ウェスカの嘆き
王宮を出るまで無言であった二人だが、人の目が少なくなったところでクルムが声をあげる。
先に歩いているのはもちろんグレイだ。
大股で歩くせいで、クルムは小走りでないと追いつかない。
「先生、あれではファンファお姉様と敵対してしまいます」
「それがどうした」
「これからの計画を考えるとっ……」
グレイが急に足を止めたせいで、クルムはその広い背中に顔をぶつけてしまう。
「クルムよ」
振り返ったグレイは厳めしい表情でクルムを見下ろす。
その表情には僅かに怒りが見えていた。
「仕掛けてきたのはあいつじゃぞ。すでに敵対しておる。お主は、お主の大切な臣下に危害を及ぼすものにへらへらと笑って頭を下げるのか? それが王を目指す者のありようか?」
そんなわけはない。
ウェスカに何かあれば、クルムは絶対にファンファを許さないし、今だって腹が立っている。それでも踏みとどまっているのは、自分にまだまだ力が足りないことが分かっているからだ。
ぎりぎりのところまであの性悪女を油断させておきたいからだ。
今の時点で本腰を入れられたら、守れるものも守れなくなる。
クルムはこぶしを握ってグレイを睨み返す。
「答えよ」
グレイは容赦なくクルムに答えを迫った。
「そんなはずがないでしょうっ」
悔しさと腹立たしさで涙が出そうだった。
それはファンファに対してだけではない。力のない自分に対しても、それが分かっていながら問いかけてくるグレイに対してもだ。
「ではどうしたい」
クルムはぎりっと奥歯を噛んで、歯の隙間から絞り出すようにして答える。
「……あのにやけ顔をぐちゃぐちゃに泣かせてやりたい」
「好し」
グレイの手が動き、クルムの頭にぼすんと乗っかる。
その手は、クルムの頭をそのまま握りつぶせそうな程大きく、皺だらけの癖に妙に力強かった。
「儂もあいつが気に食わん。手を貸してやるから、代わりに、あの小娘が一番嫌がりそうなやり方でやっつけろ。取り急ぎ……、あの忠義者を助けに行くとするかの。ほれ、ちゃきちゃき歩いてウェスカが居そうな場所を探すんじゃ」
頭に乗っけられていた手が、街の雑踏を指さした。
クルムは行儀悪く袖で目元をぬぐってから、グレイの腰のあたりを叩いてすぐに走り出す。
「先生が止めたんじゃないですか」
「ぐちゃぐちゃ考えておるからじゃろうが」
「仕方ないでしょう。なんでも力づくで解決できる先生とは違うんです」
「羨ましいか」
「……羨ましいですよ!」
投げやりな肯定が返ってきてグレイは笑った。
力があっても案外世の中思うようにいかないことばかりなのだが、それはクルムにはきっとまだわからないことだ。
「あと、探す当てもないのに先に歩かないでください」
「ふむ、生意気な」
ついでに文句の一つも垂れてくるところも、なかなかどうして、段々と人間味が出てきていいことだ。
グレイはクルムの成長と変化を、割と楽しく見守っているのであった。
◆
買い物帰りのウェスカに痩せた子供がぶつかってきて、そのまま走り去っていく。
怒りの声を上げながら屈強な男が一人、それを追いかけていった。
何があったのかが気になって、路地の奥に消えていくまで目で追っていたところ、見えなくなった先で怒声と小さな悲鳴が聞こえてくる。
人を殴打する音。
何があったか知らないが、あんな大男が子供を殴ったら、あっという間に死んでしまうことだろう。
そのまま見逃すのも良心が痛んだウェスカは、仲裁に入ってやることを決めて、すぐに路地裏へと身を滑り込ませた。大男は体つきこそしっかりしていたが、戦いに慣れていそうな足運びはしていなかった。
きっと盗みを働かれたか何かであるはずだ。
多少の金ならば代わりに払ってやっても良い。
ウェスカが角から顔を出すと、そこには既にぐったりとしている子供を、さらに殴りつけようと手をあげる男がいた。
慌てて片手で振り上げられた男の手を掴む。
「やりすぎだ」
「なんだてめぇ」
男が振り返りざまに反対の拳を振るう。
あまりに喧嘩っ早い。
片手には買い物の荷物を持っている。
グレイが楽しみにしている茶葉とお菓子だ。
甘い物やしょっぱものばかりだと体に悪いと思い、香りが強めのクッキーなどを選んで買ってきている。投げ捨てては全部台無しだ。
よく見れば男の拳は随分と人を殴り慣れた形をしている。
それでもウェスカだって戦いに慣れた冒険者だ。片手であってもこれくらいの相手であれば、軽くあしらえる自信がある。
上半身を逸らすことで拳をよけて、捕まえていた腕を魔法で僅かに強化して力任せに投げ飛ばす。そこまではうまくいったのだが、ふと顔に影が落ちてきて、上から人が飛び降りてきていることに気が付く。
ウェスカはここにきてようやく、自分がこの路地裏におびき寄せられたのだと気がついた。
無理やり体をひねり、頭部への奇襲を回避。
地面を転がる最中に買ったものはどこかへ行ってしまったが、もうそんなことを気にしている場合ではなかった。
降りてきた敵へ正対して護身用のナイフを抜いた直後、足首に激痛が走る。
「ぐあっ……!」
骨が砕ける音がした。
見れば投げ飛ばしたはずの大男が、腕を伸ばして両手でウェスカの足首を握りつぶしていたのだ。投げ飛ばされた拍子に体のあちこちに木片が突き刺さっているというのに、男はにやにやと気味の悪い笑みを顔に張り付けていた。
「食らえ、糞が」
いつの間にか間近に迫っていた男、スカベラが剣を振るった。
ウェスカは咄嗟にナイフを突き出したが、それは僅かにスカベラの服を割いただけに終わった。
死を覚悟したウェスカの側頭部に衝撃が走り、意識が寸断される――。
足に強い痛みを感じて、ウェスカは目を覚ました。
高い位置には格子の窓がついているようだが、人が通り抜けられるほどの広さはない。空が暗くなり始めていることから、あれから少しばかり時間が過ぎていることが分かった。
正面にも鉄格子。
拘束はされていないが、逃げ出すことも難しそうだ。
ペタつく頬を触ってみれば、乾きかけの血が手に貼り付いた。
かび臭く、じめっとしていることから、ここがあまり使われていない地下牢であることが分かる。長く滞在するだけで病気になってしまいそうな不衛生さを感じる場所だ。
ウェスカは深く長く静かにため息を吐く。
それはただ、己が身に起こった事件に対してではなく、クルムに迷惑をかけてしまったことに対しての嘆きと後悔であった。




