魔法の師
グレイが魔法についての解説を始めると、はじめは不満そうにしていたクルムも、徐々に真面目な表情になって黙って聞いていた。あらかじめいつでも質問をしていいと伝えていたのにもかかわらず、そこからただひたすら黙って聞く姿は、優等生という言葉がよく似合うあり方であった。
グレイは同じ年ごろの子供をこれまでたくさん育ててきたが、そのうちのどの子にも見られなかった集中力と真剣さがあった。
どこまでの能力があるのかと、段々楽しくなってきたグレイは、少しずつ理解することが難しそうな話にシフトするが、クルムはわかっていそうな表情で耳を傾けている。
おおよそ三時間はぶっ通しで話し続け、昼食の時間となる頃に部屋がノックされて「昼食の準備ができました」というウェスカの呼びかけが聞こえてくる。
「今行きます」
もしかして目を開けたまま寝てるんじゃなかろうか、とすら思い始めていたグレイであったが、クルムはきちんとその呼びかけに返事をした。
そうして立ち上がりグレイに頭を下げる。
「……先生は知識も豊富なのですね」
「……ふむ、まぁのう」
時折専門的な言葉をわざと混ぜて話してみたのに質問がなかった。
それはすなわち、知っているか、知らぬことを聞けぬかのどちらかだ。
この短い付き合いでも、クルムの場合は後者であるわけがないとグレイは考える。
「……しかしお主、儂の話したことはあらかじめ知っておったのではないか?」
そのことから導き出される結論はこれしかなかった。
「本はたくさん読みましたので。私の知ることと、現場を知る先生のおっしゃることとにさしたる相違がなく安心いたしました。学んできたことは無駄ではなかったようです」
誇るわけでもなく、本当にただ良かったと頷くクルム。
目的のためならば努力を苦にするタイプではないのだろう。
育てがいがある。
王族も貴族も本当に好きではないが、クルムという少女の才能をグレイは目の当たりにして、ますます興味をそそられていた。
目的はともかく、場所はともかく、生まれ育ちはともかく、とにかく面白い。
しばし思考を巡らしながら食事をとっていたグレイは、その結論を口にする。
「午後からは実戦じゃな」
「いいのですか?」
「早い方がいいんじゃろ。先ほど話したことが理解できているのならば、あとは実際に動くだけじゃ」
「助かります」
二人の会話を今一つ飲み込めなかったウェスカに気付いたクルムが説明を挟む。
「午前中に魔法を使えるようにしていただいたのです。午後からは実際に訓練を」
「……おめでとうございます」
ウェスカは目を丸くしたが、すぐにクルムに祝いの言葉を述べた。
クルムはこれまで信頼できる相手がいなかったから、魔法を使えるようになることを避けてきた。頼んだ相手がどこの誰の回し者かわからない以上、失敗したと言って殺されてもおかしくないからだ。
それを会ってほんのわずかであるグレイの下で、二人きりで目覚めさせたというのだ。
二人の間にある信頼関係はどれだけのものか。
本当にグレイを見つけることができて良かった、と感動していたのである。
では実際そんなに警戒していたクルムが、なぜグレイに魔法使いとしての目覚めを頼んだのか。
実力は確か。性格は酷い。
しかしこんなひどい態度の爺さんが、まさか他の勢力からの回し者だとは考えられなかっただけだ。
例えば他勢力の者がグレイと接触して、クルムの暗殺を頼んだとする。
そこでこの王侯貴族大嫌いな唯我独尊老人が、依頼を引き受けることがあるだろうか、いやない、という思考である。
クルムはこの考えに確信を持っていた。
ある意味信頼と言えるのかもしれないけれど、それは互いを盛り立てようとか、麗しき師弟愛とかそういうものでは決してない。
「グレイ様、本当にありがとうございます」
すでに食事を終えていたウェスカは、立ち上がり丁寧に頭を下げる。
「いや、なに、当然のことをしたまでじゃ」
クルムは当然という部分にちょっとだけ腹が立ったが、ポーカーフェイスを保っていた。説明不足で酷い目にあわせたことは、グレイにとっては当然のことであるらしい。
そういえば一発殴ったからちゃらと言われたけれど、あれも自分が手首を痛めただけである。
未だに右手を動かすとちょっとだけ痛い。
「俺は共にいられないことも多いですが、どうかクルム様を導いてください。お二人のお食事の最中ですが、私は次の仕事がありますのでこれにて失礼します」
「うむ、励むと良かろう」
「ありがとうございます」
ささっと移動したウェスカは、もう一度頭を下げて静かに部屋から出ていった。
ウェスカは大事な主が大人でも悲鳴をあげるようなひどい痛みを味わったことを知らないし、その後犬猫でも持ち上げるようにつままれて、ポイっとベッドに放られたことも知らない。
知っていたからなんだという話でもあるが。
「……ウェスカの前では妙なことをしないでくださいね。衝撃で倒れられても困るので」
「うむ、まぁ、流石にそれは哀れじゃな」
あれだけ真摯に働いている人間を痛めつけるのは、流石のグレイも気が引ける。
というか、元々善良な人間に対しては割と優しいタイプだ。
本来はクルムに対してだってそのはずだったが、王族ということで残念賞マイナス百点であったゆえの今である。
一度本性を出してしまったのでもう隠さなくてもいいやという解放感も、グレイの自由な行動を加速させていた。
二人はそれきり会話もせずに食事を終えてさっさと部屋へ戻る。
午後いっぱいを使って訓練を進め、夕暮れ時にグレイは心底驚きながらクルムに向けてこう言った。
「いやぁ、お主、死ぬほど魔法の才能ないのう」
懇切丁寧に教えても魔法が正確に発現しない。
確かに使えるようになっているはずなのに、感覚的な部分が理解できないのだ。
これはグレイが悪いわけではない。
グレイは様々なやり方から最初の一歩を踏み出させようとしたのだが、何をしてみても現れるのは僅かな空気の炸裂のみ。
魔法が形となって表れないのだ。
あんなにひどい目に遭ったのに。
理論はしっかり分かっているはずなのに。
クルムも相当強いショックを受けて、壁に手をつき辛うじて精神を保っているところに放たれたのが、先ほどのグレイの言葉である。
糞爺であった。
「わ、私は、そんなに才能がないですか?」
「過去一ない」
「な、なんのために、あんな痛い目に……」
「いやぁ、神は色んな才能をお主に与えたぶん、魔法の才能は取り上げたんじゃろうなぁ。ほっほっほ」
笑う場面ではない。
背中を向けて笑うグレイに、クルムが本気で殺意を抱き始めたころ、ぴたりと高笑いがとまる。
「じゃがまあ、お主、儂が師で良かったのう」
返事をする気も起きない。
どうやって不意打ちしたらこの年寄りに攻撃が通るか考えているクルムに、グレイは続けて言葉を投げかけた。
「神なんぞ糞じゃ。儂ならそんな才能がないお主にも、自衛できる程度の矛ならば授けてやれる」
勢いよく振り返ったグレイの顔には影がかかっていた。
神も悪魔も頼らぬ人生を送った老人の顔だった。
顔に浮かんでいたのはめちゃくちゃに悪そうな笑顔だった。
「魔法が形にならぬのなら、形にせねばいい。まぁ、任せておくんじゃな」
もしかしてこいつが悪魔なのではないか。
一瞬思ったクルムだったが、まぁそれでもいいかと、グレイに真剣な顔を向けて頷いたのであった。




