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中編

火照った頬が冷めてきた。

暗い、部屋の中。

ふと床の間をみると、花瓶に青白い菖蒲が生けてあった。暗い部屋の中でそれだけが際だって見えた。

手を伸ばしてみる。

――まるで娘の生気を吸ったのかのように、

カオルの言葉を思い出す。

でも、御伽話だと言っていたし。そっと菖蒲に触れる。

強い、甘い香り。

カオルの香り。

キスの時に嗅いだ香りだった。

気まぐれなんだろうと思う。

じゃなきゃ、するわけないじゃない。


そういえば、お風呂に入っていなかった。

カオルに借りられるか聞こう。

ついでに夏実の具合も看てこよう。

でも今、カオルに会うのは恥ずかしい。

思い出すとまた顔が熱くなる。

まず、夏実のところに行って、トモがいたら聞いてみようと香代は思った。


*****


部屋は案外簡単に見つかった。

電気ついていたからだ。

夏実は寝ていた。

顔は見えないが、体が規則的に上下している。

トモは香代に背を向け胡座をかいて夏実を見つめていた。

じゅるりとよだれを啜る音がした。

ぞくっと背中に寒気が走る。

気持ち悪いというわけではなくて、怖い。そんな感情だった。

さっきはトモの長く結ばれた髪でわからなかったが、紺の着物に蜘蛛の絵がかかれている。

なぜか、黒蜘蛛の伝承を思い出した。

「トモ・・・さん?」

思ったより切羽詰まった声が出てしまった、震えている。

びくっと背中を震わせ、トモが勢いよく振り向く。

「なんだ、香代さんか。ちょっと寝ちゃってたよ」

そう言いながら笑う。

本当にそうだったの?

そんな言葉は喉に引っ掛かり出てこない。

だけど、そうなんだろうとも思う。香代自身よく居眠りしてしまって、よだれが出そうになるから。

「大丈夫ですか?私かわります」

「いいよ、大丈夫。何か用があったんだろ?」

「お風呂、お借りしたくて・・・いいですか?」

「案内するよ」

さっきの寒気は収まっていたから、気のせいなんだと思うことにした。

トモはいつもと同じ笑顔だった。


風呂は案外、年季の入った感じでヒノキ作りだった。

「ヒノキ作りだなんて初めてだったわ」

ホカホカと湯気をたてながら浴衣に着替える。

思えばこの家が年季の入った昔の家だ。

囲炉裏だったし、食器を洗っているときだって電化製品が見あたらなかったように思える。

まるで、時が止まっているかのような。


でも、言っちゃ悪いけど、かなり田舎だし、こんな家だってあるわ。


*****


寝ようと思った。

布団にうずくまる。

眠れない。なぜかとても不安で怖くて眠れなかった。

夏実が心配、危険だと頭の中でグルグル回ってる。

なにが危険なの?と自分に聞いても、ただ本能的に危険だと香代に警告するだけだった。

もしかしたら、夏実の体調が悪くなったのかも。

「夏実・・・」

月明かりが廊下を照らす。窓から満月が見える。

文献での黒蜘蛛の伝承はこんな夜が舞台だったと思い出す。

外の庭には真っ白な菖蒲がたくさん咲いている。さわさわと揺れる。

「夏実大丈夫?」

襖に手をかけ、静かに開ける。

真っ暗だった部屋に月の光が差し込む。

もう少し襖を開ければ、夏実の寝ている布団が見える。

一歩、部屋に入る。

裸足の足にぬるっという気味悪い感触がする。

足が止まる。月の光を浴びて、何か細いものがキラキラと輝いている。

「なつ…み?」

襖を全開にしようとまた手をかける。何か手にまとわりついた気がした。

気持ち悪い。襖はうまく開かない。こんなに立て付けが悪かっただろうか。

全開にされた襖から満遍なく部屋に光が流れ込む。

キラキラと光っていたのは、細い糸だった。

壁から壁へ、幾本もの糸が蜘蛛の巣を形作っていた。

はっと手を見る。何かがまとわりついた香代の手にはやはり蜘蛛の糸がついていた。

「やっ」

蜘蛛の巣を払う。

巣の中心に何かがいる。

蜘蛛? こんな大きな巣を作る蜘蛛なんているはずがないのに―――

月の光で、中心の物体がわかる。

夏実だった。

「夏実!」

夏実に駆け寄る。

気を失っているのだろう、反応はないが息はしている。

肌蹴た浴衣から見える胸はちゃんと上下していた。

蜘蛛の巣を取り除き夏実を助け出そうとするが、うまく糸が切れない。

「やだ、やだ!」

混乱してうまく手が動かない。

照らされていた光が後ろに現れた影によって遮られる。

うごめく、影。

すぅと背筋が凍る。

「なにしてる?」

トモの声だ。

でも、振り向けない。体がガタガタと震えてくる。

人の形をしていたはずの影は、もはや人の形ではなかった。

「あ、あ、」

黒蜘蛛、

「本当はその女だけでよかったんだ、でも香代さんも美味しそうだよね」

くぐもった声が耳元で聞こえる。

あの時聞いたじゅるりという音が聞こえた。

「きゃ」

体が浮いた。

廊下に投げ出される。

打ち付けられた体が軋む。

カサカサという音が香代のほうへ向う。

香代は体を起こし、懇親の力で襖を閉め走り出す。

蜘蛛の頭部が襖にぶつかる。トモがもがいている。

夏実のことが頭をよぎったが、死ぬのは嫌だった。


廊下を走る。

トモは、トモは黒蜘蛛だったのだ!!

玄関はどこだろう、闇雲に走ったから解らなくなってしまった。



目の前に来た黒い影にぶつかり、抱きとめられる。



月明かりの廊下に甘い匂いが漂う。

結局、中編。

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