ヒロインは誰だ
グレイが部屋で椅子を揺らしながら『今日の夕食はまだかのう』と考えていたところ、扉がノックされる。ノックの仕方がウェスカよりもやや遠慮がないことから、クルムのものであると推測できる。
ただ時間的に夕食であることは間違いないだろう。
そう当たりをつけながら、グレイはのっそりと立ち上がり扉を開けてみる。
するとそこにいたのは案の定クルムで、しかも表情は酷く険しい。
「……なんじゃ、腹が減ってご機嫌斜めかのう?」
「そんな馬鹿な話をしている場合じゃありません。ウェスカが帰ってきません」
グレイは振り返ってチラリと窓の外を見る。
明るさからして普段夕食を食べている時間は過ぎている。
律義なウェスカは、いつも先に二人に声をかけてから夕食の準備へ向かうのだ。
単純に仕事が押して遅れている可能性もある。
ただ、クルムの表情がそうではなさそうな雰囲気を醸し出していた。
「仕事が長引いているのでは」
「少なくとも今までは黙ってこれ程遅れることはありませんでした。先生だってウェスカの律義な性格は知っているでしょう」
「うむ、まぁ、そうじゃな……」
言ってしまえばあの年をして愚直と言えるほど純粋であった。
そしてクルムとグレイを立ててよく働く。
かつては荒くれ者の多い冒険者であったとは思えぬほどに良き男であった。
ウェスカには指輪の件も含めて、今のクルムが置かれた状況は逐一伝えている。
心配させすぎないように、グレイの行動内容は多少マイルドにして伝えてあるが、状況は正確に把握しているはずだ。
かなり腕の立つ男でもあるし、いつも以上に警戒はしていた。
帰りが遅れれば心配されるとわかっているはずなのに、何も連絡なしにこれ程遅れるのは異常なことであった。
「今日は何をしておったんじゃ」
「支度金の前払い申請と、私の作成した報告書の提出。おそらく関係省をたらいまわしにされた後、必要な物の買い出しに行ったはずです。……先生の茶葉とか、茶菓子とか」
「なんじゃ、儂が悪いみたいな言い方をするでない」
ちょっとだけ悪いという自覚はある。
自分ではあまり買わないようなお高めの菓子が用意されていたので、毎日バリバリと食べていたのは事実だ。茶葉も自分用にいれる時はぜいたくにたっぷりと使っていた。
「先生のローブに似合う装飾品とかも見繕ってくれてましたし……」
「探しに行くとするかのう。まったく世話のかかる奴じゃ」
クルムの脇をするりと抜けたグレイは、フードを目深に被って歩き出す。
「いるとすれば王宮の外かと。日が暮れるまであまり時間がありませんので急ぎましょう」
「そうじゃな。ろくでもないことに巻き込まれていてもいかん」
扉を開けると、いつもと違う兵士が一人、クルムの区画の前を守っている。
槍に持たれるようにしてさぼっていたようだが、急に扉が開いたのに驚いて姿勢を慌ててただす。
あまりやる気のなさそうな青年であった。
まだ取り繕うだけ、昼間の二人よりはましか。
「ど、どうされたんです、こんな時間に」
「ちょっと街へ出ます。もしウェスカが帰ってきたら、先生と一緒なので安心して待っているよう伝えてください」
クルムは伝言だけを残して、兵士の返事を待つこともなくグレイを先導する。
外へ出るとなればクルムが前を歩くのが基本となっており、グレイはあまり口を開かない。
クルムが急ぎ角を曲がろうとしたところで、ふわりと特徴的な甘い香りが漂ってきた。
グレイは焦って気が付いていないらしいクルムの、腰のあたりに着いたリボンを指先でつまんで止める。つんのめってしまい、クルムは文句を言おうと振り返ったが、グレイが口元に指を一本立ててることに気づき黙り込んだ。
そこでようやく甘い香りに気づいたクルムは、ゆっくりとした歩みで角から出ていく。
そこではいつもの冒険者二人を連れたファンファが、ぼんやりと庭を眺めていた。
彼女はわざとらしくゆっくりと振り返り、「あら」と声を出す。
「今からお出かけかしら?」
「ええ、少々用事ができまして」
「もう日が落ちますわよ。ほら、綺麗ね」
いつも見るような景色だ。
クルムにとっては景色がきれいだとかいった感傷的なものは、割とどうでもいいものである。この忙しいときにとイラつきが募るだけであった。
ましてこの間のこともある。
ウェスカがいなくなった件に関する第一容疑者はファンファであった。
わざとらしくこんなところでたむろしている辺り、まず犯人で間違いないだろうとクルムは確信を持った。
それはそうとして、クルムは仮面をかぶる。
クルムにはまだそれが必要だった。
「そうですね。日常の些細なものも、改めて見ると美しいものです」
「でしょう? ……高望みせず、些細な日常に満足することこそ、生きるために大事なことだと思うの。ねぇクルム、そうは思わないこと?」
優し気に、儚げにファンファは笑う。
クルムにはその笑顔が、身の程を知らないと日常を失うのだぞと自分をあざ笑ったかのように見えた。
「クルム、時間の無駄じゃ」
グレイがさらりと言うと、ファンファは面食らったように目を見開き、それから小首をかしげる。
「随分と元気なお爺ちゃんですこと。腕には自信がおありのようですが、お体には気を付けた方が良くてよ」
「余計なお世話じゃ。お主みたいなのは体格だけは立派なでくの坊どもとそこらで乳繰り合っておけ。ほれ、いくぞ」
歩き出してしまったグレイに、クルムは慌ててついていく。
ファンファはまさかそこまでの暴言が飛び出すとは思っていなかったから、ぽかんと口を開けて黙り込んでしまった。
護衛の冒険者たちも同様だ。
ようやく怒りが湧き上がってきて、顔を真っ赤にした頃には、二人の姿はすでに見えなくなっていた。
「……警告はおしまいね。何かに使えるかもと思ってましたが、あんな無礼者、生かしておく必要がないわ」
幼い顔立ちに酷薄な表情を張り付けたファンファは、護衛の二人にだけ聞こえるようにぽつりとつぶやくのであった。




