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前編

「そういえば、民俗学を専攻されてる学生さんなんですよね」

囲炉裏の向こう側に座る、黒髪の青年がにこやかに言う。

「はい、金原大学院の二年生なんですよー」

斜め隣に座る、肩で切りそろえられた栗色の髪の若い女が頬を染めながら答える。

女の名前は坂下夏実という。

「へー、すごいんだな、女なのに」

夏実の前に座る、トモと名乗った青年が驚きの声を挙げた。

「な!女なのにって今の時代、そんなこと言ったら男女差別で訴えられますよ!ねぇ香代!」

「あ、うん」

夏実が頬を膨らませながら抗議する。

確かに、遺憾である。が、ふられると思っていなかったので曖昧な返事になる。

トモは苦笑いをして、ごめんと謝った。

「でも、トモの言うことも一理ありますよ。男女問わず院生になるのは大変だと聞きます」

素晴らしいですね、と青年が言う。

「そんな…!ありがとうございますー!」

「ありがとうございます。でも、夏実には負けますけど…」

夏実は頭も良く、可愛らしい女性だ。所謂、美人に属する女性だった。

香代もけして可愛くないわけではないが、夏実には劣っていた。

「お二人とも素晴らしいと思いますよ」

微笑みながら青年はまた褒める。

香代は褒められて、顔が赤くなる。長い黒髪が伏せた顔にかかった。

嬉しい、恥ずかしい、そんな気持ちだった。ほかにも理由はあるが。


四人の男女が囲炉裏を囲んでいる。


「夕飯が出来たようだ」

その声にはっと我に返った。

顔を上げ、垂れた髪を押さえながらぎこちなく笑いすみませんありがとうございますと言う。

まだ顔は赤いんだろうか。いやだな、まだ頬が火照ってる、香代は心の中で苦笑いをした。


来客用のお椀に雑炊が盛られた。

えんじに白い花が描かれている。とても可愛らしい。

夏実のには紺に雲。こっちもかわいいと思う。

良い匂い。美味しそう。


「ありがとうございます。とても美味しそう」

正面から差し出されたお椀を受け取る、微かに指が触れた。


ふわり、と甘い香りがした――



******


香代たちは自身の専攻する民俗学のフィールドワークのためにこの村にやってきた。

二人はこの土地に伝わる伝承を調べている。

つい先日、新田ハルという年配の女性にインタビューのアポイントが取れたため来たのだ。

地図をたよりに村はずれの新田ハルの家に来たはいいものの、本人は居なく一人の青年が出てきたのだ。美しい青年だった。

「すみません、祖母は親戚の家に出かけておりまして」

青年は新田カオルと言うらしい。

「インタビューですか。もしかしたら忘れてしまっているのかも、祖母も年ですから…」

時間通りに始められなかったり、本人が居ないなど、こういうことはよくあると教授が言っていた。

そんなことでめげてられない。

「そうですか、ではまた明日…」


「兄さん」

カオルの背後から別の声が聞こえてきた。

「お客様?へー珍しいね。嬉しいな」

無邪気な笑顔が向けられる。

いたのは髪の毛をうしろで結び、浴衣を着崩している青年だった。

「は、初めまして、田中香代です。隣は坂下夏実です。今回は新田ハルさんにお会いしに来たのですが、いらっしゃらないみたいですので…」



トモとは兄弟で、カオルが兄らしい。

二人とも香代が見たこともないほどの美形だ。まるで芸術のよう。

カオルは穏やかな感じの好青年、トモは色気を醸し出してる感じだわ。と香代は思った。


「そうだ、一緒に晩御飯でもどう?」

トモが香代たちに聞いてきた。

「え、晩御飯ですか?」

びっくりして素っ頓狂な声が出てしまった。帰ろうと思ったのに。一方では、

「トモ!」

カオルが声を荒げる。

「うん、田中さんと坂下さんには迷惑かけたし、いいだろ?」

トモがにやっとカオルに笑いかける。カオルの眉はまだ歪んだままだ。

「喜んで!」

高揚した顔でそういったのは夏実だ。

