黒ずくめの怪しい男
この街を拠点とする大きな商会は、基本的にすべて他の勢力の息がかかってしまっている。そんなところに新たに縁を作ろうとすると、すぐに動いていることが見つかって目をつけられてしまう。
ちまちまと小さな店をまわっているだけならばまだ見逃されるのだが、中規模の商会に交渉を持ち掛けた下の兄は、間もなく命を落とすことになった。
だというのに、商業組合の代表の一人ともなっている商会長の下を、クルムが訪ねることができているのには二つの理由があった。
一つは、この商会長、王侯貴族が声をかけてやっても、ちっともありがたがらないからだ。
どうせここの商会長はクルムなんかになびかないと、兄姉全員が高をくくっている。逆に言えば兄姉の全員も、一度はここの商会長の懐柔に失敗しているということなのだが。
ふつうそこまで強情に突っぱねれば、適当な罪を着せられてしょっ引かれそうなものだ。しかしこの商会長がまた曲者で、頭角を現してから十年程度、見事にその罠をかいくぐって商会を成長させ続けている。
なぜそんなことが可能なのか。
噂によればこの男、王都の貧民街と強いつながりがある。
界隈では『貧民街の王』とも呼ばれ、さげすまれつつ恐れられていた。
罪を着せようとすれば身代わりを。
汚い真似をするものには震えて眠る夜を。
命知らずの貧民たちに慕われている男を止められる者は、現状誰もいないそうだ。
そんな黒い噂もあるものだから、王宮の諸兄姉も評判を気にして今一つ本腰を入れて取り込む気にもならない。
これがクルムが度々訪ねていると知っても放置されている、もう一つの理由である。
店に入る前にしっかりと服装を整え直したクルムは、気を引き締めて堂々と店内へ足を踏み入れる。頭の中は今日こそあの商会長を味方につけるための作戦でいっぱいであった。
奥に案内をされている途中で、もう一度注意をしておこうと振り返ったクルムは、そこにグレイの姿がないことにようやく気付いた。
いつからいなかったのか。
少なくとも道中は面倒くさそうにクルムの話を聞いていたはずである。
「あの、すみません。私の後ろにローブ姿の背の高い人がいたはずなのですが……」
「……ああ、外で店の商品を眺めていましたよ。護衛か何かです?」
「すみません、迎えに行っても?」
「ええ、もちろん。パクス会長もまだ外から戻っていませんから」
「すぐに連れてきますので、すみません」
目を離したらいなくなるなんてまるで子供である。
クルムはまったく、と思いながらお上品に、しかし急ぎ足で廊下を戻るのだった。
さて、そんなところでグレイである。
グレイは店の端に愛飲している茶葉があるのを見つけて、ふらりとそちらへ移動していた。クルムは店内へと入っていってしまったが、どうせ一緒に行ったところでしゃべる言葉はないとわかっている。
グレイのやるべきことは護衛だけだ。
パッと店内を見渡した限り、危なそうな奴はいなかった。
権力争いのための上辺だけのやり取りは勝手にやってくれ、というのがグレイの本心であった。
王都でこの茶葉を扱っている商会は一つだけ。
グレイはこの店を訪れたことがなかったが、いつも月末になると家に茶葉が届けられるようになっていた。
そのうちの一つを手に取って、グレイは店の外観を見上げながら呟く。
「まったく……、生意気に立派な店を持ったことじゃな」
苦々しい表情でグレイが呟いていると「おや……」という声が背中に飛んでくる。
わざとらしくグレイに気づかせるためのものであったが、グレイはあえてその声を無視して茶葉の陶器を元の場所へ戻した。
「その大きな背中に立派なローブは、グレイ先生ではありませんか?」
グレイは気づかぬふりをして立ち去ろうかと考えたが、中にクルムがいるのだったと思いだして、仕方なくその場にとどまった。
「先生、耳が遠くなりましたか?」
「……久しいの、元気そうで何よりじゃ」
「先生も相変わらずお元気そうで。しばらく家にご不在のようですが、お引越しでもされましたか?」
「調べたのか?」
「いえ、茶葉を届けたところ何日もお返事がなかったそうなので。周囲を嗅ぎまわられるのはお嫌いでしょう?」
横に並んできたので仕方なくちらりと視線を向ける。
身長はグレイよりもやや低い。
黒いハットに黒い礼服。
それに黒く薄い手袋をつけている。
顔の下半分にも黒い布が巻かれており、ほとんど開いているのか閉じているのかもわからないような目元だけがのぞいている。
全身真っ黒。
影の擬人化みたいな縁起の悪そうな男であった。
「……なんにしてもお店に来てくださって嬉しいですよ。直接お話しするのは十数年ぶりになるでしょうか?」
「……まぁ、そうじゃな。手紙と共に届くものじゃから、何をしているかはよく知っておったが」
「茶葉のお支払いも結構ですのに。いつも多く頂いているようで却って申し訳なく」
「施しはうけぬよ」
「施しなどと……」
唯一見えている目と眉だけでも、男が困ったような顔をしていることだけはわかる。
グレイは盛大にため息をついて呟く。
「あれは質の良い茶葉じゃ。良いものに金を払わぬのでは失礼じゃろうが」
ほんの僅かに男の目が開いた。
そうして口を開こうとした瞬間、少女が店から現れ、グレイの方を見て足を止める。
「なんじゃ、もう話は終わったのか?」
やってきたクルムに減らず口を叩くが、クルムの視線はグレイの横にいる人物に向けられていた。
「パクス会長、お邪魔しております」
クルムが挨拶をすると、パクスと呼ばれた黒ずくめの男は、顔の下にかかった布を軽く揺らしてため息をついた。
王族と分かっていてこの態度である。
「……すみません、先生。今日は用事があったのでした。話は手早く終わらせますので、しばし中でお待ちいただけると嬉しいのですが。もちろん、お茶もお出しいたします」
久々の再会を邪魔した少女に対して、パクスは平常通りの冷たい視線をくれてやりながら、グレイをお茶に誘うのであった。




