第54話 ココリナちゃんの苦行(前編)
アリスちゃんから旅行のタイトルを聞いた時から不安がよぎっていた。
だって頭に『すべしゃる』だよすぺしゃる。普通『スペシャル』と聞けば豪華なイメージを想像してしまうけど、なぜかそこは可愛らしく『すぺしゃる』だった。
アリスちゃんの性格なら何となくわかるが、そこにミリアリア様が加わったと聞けば誰しも暗雲の気配を感じる事だろう。なんだかんだとあの二人に巻き込まれ続けた1年で、私はある程度までミリアリア様の性格は熟知していると思っている。
さすがに命を落とすような危険はないだろうが、用心に越した事はない筈。今までだって私の想像を遥かに超えた事なんて1度や2度では済まないのだから。
「本日の紅茶はエンジウムにしてみたのですが、お味の方は如何でしょうか? カトレア様。うふふ」
すっかりノリノリのメイド版ルテア様にお世話をされ、何とも言えない表情をするカトレアさん。
エンジウム家所有の別荘に到着して早々、アリスちゃんがとんでもないことを言い出した。
話を聞き終えたスチュワート組の表情は皆んな疲れ果ててはいたが、私だけ心の準備が事前に出来ていたので、『ほら来た』と気付かれないよう動揺を抑え、すぐに頭の中でこれからの出来事をシミュレート。
本来の役割を逆転させるという発想は流石になかったが、アリスちゃんの事だからこれも一種のお遊びとでも考えているのだろう。もしかすると私たちの事を気遣ってのことかもしれないが、その発想は寧ろ私たちを追い込んでいることに気づいて欲しい。
しかし今さらながら抗議したところで、一度決めたことをミリアリア様が覆すとも思えないし、ルテア様なんて自分用のメイド服を取り出してノリノリ気分。
もしかしてリコリス様ならと思い救いを求め視線を送るも、どうやらご本人は気づかれないようルテア様が持つメイド服に熱い視線を送っている。
そういえば物語とかでご令嬢が付き人のメイドと服を交換、なんてエピソードを良く見かけたっけ? ひょっとしてご令嬢方ってメイド服に憧れてるの?
とにかく今はこの状況が回避できない事がわかった。ならば私が取るべき行動はこの後の推察。状況を整理し、どんな事でもすぐに対処できるよう心構えをすることが肝心。
恐らく最近の親密さを考えるとリコリス様とイリアさんのコンビはほぼ確定。同じ理由でルテア様とカトレアさんコンビも間違いないだろう。すると残るはミリアリア様だけになるのだが、人数的にどうしてもスチュワート組が多いので、ここは主催者としてアリスちゃんはヴィクトリア側に付くと推察する。
この場合、リリアナさんはアリスちゃん達にとっては未来の義姉妹関係となり、日頃から意外と仲がいい二人なのでリリアナさん&アリスちゃんの構図が成り立つ。本音を言えば私の方が仲がいいんだと対抗したい気持ちにはなるが、日頃からお世話になっているという点であれば、私はリリアナさんに遠く及ばないだろう。私はただ愛くるしいアリスちゃんを愛でてるだけなんだから。
それじゃなに? ミリアリア様のお相手って……私しかいないじゃない!?
「ココリナちゃんのお世話役はミリィだよ。えっと……頑張ってね?」
「……」
無情とも言えるアリスちゃんの一言で、カトレアさんやリリアナさんから無言のエールを送ってくれるが、そんなものはなんの気休めにもならない事は本人たちが一番分かっているだろう。そもそも『頑張ってね?』ってどういう意味? それになぜそこで疑問系!?
若干恐怖に引きつりながらも救いを求めてカトレアさんやリリアナさんに視線を返すも、再び返ってくるのは諦め諭すような温かな視線。
って、そうじゃなくて助けてよ!
リリアナさんにすればアリスちゃんやパフィオさんにお世話をされるのは、普段学園の実習で行っている風景と同じなので互いに違和感がなく、リコリス様とイリアさんのコンビは最後までイリアさんが抵抗した事もあり、結局今は二人でお茶を入れて楽しむと言う妙な形で収まっている。
リコリス様にすれば普段からお茶を入れるなんてした事がないだろうし、意外と不器用さんなのは前々から感じているので、一緒に準備から楽しむというのも案外二人には合っているのかもしれない。
あとは私と似たような境遇であるカトレアさんなのだが、こちらも意外とルテア様がハマり役で、お遊びの一つだと思えばこの四組の中では一番楽しんでいるのではないだろうか。カトレアさんも少々顔が引きつっているものの、ルテア様との会話が楽しいのか、本人もそれなりに笑顔を浮かべている。
って事は何? 私だけがピンチなんじゃないの!?
ミリアリア様は今さら言わなくても分かっているが、正真正銘の王女様。そんな方が私のお世話役って普通に考えてもありえないでしょ。
まてまて、もちつけ私(略:落ち着け私)。
ある程度私の想像を超えてくる事などわかっていた事じゃない。
予想通り私をお世話してくださるのがミリアリア様だと的中した。ここまではよしとしよう。いや、この時点で既によくはないのだが、まだまだ挽回のチャンスは残っている筈!
まずはどう対処する?
