うまい誘導
「基本的に私には、背骨となるような組織がありません」
朝からの訓練で体力を使い果たしたクルムは、椅子に体を預けながら口だけを動かしていた。広い自室で訓練を続けているが、息が切れてくると窓のない部屋と天井が息苦しく感じてくる。
本当は気持ちよく外で訓練したいところだが、手の内はできるだけ明かさないほうがいいと知っているから、そんな提案はできない。
「お主の母は何をしていた」
「劇団の花形であったのを、お父様に見初められたと聞いています」
「なるほどのう」
クルムが疲れ切った後も、グレイは一人で体を鍛えている。
先ほどまでは五本の指を床について腕立て伏せをしていたけれど、今は指が三本になっている。
基本的にゆったりとしたローブに隠れていてよく見えないけれど、どう考えても中身は引き締まっている。
「では、その関係は当たってみたのか?」
「いえ、まだです。これまでの私が動いた場合は、生意気なことだと妨害される可能性が高くありました。市民の理解を得るための手段としての劇団は、非常に強い力を持っていますが、財力・権力といった面では強くありません」
「ではどうする」
「新興の商売人たちに声をかけて回るつもりでいます」
「あちらも生き残るのに必死じゃ。あまり信じても良いことはないぞ」
「重々承知の上です」
クルムの下の兄は、それではめられて命を落とした。
これまでクルムが関係性を広げていけなかったのは、その前例があったからだ。
ウェスカは護衛に役立つが、常に一緒にいられるわけではない。
その点この異様に腕っぷしと癖の強い老人を連れまわすのはそれほど難しくなさそうだ。どうせやることと言えば、古いテーブルをピカピカに磨いているくらいで、他の時間はこうして筋トレをしているか、茶をしばいているくらいなのだから。
グレイさえ連れまわせば行動範囲は劇的に広がる。
もし他勢力下にありそうな商人だったとしても、積極的に声をかけて行けるようになるのだ。
「それを踏まえた上で、先生にも恥を忍んでお願いします。先生はどこか私の味方となってくれる者に心当たりはありませんか? 冒険者時代の伝手があるとか、王宮に恩を売ったものがいるとか」
「ふぅむ……」
グレイは腕立ての姿勢から、床を蹴って倒立。
それから腕の力で体を跳ね上げて、空中で一回転し着地した。
老人の動きではない。
暫く訓練をつけられた結果、もはやグレイが人の範疇にあると考えていないクルムは驚きもしなかったけれど。
グレイは質問について考える。
学園にいた頃はいじめられていた下級貴族をよく助けていた記憶があった。
しかしその分上級貴族の顔を世間的な意味で潰したり、物理的な意味で腫らしたりしていたので、恨みの方がよく買っていそうだ。
それどころか中途半端に助けたせいで、恨み言を言われたことすらある。
『うるせぇ、じゃあ一生いじめられてろ!』と言った結果、奮起していつの間にかムキムキマッチョになっていた。卒業までに何度か殴り合いのけんかをした記憶があるが、流石に爺なのでもうすっかりしぼんでいることだろう。
自分の体のことを棚に上げながら、あいつは却下と脳内で切り捨てる。
では冒険者時代はどうだろう。
結構色んなパーティをサポートしてやった記憶はあるけれど、今更のこのこと顔を出すのは恥ずかしい。名前もグレイとしか名乗らず、ろくに会話をした記憶もなかった。
最初の失敗をずっと気にしたせいで、特定のパーティに長く在籍したこともない。
最後に一緒に行動していたパーティのやつらには、それなりに恩を売って離脱してきたつもりだが、それを返せと言うのもかっこ悪い。
そもそも探し出してお礼を言いに来ていないのだから、その程度にしか恩を感じていなかったということだろう。
グレイは彼らが結局やってこなかったことに、ちょっとだけ拗ねながら二十余年を過ごして来たのだ。今更どの面下げてと言うやつである。
では教え子はどうだ。
確かに奴らは王都のあちらこちらで目覚ましい活躍をしているらしいが、自分から連絡を取ったことは一度もない。季節になると物を送ってくるような律義な教え子もいたが、師が弟子に頼るなんて情けないにもほどがある。
クルムのためとはいえ、そんなダサい真似はしたくなかった。
鬚をなでながら長いこと黙り込んでいるグレイに、クルムはもう一度尋ねる。
「誰か紹介していただけませんか?」
「うむ、無理じゃ」
「……あの、結構本気でお願いしているのですが。あれだけ長いこと考えていたんです。心当たりはあるのでしょう?」
「あるが嫌じゃ。というかお主忘れておらんか? 儂はこの国で罪を犯して三十年追放されていた男じゃ。儂が昔馴染みの貴族なんぞに声をかけて見よ。あっという間に悪評が広まって大変なことになるんじゃぞ?」
「そもそも罪というのは殺人ですよね? 普通王族に手をかけた時点で死罪のはずでしょう。なぜ三十年で許されるんです」
「お主、さては儂のことを調べたな?」
グイっと顔を近づけられて、クルムは思わず一瞬身を引いたが、すぐに立ち直って堂々と言い返す。
「当たり前でしょう。教えて下さらないのですから」
「うむ、良いことじゃ。儂なんてあからさまに怪しいからのう」
文句を言われるのかと思えば、けろりと笑ったグレイはクルムのことを褒めた。
「……自覚があるのでしたら、自発的に情報を開示してください」
「調べたのなら知っておろう?」
「載ってませんでした」
「どういうことじゃ?」
「あなたの存在は歴史から消されていたと言っているんです。アルムガルド家の内紛によりお家の取り潰しがあったと。その際に王族が一人巻き込まれた。あなたに関して見つけることができた記録はそれだけです」
グレイは途端に不機嫌そうに「ふぅむ」と唸った。
「つまらないことをしよる」
「私が王になれば、全部あなたの言う通り記録を書き直させますが」
「お、そりゃ良いのう」
「ということで、伝手を紹介してください」
「それは嫌じゃ」
ないと言わないのがグレイの正直であり厄介なところだ。
本当は何かがあるとわかっているからこそクルムも何度も頼み込んでいる。
「わかりました。とりあえず今はそれについて諦めます。その代わり午後の外出は、もう少し見栄えのいいローブを羽織ってください」
グレイの部屋のクローゼットには良い仕立てのローブをいくつも用意してある。
難しいお願いから簡単なお願いへのスムーズな移行。
話の流れはクルムの想定通りである。
これならば頷くに違いないと準備した、クルムの本命のお願いであった。
「嫌じゃが?」
「何でですか!」
あまりに思い通りにいかず、クルムは思わず平手でテーブルを叩いていた。
高級なテーブルは丈夫で、結局痛めたのはクルムの手のひらだけであったけれど。




