第61話 少女達の戦い(後編)
「っ!」
左手に走る痛みを必死に耐える。
本当ならこの痛みだけで戦いどころではないのかもしれないが、傷付いた左手を暖かな風が包みこんでくれ、痛みを和らげていく。
行くわよ、ミリアリア。
一度小さく息を吐き、高ぶった気持ちをゆっくりと落ち着かせる。
「貫け!」
私を守るビスケスとミズキの間から剣先を突き出し、矢の如く邪霊の一体を貫く。
シュワーーッ
私の剣に貫かれた邪霊が、蒸発するかの如く微かな音を立てながら浄化されていく。
「おい姫さん、一体何をした!? ……っち、スマン」
邪霊が目の前で浄化される様子を見てビスケスが私に尋ねてくるも、私が持つ刀身を一目見て状況を理解したのだろう、苦痛な表情を浮かべながら謝罪の言葉を投げかけてくれる。
私が今持つ剣には自らの手を切り裂き赤く染めた刀身、邪霊が聖女の力で浄化されるのなら、聖女の血を受け継いでいる私の血でも浄化できる筈。
先ほどの私の血を浴びた邪霊が確かに浄化されていったのだ、ならば私の剣を自らの血で染めればいいだけのこと。
痛みにはそれほど強くはないが、アリスを守るためならなんだってしてやるわよ。
「やれるのか? 姫さん」
「えぇ、とどめは私に任せて」
ビスケスが私の様子を確認してから尋ねてくる。
一体今の私は彼の目にはどの様に写っているのだろう。
額からは血の跡が残り、左手には痛々しい切り傷と、そこから流れ出た血で真っ赤に染め上げ、さらに右手に持つ刀身には生々しい赤い血がべっとりと付いた状態。
何も知らない者がみれば、真っ先に病院へ連れて行かれることは間違いないだろう。
だけどどんな様子に写っていようが、今の私はアリスを守ることで頭がいっぱい。痛みもなければ疲れもない。
「……わかった。だが無理はするな。傷はともかく疲れはただ気持ちが高ぶって一時的に麻痺しているだけだ。気持ちでは動けていても、体はしっかりと疲れてしまっているからいつか限界がくるぞ。それだけは忘れるな」
ビスケスも気づいているのだろう、戦い続けている騎士達も所々で負傷はしているが、そのほとんどは何故か血が止まり痛みを和らげていることに。
「わかったわ」
私は素直にビスケスの言葉を受け取り、再び戦うために剣を構え直す。
「作戦変更だ、全員で牽制しつつ一箇所に集めて動きを止めろ! 姫さん、とどめは任せたぜ」
「任されたわ」
初めて勝利への道筋が見え、騎士達の顔に希望の兆しが見え始める。
やってやるわ、何十体だろうが何百体だろうが、アリスに害なす敵は全て私が蹴散らしてあげるんだから。
もう、またミリィはあんな無茶な事をして。
私の意識は今精霊達と同調して、上空からこの辺り一体を見渡している。
姉様曰く、精霊の歌は精霊達を呼び寄せ力を与えるものだと言っていたが、それは何か違うんじゃないかと私は思っている。
私がこの歌を歌った事があるのは生まれてからたったの2回。
一度目は姉様にこの歌を教わった時。
二度目はユミナちゃんが大怪我を負った時だけだ。
お義姉様やお義母様に言っても信じてくれなかったが、私がこの歌を歌うと何故か精霊達の意思と同調してしまい、精霊達が眺める様子が脳裏に浮かぶ。
時には遥か上空から、時には一度も行った事がない場所から、目を瞑るとその光景がまるで自分が見ているかのように錯覚をしてしまう。
だけど実際私の体はその場にあり、お義姉様達の目の前には当然のように歌を口ずさむ私がいたのだ。
そのことをお義姉様達に伝えても誰一人として信じてくれなかったが、ミリィだけは「つまみ食いはいけないんだよ」と、誰もが知らないことを伝えてあげると焦ったように信じてくれた。
つまりね、何が言いたいかというと。私がこの歌を歌うと精霊達が私の意思に従って動いてくれるの、まるで自分の手足を動かす様に。
先ほどから傷付いた騎士様達の傷を癒し痛みを和らげてと思うだけで、精霊達が従ってくれる。さすがに完全に傷を治すということまでは出来ないまでも、止血程度ならなんとかできている。
今もミリィが自らの手を切って刀身を血で染めてしまっているけど、すぐに精霊達が傷を癒そうとその傷口に集まってくれる。
もっとも、ミリィの場合は私が思う前に精霊達が自らの意思で勝手に動いてしまっており、中でも風の精霊とよばれる子達が積極的にミリィに集まり、必死にサポートしてくれている。
だからと言ってこんな無茶をして良いわけがないからね。後でしっかり怒ってあげて、キッチリ傷口の治療をしてあげるんだから、だから、だからがんばってミリィ。
「やっ!」
何十匹目だろう、私の剣に切り裂かれた邪霊が静かな音を立てながら浄化されていく。
ビスケス達の見事な連携のおかげで体力を温存させながら戦えてはいるが、次第に剣の重さに腕が耐えられなくなってきている。
まるで棒ね、愛剣がまるで太い棒切れを振り回している様に感じてしまっている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
ビスケスの言っていた通り、初めての実戦で知らぬ間に疲れと言う気分が麻痺してしまっていたのだろう。一度疲れたという感覚が出始めると、今まで溜まりに溜まっていた疲労が一気に私へと襲いかかってくる。
「まだやれるか?」
「も、問題ないわ……」
今一言でも疲れただの、無理だなどの言葉を口に出せば、私はもうその場から一歩たりとも動けなくなってしまうだろう。
