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第1話


 強く、気高くありたかった。

 どんな困難が現れても、婚約者(パートナー)を支えられるような、そんな女性になりたかった。

 あの人にふさわしくなりたかったのだ。




 ――それなのに。




「アンジェリーナ・オールドカースル公爵令嬢……よくも私の顔に泥を塗ってくれたな」




 私は、あなたの足枷にしかなれませんでした。










 私には前世の記憶がある。地球という星の日本で生まれ育った、平凡な女だった。

 私が高校生の時、流行りに流行ったゲームがあった。ありがちな乙女ゲームだったのだが、他のゲームより設定が凝っていたからか、どんどん人気になった。

 舞台はとある王国だ。ヒロインは、王家の血を引いた可愛らしい少女。しかし高貴な血を引く者と知らされずに男爵家で育てられる。

 ストーリーはヒロインが王都の、貴族と一部の優秀な庶民が通う学園で、第一王子であるサリヴァン・マゴットと結ばれて最終的に王妃になるという王道なものだ。




 私はヒロインに嫌がらせをする存在、第一王子の婚約者であるアンジェリーナ・オールドカースルに転生した。

 高校の卒業式に向かう途中で途切れた記憶の一部に、あの乙女ゲームの知識はしっかりと刻み込まれていた。

 その知識を役立てて人間関係を良好なものにし、婚約者の第一王子とも仲良くやってきた。

 やがて穏やかでありながらも熱い気持ちを持つ第一王子――殿下に惹かれ、ふさわしくあるように自分を磨いた。

 殿下もそんな私に、甘い笑顔を向けてくれるようになった。愛していると、そう囁いてくれた。




 ――でも、そんなものは、偽物に過ぎなかった。









 私と、殿下と、ヒロインの三人が十五歳になり、乙女ゲームのストーリー通りに学園に通うことになって、数ヶ月後。

 殿下とヒロインがよく、一緒にいるようになった。

 私という婚約者を差し置いて、殿下は個人的にもヒロインに会うようになった。

 私は行動を起こさなかった。下手に動けば、きっとゲームの通りになってしまう。ヒロインを苛めてしまうかもしれない。


 殿下と一緒にいたかった。愛してくれなくてもいい。あなたを支えさせて。私なら、幼い頃から勉強と稽古に明け暮れていたから、きっと王になったあなたを支えられる。

 厳しくてつらい王妃教育も、あなたにふさわしくなるためと思えば、何てことなかった。


 けれど、現実は――ゲームは、私に厳しかった。ゲームはゲームのストーリー通りに進んだ。進まなければならなかった。




 学園の三年生になって、卒業が近くなってきた頃のことだ。

 それまでには既に、ヒロインは高位の貴族にいびられていたらしい。らしいというのは、私は厳しさの増す王妃教育と、ヒロインと殿下が仲良くしているのを見ていたくなくて、学園の出来事から目を背けていたから。


 私は学園のある一室に呼び出され、学園の先生方、生徒会の役員の生徒達、そして殿下とヒロインに糾弾された。

 ヒロインを庇うように前に進み出た殿下から吐き捨てられた、その言葉は。



「アンジェリーナ・オールドカースル……よくも私の顔に泥を塗ってくれたな」



 何を言われたのか、分からなかった。何か失敗をしてしまったのだろうか。最近になってようやく王宮での書類の仕事をお手伝いできるようになったのだけれど、間違いでもしてしまっただろうか。

 最近の自分の行動を振り返っても、書類上の間違いをしてしまったとしか思えなかった。


 違ったのだ。そんなの、関係ない。もっと重大な間違いだった。それは、自分でどうにかしようとすることが、できないものだったのだ。


「リリアナへの数々の暴挙、確認したぞ。こんなことをする人間が貴族であることが、信じられん」


「リリアナ……?」


 リリアナ。それは、ヒロインの名前だ。

 ヒロインへの暴挙というのは……何だろう。私は、私の記憶には、ないのだけれど。


「しらばっくれるな!!」


 ひゅっ、と自分の喉が音を鳴らしたのを聞いた。

 険しい表情で私を睨み付け、怒鳴り声を上げた殿下はもう、私の知っている殿下ではなかった。


「私の婚約者だから、何をしてもいいとでも? 高位の貴族なら、弱者を痛めつけても許されるとでも!?」


 そんなこと、思っていない。

 そう心の中で否定したのと同時に、思い出した。



 ――今の殿下の台詞が、あのゲームの台詞そのものだと。



 そうか、と私はようやく理解した。

 今は断罪イベントの真っ最中なのだと。

 今まで貴族達が行ってきたヒロインへのいじめは、全て私によるものであると、設定がそうさせたのだ。


 殿下により述べられていくヒロインへの暴挙の数々は、確かに悲惨で、思わず眉をひそめてしまうものばかりだった。

 そしてそれらは、実行犯こそ多数いても、全て私の指示によるものだったそうだ。


 そんなの違う。私は指示なんかしていない。そもそも、こんな酷いことをヒロインがされているなんて、知らなかった。

 でもゲームのストーリーに逆らっても、また事実を変えられるだけなのだろう。ストーリーに、キャラクター()が逆らえるはずない。

 こうやって事実をねじ曲げられて、人生(ストーリー)は進んでいくのだ。



 だから私は、|アンジェリーナ・オールドカースル《悪役令嬢》になった。

 (悪役令嬢)は顔を嫌悪感に歪め、蔑むように笑った。



 ――あなたが悪いのよ。あなたが殿下を私から奪うから。婚約者のいる殿方に近づくなんて、汚らわしい雌豚め。あなたなんかより私の方が殿下にふさわしいのに。殺してやりたい。殺してやる――



 口に出していて自分の気分が悪くなるほど、醜い言葉だった。

 でも、これが本来の悪役令嬢アンジェリーナ・オールドカースル

 これでいいの。これで、私が堕ちればあなたは幸せになる。愛する人は、幸せになるの。

 ストーリー通りなら、殿下とヒロインは末永く幸せに、この国を平和に治めていくから。私がいなくなった未来ではそうなるから。

 なら、消えてしまいましょう。それはとてもつらくて悲しいことだけど、でも、こんな残虐な罪を重ねた(悪役令嬢)が殿下のそばにいるなんて、できない。


 ありがとうございました、殿下。愛する人。

 この十八年間、私はとても幸せでした。アンジェリーナ・オールドカースルは、本来ならもっと寂しい人生を送ったはずなのに、こんな暖かい人生でした。

 その十八年間に、殿下はとても大きく影響しています。だから、ありがとう。



 ところで、不思議に思っていることがあります。

 どうしてそんなに、泣きそうな目でいるのですか?


 殿下は顔をしかめ、口元をきつく結んで怒っているのに、何故か目に涙が溜まっているのだ。

 目だけがこの場にそぐわない存在となっている。目だけが何かに対して悲しみを訴えている。

 いったい、何に?


 殿下の瞳はまるで――私の罪を嘆いている……? いや、違う。その悲しみではない。なら、何なの……?

 ……もし、もしも、自惚れでないならば――殿下は、私がこんな罪を犯したはずがないと、私を信じてくれているのだろうか?

 ――いいえ。そんなはず、ない……。


 だってここはゲームの中。全てはストーリーのままに進んでいく。

 だから殿下の心はもうヒロインの――ゲームのものなのだ。

 何を馬鹿なことを思ったのだろう、私は。登場人物は皆私を見限るこのゲームには既に希望なんかないのに。



 ああ、でも、何故、あなたは泣くのでしょう? 教えて下さい、殿下。

 あなたの本当の心を、どうか――。















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