さっきまで喋らなかったのはカオルとトモを見て惚けていたからである。

でもいい機会かもしれない。

やっぱり、何回もお話することになるから、それには仲良くならないと。

でも、カオルが嫌がっているのにご馳走になるのは忍びなかった。

「それに、少しだけなら伝承についても話せるよ」

ニヤリと笑い、トモが私に視線を投げる。

「お言葉に甘えます!」

そういうのが聞けるのなら、美味しい話はない。

夏実も乗り気だし。

カオルには申し訳ないけれど、背に腹は変えられないというのはこのことだろうと思った。

カオルから投げられる、視線が痛くて、居たたまれなくて、そしてとても香代は気になった。


******


機嫌は先ほどよりも良くなったみたいだった。

だって、笑いかけてくれるし。と思うからだ。

「これ、美味しいですね!」

夕飯も終わり、夏実はトモに勧められた地酒を飲んでいた。

もちろん、香代も勧められ飲んだが、飲みすぎては話ができないから控えた。

一方、かなりの量を飲んだ夏実はかなり出来上がってきているようだった。

「夏実、飲み過ぎよ」

自制を促す。

だが、このような状態になった夏実が聞く耳を持たないのは分かっていた。

一応だ、一応。


「トモさんとカオルさんはー、彼女いるんですかー?」

初対面なのになんてことを聞くのと思う反面、

口には出せないけど自分も気になるのは仕方ないことだと思う。

「今はいませんよ」

苦笑いをしながらカオルが答える。

もうさっき会ったばかりなのにこんなこと聞いて。

また、機嫌が悪くならなきゃいいけどと香代は心配する。

「俺もいないなー」

「でも気に入ったら俺ってしつこいからなー」と笑う。

意外だわ、いそうなのに。やっぱり、美形だから釣り合うとか合わないとかあるのかしら。

でも好きな人はいるのかしら。

カオルは「今は」と言った、なら「昔は」いたということだ。

少し、胸が締め付けられた。


そんなことは聞けるはずもない。

その後は取り留めのない話しをしていた。

夏実は美しい兄弟とかなり仲が良くなっていた。

香代はというと、引っ込み思案の性格のためにあまりしゃべりに参加することなく曖昧に相槌を打ち笑っていただけ。

「うーん」

夏実が頭を抱え唸る。

「飲みすぎた」

「止めたのに…大丈夫?」

かなり辛そうだ。

「別の部屋で休ませよう。少し調子を乗って勧めすぎちゃったなー」

トモが夏実の肩を優しく掴む。

「すみません…ご迷惑おかけします」

このままでは宿にも帰れない。今動かしても、夏実は治るわけではない。休ませるのが一番だった。

「夏実ちゃんがこんなになっちゃったし香代さんも少し休むといいよ」

トモが優しく香代に言う。

「なんなら・・・」

トモが言いかける。

「お二人とも今日はお泊りになられては?」

カオルが遮り、意外な言葉を吐く。

「え?」

「兄さん、俺が言おうとしたのに」

「いえ、悪いです。夏実がよくなったら宿に帰ります。宿に連絡してませんし…」

「それなら俺から連絡しておきます。この村に宿は一つしかないし、宿の主人とは知り合いですので」

そして、女性の夜道は危険ですしと付け加えられた。

夕飯に誘われたときはあんなに嫌そうな顔をしていたのに、そんなことを言うなんて思ってもいなかった。

電話してくれるなら…夏実もすぐには治らないだろう。

夏実もこんなんだし、魅力のない自分に何かするわけもないだろうと思う。

「…お願いします」

「香代、ごめんねぇ…」

「解りました。トモ、夏実さんを部屋に運んだら連絡を」

「はいはい」

じゃぁ行こうかとトモと夏実が襖を開け、出て行く。

夏実、大丈夫かしら。

二人の背を見る、何か胸がざわついた。


「すみません、ありがとうございます」

精一杯の謝罪とお礼をカオルに投げかける。

「いえ、気にしないでください」

いつでも笑顔を絶やさない人だと思った。

あの時以外。