案1.お茶を入れられる時にそっとサポートする。
答1.ミリアリア様の性格からして他人が手伝うなど以ての外。
案2.さりげなく攻守逆転を促し、そっと私が給仕役に着く。
答2.あのミリアリア様が一度言い出した事を曲げるとは考えられない。
案3.私、給仕しなくちゃ持病がでちゃうんです。と可愛くアピールしてみる。
答3.きっと周りから一斉に冷たい視線を浴びる事は間違いなく、ミリアリア様にも問答無用で終止符を打たれてしまうだろう。
それに、そもそも私はそんなキャラじゃない。
案4.アリスちゃんに救いを求める。
答4.アリスちゃんの事だからきっと笑顔でトンチンカンな回答を返してくれる。
「あはは、ココリナちゃんったら照れちゃってー。そんなに気を使わなくてもいいんだよ」等と、斜め上45度以上の訳のわからない回答が返ってくる事間違い無し。
案5.最後の手段、逃亡
答5.残念な事に馬車もなければここが何処なのかも正直わからない。
第一逃げた場合、後の事を考えると今以上の恐怖が待ち構えているのは目に見えている。っていうか、そもそも逃がしてもらえるとは思えない。
……あ、あれ? 対処法がまるで思いつかないぞ? そもそも私はお世話をする方で、お世話をされるなど考えた事もなければ、テーブルマナーなんて素人も同然。
よく学園の模擬お茶会でご令嬢役を演じるけど、本来私たちの目的は接客側なので、ご令嬢役の振る舞いは成績には反映されていない。
もちろん一流のメイドとなるべく知識としては学んではいるのだが、良家のお嬢様ともなれば専門の先生が付く筈なので、メイドが出しゃばる機会は恐らくない。
学園もそれらが分かっているだけに、そこまでテーブルマナーに力を入れていないのだろう。知識だけは学ばせても、実践として教育する授業は組み込まれていないのだ。
これは私の考えだが、あの天然で妙に人懐っこいアリスちゃんですら、よくよく観察すればその動き一つ一つが洗練されており、普段の言動や行動からは想像できないが、いざテーブルに着くとそこには間違いなく良家のお嬢様としての彼女が確かに存在している。
たぶん学園側も1年や2年学んだからといって、自然とここまでの動きを身につける事は不可能だと考えているのではないだろうか。アリスちゃん達のように幼少の頃より教育を受け、生まれ育った環境で徐々に培っていくのではと考えている。
こうして改めて見ると、アリスちゃんって本当に別世界の人なんだと何度感じた事だろう。その度にあの明るい笑顔で現実を忘れさせてくれるんだけどね。
結局それらしい対策も思いつかないまま、何故か用意されていたドレスに身を包み、スチュワート in ドレス組と、ヴィクトリア+α in メイド組で、それぞれ四つのテーブルに分かれて何とも言えないお茶会が始まる。
この時まだ、テーブルマナーがどうとか、ドレスを汚さないように振る舞えるかなど、一般的な考えしか私の中には存在していなかった。
まさか数分後に、そんな事を考える余裕すらなくなるなんて、その時の私は考える事すら出来なかったのである。
「って、ミリアリア様今カップに何をいれました!?」
「えっ? 何って、ただのチーズだけど?」
「いやいやいや、普通紅茶にチーズは入れませんって」
「えっ、だってアリスは蜂蜜やジャムを入れていたわよ? だったらチーズもアリじゃない?」
「いやいや、チーズは蜂蜜やジャムとは違いますから。そもそもそれはお茶請けのお菓子ですから!」
「ミ、ミリアリア様、そのカップの上にデカデカと乗ってる物はなんですか!?」
「えっ、何ってただのりんごだけど?」
「いやいや、そんな真っ二つに切ったまま入れても飲めませんって。そもそも皮も剥いてなければ種も付いたままじゃないですか」
「何よ、アリスが丸ままじゃダメだって言うからわざわざ半分に切ったんじゃない」
なにサラッと当然のように言ってるんですか。
アリスちゃんもちゃんと教えるなら最後まで責任をもって教えておいてよと、声を大にして抗議したい。
紅茶でりんごの果汁を入れる事は珍しくないが、それはりんごをそのまま入れるという意味では決してない。もしりんごの果実を入れようとする場合、スリおろしたり小さく切り刻んだ状態で入れるのが普通だろう。
仮に100歩……いや、1000歩譲ったとしても、りんごの実をカップの横に添える事はあっても、直接何かをカップに入れてから出すなどとは、飲んで頂く相手に失礼だと言われている。そもそも普通半分に切った状態では食べれないよね!
まさかここまで酷いとは……そういえばアリスちゃんが最初に頑張ってとかいってたっけ?
って、もしかして『頑張って』という意味はこれの事!?
今更ながら私の想像を遥かに超えた更に上の現状に、自分程度では到底アリスちゃんには敵わないんだとあたらめて思い知らされる。
「って、今は何を入れたんですか!?」
「いちいちそんなに驚かなくてもいいじゃない、これは納豆という食べものよ。姉様が東の島国から来たっていう使者の人から教わったレシピで、最近私のお気に入りなのよ。ライスと一緒に食べると美味しいんだけれど、きっとこれも紅茶にも合うんじゃないかと思って。さぁ、飲んでみて」
「……」
救いを求めて周りを見渡すも、誰一人として止めてくれる人はおらず、あまつさえ視線すらも合わせてくれない。
って、王女様が入れてくれたものを飲まないわけにはいかないじゃない! これどんな罰ゲームなのよ! アリスちゃんたすけてぇーー。
サッ…………
結局アリスちゃんにも見捨てられた私は、その後納豆入りの紅茶を3杯連続で飲まされました。
ネバネバ、お口の中がネバネバ。お腹がぐるぐるいってるよぉー。
その後も必死に抵抗しながら何杯もチーズやら果実丸ごとの紅茶を飲まされつづけ、ミリアリア様が夕食のために席をはずされるまで地獄の時間が続くのであった。
うぷっ、もう飲めない。もう食べれないよぉ。