だけど気持ちはともかく体が思う様に動いてくれない。このままでは……。
「くそっ、まだか、まだ儀式は終わらねぇのか」
ビスケスも私の様子と、次第に足が動かなくなっていく騎士達の姿に焦りを感じ始めたのだろう。
私と違い騎士達は邪霊を一箇所に集めるために動き回っているのだ、いくら体力があるとはいえ、その疲労していく速度は私なんかと比べ物にはならないはず。
「ミリアリア様、助太刀いたします」
「エレノア!? あなた儀式は?」
メイドの姿に短剣を構えたエレノアが私に近寄り戦いに参戦してくれる。
「私の力では大してお役には立てていませんから、ならばこちらに加勢した方がいいと判断いたしました」
「助かるわ、正直かなりキツかったのよ」
見ればエレノアも自らの血で染めた短剣が握り締められている。
エレノアにも聖女の血が流れているからね。アリスや姉様の様に祈りだけで邪霊を浄化するほどの力は持ってはいないが、私と同じ様に自らの血で染めあげた短剣で直せつ邪霊に切りつけられれば、浄化出来ると判断したのだろう。
「すまん、男の俺たちが不甲斐ないばかりに」
この状況で女性である私たちが自らの身を傷つけ、決定打を託すしかない状況に後ろめたさを感じたのだろう。騎士達を代表してビスケスが私たち二人に謝罪の言葉をかけてくる。
「それはお互い様よ、今はこの戦いに集中して」
騎士の数や多少なりとも時間を稼ぐ余裕があれば、一人一人の剣を私の血で染め上げる事もできるのだろうが、今のこの状態で自らの命とも言える剣を手放すのは自殺行為。それに私が持つ剣は装飾こそ豪華だが、その刀身は細く重さも軽い。
もし仮に剣を交換出来る隙間があったとしても、おそらく使い慣れた剣とは違う状態ではまともな戦いは難しいだろう。
「やっ!」
エレノアが素早く飛び出し数体の邪霊を切り裂く。
「まだよエレノア、後ろ!」
「はっ!」
私が声を掛けるよりも早く、返した短剣を後ろ向きの状態で切りつける。
私の剣でならかすった程で邪霊は浄化されていくのだが、エレノアの場合は切りつけた一定の範囲でしか浄化されていない。もしかすると聖女の血の濃さで効果に差が付くのかもしれない。
「やっ、はっ、やぁーっ!」
エレノア自身も恐らく邪霊と戦うのは初めて。短剣に自らの血で染めあげたのだって私の様子を見ての行動だろう。
最初の攻防で自分の短剣では一気にとどめが刺せないとわかると、連続して切り裂く戦法に切り替えている。
「あまり飛ばしすぎると直ぐにバテるわよ」
「お気遣いありがとうございます。ですが、伊達にロイヤルメイドを何年もやっておりませんので」
その言葉を言い残し、エレノアが再び戦場を駆け巡る。
私と違い普段からお城の家事全般で体力を付けており、おまけに私たち王族を守るために日々鍛錬を欠かさない。
本当はアリスにこの様な姿のエレノアを見せたくはなかったが、今はそんな事を言っている場合ではないのだろう。私たちのお世話をしてくれているロイヤルメイドは、全員少なからず体術や暗器などの心得を習得している。
まったく、エレノアが戦えるなんてアリスには教えていないんだからね。
この事をエレノア本人はどう思っているかは知らないが、後でアリスにどう言い訳をしていいのかは一緒に考えてもらうしかないだろう。
もしかするとアリスが目をつむり、儀式に集中しているから気づかないとでも思っているのかもしれないが、残念な事に今この場一体でアリスに隠し事をするのはまず不可能。
今でもきっと上空から私たちの様子を見守りながら、姉様のサポートをがんばっているだろう。
はぁ、相変わらずあの子の力は非常識なんだから。
「姫さん!」
「ミリアリア様!」
一瞬、ほんの一瞬だけ集中力を欠いてしまった。
疲れていたという事もあったのだろう、足が鉛の様に重く、剣を持つ手も上手く上がらない。
それでも戦いの場で一瞬でも気を緩める事は死に繋がってしまう。
分かっていた、分かっていたはずなのに……
迫り来る邪霊の鋭い鉤爪が私に襲いかかる。
あぁ、ダメだ……死ぬ。
こんな状況だと言うのに時間が止まったかの様に冷静に分析ができてしまう。
ビスケスやエレノアの位置からは私をかばう事は難しいだろう。ミズキは自身の戦いに集中しており、ビスケスたちの声で私の様子に気づいた感じではあるが、とてもフォローが出来る状態ではない。他の騎士たちも恐らく同様であろう。
もし仮にアリスがなんらかの方法で手助けしてくれようとしても、直接邪霊の攻撃を防いだり、浄化する事は難しいはず。
そんな事が出来ていれば、今のこんな状況になるまでになんらかの手助けをしてくれていたに違いない。
つまり、今この状況では私を助けてくれる人は誰一人としていないのだ。
「放して! お父さん、お父さんが!」
「ダメ、アリス今行っては……」
「いやぁ、お母さん、お母さん! ……うわあぁーー!!」
……死ねないのよ……こんな絶望的な状態だからといって、私まで死ぬわけにはいかないのよ!
アリスに二度とあんな思いをさせないと誓ったんだから!!
再び私の目に闘志が宿ったその時、どこからともなく響く声。
『その心の強さ、しかと見届けた』
「えっ?」
突如私の脳裏に直接響き渡る野太い男性の一声
『ガァーーーッ!!』
キィーーッ!!
突如、空中から目の前に現れた一頭の真っ白な毛並みをした大きな獣。
その獣から繰り出される爪の一かきで、私に襲いかかろうとしていた邪霊が浄化とは違う声を上げながら四散していくのであった。




