油断
自室へ向かう廊下を歩いていると、前方から豪奢な衣装をまとった美女がやってくるのが見えた。背後には屈強な男を二人、おそらく護衛として連れている。
その立ち居振る舞いから背後の男たちが冒険者であろうことを、グレイは一目で見破った。だからどうというわけでもなかったけれど。
クルムが廊下の端に避けたので、不服ながらグレイも一応それに習って道を空ける。どうせまた王族のしょうもない奴なのだろうと、心の中で毒づくところまでセットであった。
「あら、クルム。今日はウェスカを連れていないのね」
「はい、ファンファお姉様」
二人がやり取りしている間、背後の二人組はじろじろとグレイのことを観察する。
その体格を見て警戒しているようだったが、白い鬚を見て馬鹿にしたように顔を見合わせて笑った。
グレイは若いことだとこちらもにやりと笑う。
人を見た目で判断するなど青くさくて仕方ない。
青くさくて仕方なくてイライラしてくるからいっちょ教育的指導してやろうかな、辺りまで考えていたところで、ファンファと呼ばれた王女に顔を覗き込まれた。
ふわりと後から甘い花の香りが漂ってくる。
お姉様という言葉があまりに合わない容姿をした王女だった。
丸い目に小さな唇。頬は指でつけばはじき返されそうなほどみずみずしかった。
幼く見える顔立ちをしており、悪戯っぽく微笑んでいるというのに、漂う香りと雰囲気だけはどこか妖艶でアンバランスだ。
若者であればころりと引っかかってしまうであろう妖しい魅力を持っていた。
グレイはと言えば、なんじゃこの小娘と思っただけであった。
今更女性を見てどうこう思う気持ちもないし、内心を見透かそうと怪しく揺らめく目が気にくわなかった。
というか王族だとわかっている以上、自動的に仕草の全てが気にくわない方向に印象付けられるようになっているので、枯れていることを差し置いても、いくら良い女を演出しようがグレイには関係なかった。
散々覗き込んだあげく、左の口角だけが一瞬あがったのがなおのこと気にくわなかった。それは人を小ばかにしたときの笑い方だと、グレイは経験上よく知っていたのだ。
「もしかして、この素敵なお爺様はクルムの教育係かしら?」
悪い印象がばっちりついてしまっているグレイには副音声がはっきり聞こえる。
『こんな死にぞこないしか教育係にできないなんて笑っちゃうわ』と言ったところだろうか。被害妄想なのか真実なのかは、ファンファにしかわからないが、グレイにとってはそういうやつという認識である。
「はい、その通りです。どうぞよろしくお願いいたします」
「王位継承者争いに参加するつもりなの? 悪いことは言わないわ、今からでも考え直した方良くてよ? 私だっていつも怖くて怖くて……、この方々が一緒にいてくださらなければ、今にも倒れてしまいそうだもの」
ふらっとわざとらしい演技をして、後ろの冒険者たちにもたれかかるファンファ。
冒険者達はまんざらでもなさそうに鼻の下を伸ばしてニヤついている。
王女にしてはやり口がまるでその道の女性のようであった。
グレイはこの不愉快な一行をまとめてKOするイメージを脳裏に浮かべながら、辛うじて舌打ちをすることを我慢する。
なぜ我慢しなければならないのだろうかとふと疑問に思ったところで、いちゃいちゃが終わってファンファがまた喋り始めた。
「あら、その指輪どうしたの? 随分と大きな宝石」
クルムもグレイも共通で思ったことは、『さっさとどっか行かないかな、この女』である。
それでも無視するわけにはいかないので、クルムは仕方なく無難に返事をする。
「預かりものです。なくすと大変なので身に着けています」
「……そう。立派な割にネックレスには似合っていないものね」
指輪の立派さに嫉妬したのだろう。
やや機嫌を損ねたらしいファンファは、あからさまな嫌味を言ってにっこりと笑った。
「大きさからして男性物かしら? そんなにいいものを預けてくれるなんて、素敵な知り合いがいるのかしら? もしかしてそちらのお爺様のお知り合い? どうやって仲良くなったのかしら?」
たった一つの指輪からどん欲に情報を聞き出そうとするファンファの目は笑っていなかった。
クルムは数少ない王女としての王位継承者争いへの参加予定者だ。
自分の強力なライバルとなり得ると判断したようである。
完全に油断をしていたと、クルムは内省する。
せめて王宮についた時点で指輪は荷物の中にしまっておけば良かったのだ。
街中であれば肌に触れているほうが安心であったけれど、王宮では誰かに見られることを気にするべきであった。
今更考えても後の祭りである。
クルムはにこりと笑って首をかしげる。
「街で先生のお知り合いにたまたま出会いまして、諸事情で一カ月だけ預かってほしいと言われたのです。事情の方は先方の都合もありますので容赦ください」
嘘は一つも言っていないが、大した情報も漏らさない。
街にある店で会ったパクスは、たまたまグレイの知り合いであったし、一カ月だけ預かるのも事実だ。
ファンファもまた、そのしっかりとした防御ににこりと笑った。
「それじゃあなくさないように気をつけないといけないわね」
クルムはこれまで間抜けた態度をとって、他勢力の者たちを油断させてきた。
彼らも馬鹿ではないから、ほとんどの者は頭からそれを信じ切っていたわけではない。
しかし、今この瞬間、ファンファはクルムのこれまでが演技であったと、はっきり確信したのである。
「それじゃあ、クルムも周囲には気を付けるのよ。女の子なのだから」
ふわりと甘い香りを残してファンファはしゃなりしゃなりと立ち去っていく。
十分に距離を取ったところで、グレイはぼそりと呟く。
「ありゃあ毒婦じゃな」
「言い過ぎです」
クルムは指輪をネックレスから外して手の中に握りこみながら、グレイの罵倒をたしなめる。
「本当にそう思っておるのか?」
グレイの問いかけに対して、クルムはちらりとファンファが消えていった廊下の角を見やってから、小さく鼻を鳴らして自室に向かって歩き始めた。




