている方の手をグレイの鬚に向けて伸ばす。
「ふんっ、これもおごりじゃ!」
瞬間グレイの空いている方の手もひらめき、路地裏に見事な打擲音が響いた。
頬を張られて一瞬にして意識を落とした酔っ払いに対して、グレイは返す手でもう一発反対の頬を張り飛ばす。
「こりゃあ気付けの一発!」
顎に手の甲が当たる鈍い音がして、気持ちよく旅立っていた男に意識が強制的に戻される。グレイは目を白黒させて胃の中のものを戻した男の腕を、なおも吊り上げたまま呟く。
「まったく、これじゃからならず者というのは……」
クルムは横目でグレイを見ながら思う。
助けてもらったのは事実だが、ならず者はどう見たってグレイの方であると。