でも、誰でもいきなり初対面の人が自分の家の夕飯にきたらそうなると思う。きっと私も…。

「食器片付けてきますね。香代さんはくつろいでいて下さい」

カチャカチャと食器を鳴らしながらカオルが立ち上がる。

慌てて声をかける。

「私もお手伝いします!」

夕飯も食べさせてもらい、連れの看病までしてもらっているのにくつろげるわけがなかった。

カオルは少し考えた後、

「そうですか、お願いしようかな」

そう言って香代に微笑みかけた。

香代はほっと胸をなでおろす。

良かった。カオルの役に立てることが嬉しかった―――


「そういえば、田中さんは祖母には昔話を聞きに来たんですよね?」

後片付けをしながらカオルが口を開ける。

「ええ、昔話というか伝承、御伽噺のようなものです。黒蜘蛛のお話はご存知ですか?」

一瞬、カオルの顔が曇った。しかし、すぐに微笑み言う。

「知っています。美しい糸を紡ぎ、捕まえた人間の血肉を啜る大きな蜘蛛ですよね」

「はい。この話について書かれた文献は途中が抜けてしまって完全に読むことが出来ません。ハルさん…おばあさんが知っていると聞いたので伺ったんです」


「新田さんはどこまでご存知なんですか?できれば教えてもらいたいわ」

キラキラした目でカオルをみる。

「カオルでいいですよ」

笑顔を絶やさずにカオルが言う。

そして、俺も香代さんと呼んでもいいですか?と聞いてくる。

香代はみるみる頬を染めた。かすかに頷く。

「え、と、カオルさん?」

「はい」

ますます顔が熱くなった。カオルにはたいしたことじゃないのにと自分に言い聞かせる。


「黒蜘蛛ですか、そうですね、それが食べるのは女性みたいですよ」

それも、若く美しい娘――――

まぁ、ありがちな話だ。反対で言えば、女郎蜘蛛が若い男を惑わし食べるような、そんな感じ。

あ、とカオルが思い出したように声を上げる。

「この土地には菖蒲がよく咲いているのは知ってますか?」

「たしかに、ここに来る途中に沢山見かけました、真っ白な…」

「この土地の菖蒲はかなり強い香りなんです、それは突然起きたらしいですよ」

「そうなんですか?」

「はい、祖母から聞いた話です」


「昔、男がいたのです。男には恋人に美しい女がいたのですが、二人は別れてしまったんです。女が地主の家に嫁ぐことによって…。女を愛していた男は、嘆いて、そして死んでいきました。その男が好いていた花が菖蒲だったのです。それから花の香りが濃くなり、今も濃い香りを放つのです。その後、村の娘たちが菖蒲に触れると生気を取られたかのように死んでいったようです。すると、菖蒲がいつも以上に咲き誇り増えていくのです、美しく。まるで、花が娘たちの生気で育っているかのようだったと聞きます」

まぁ、今はそんなことありません。御伽噺話ですよ、とカオルが笑う。

「男は、女のことを本当に愛していたんですよ」

悲しそうで、そして寂しそうな笑顔だった。

「カ、カオルさん?」

カオルの指が香代の頬を撫でる。

びっくりして動けなかった。


また、甘い香りした。

ゆっくりとカオルの端整な顔を近づく。

口の中に甘い香りが広がる。

「あ、」


「すみません、」

カオルの顔が離れる。


「もう、休んだほうがいいですね。部屋まで案内します」

「え、あ、はい」

よく解らない。なんで、キスされたのか。しかも、突然。


でも聞けなかった。


部屋まで案内される。

トモが用意したのだろうか、ひかれた布団の上にパジャマがわりの浴衣が置いてある。

「おやすみ」

影のある、そんな笑顔。

さっきまでの笑顔と何か違うと思った。

「あ、はい!また明日」

襖が閉められる。


まだ口の中は甘い。


民俗学の授業を聞いていて、こんな妄想しはじめた私はバカです。


すこしつけたしました。


誤字脱字がありましたら指摘お願いします。

読んでくださりありがとうございました。

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