4-21 飛竜士の航空力学
「――安心しな。あんたはただ速く翔ぶことだけ考えていればいい」
鳥人間コンテストで琵琶湖に墜落した青年、大空カイトがたどり着いたのは竜と人間が共存する魔法で満ちた世界だった。
湖で気絶しているカイトを助けたのはひとりの少女アイリス。少女アイリスの正体は珍しい白銀色の飛竜だった。カイトはアイリスから、この世界で最も高貴とされるスポーツ「竜閃」について教わる。それは人間と竜がバディとなり最速を勝負する競技。
元の世界に帰る方法を探している途中、ひょんなことからカイトとアイリスは王国の近衛兵に竜閃での決闘を申し込まれる。半ば強制的にバディを組むことになった2人。カイトは現代航空力学の知識と操縦技術を駆使して竜閃での勝負に勝ってみせると意気込むが、何より竜の方のアイリスにはある秘密があって……。
航空力学を持つ青年と白銀の少女が出会う時、人と竜の物語が空を舞う!!
「帝北大学、大空カイト選手! 飛行距離を伸ばしているが機体と琵琶湖の距離は1メートルもないぞ!! このまま粘ることができるのか!?」
琵琶湖中をスピーカーに乗せた大音量の実況解説が響き渡る。
「頼む! 頼む! 頼む! もう少しなんだ竜神号!」
祈るのような気持ちで足に力を込めるが、揚力を失った機体は無常にもその水面に口づけすることになった。
パイロットのカイトは機体の破壊と共に湖へと叩きつけられ、口や鼻にプールで溺れたときのような痛みと不快感に襲われた。
「ちくしょう!! あと一歩だったのに……」
漕ぐことに集中し過ぎて軽い酸欠状態に陥っていたのだろうか、重力に身を任せずぶずぶとカイトは竜神号と沈んでいく。そこでカイトの意識は途切れた。
バシャッ!
顔面に降り注いだ水に驚き、カイトは目を覚ました。
目の前には雲ひとつない青空。どうやら自分は仰向けで地面に寝っ転がっているようだ。
澄み渡る青の視界の端に一人の少女が逆さまに映り込む。顔立ちから察するに10代前半ぐらいだろうか。
「起きた。……大丈夫?」
寝ころんだままカイトは少女を凝視した。白く銀色の長い髪は艶やかで美しく、肌は陶磁器のような透き通った白さをしている。何より目を引くのは宝石のように綺麗で、覗いていると吸い込まれそうなほど神秘的な眼光を放つ金色の瞳だった。
慌ててカイトは身体を起こす。
「あ、ありがとうな。痛たたた」
身体の節々にわずかに痛みを感じるが、無視して立ち上がった。
意識がはっきりし始めると直前までのことを思い出す。自分はさっきまで琵琶湖の上を竜神号で飛び、鳥人間コンテストの歴代最長記録を塗り替えようとしていたのだった。
「そうだ! 竜神号は!? 俺の記録はどうなった!?」
コンテストの結果を確認するため周囲を見渡す。だが目の前には銀髪の少女、そして周りは木々に囲まれている。カイトが少女にかけられた水は木々の中央にある小さな湖から汲んできたのだろう。直径3メートル程度の琵琶湖とは比較にならないほど小さな湖だ。
「……おいおい。一体ここはどこなんだ?」
琵琶湖の会場にいないことに焦りを感じる。カイトの記憶にこのような場所は存在しない。竜神号と墜落し、カイトはなぜ見知らぬ土地で気絶していたのか。
「どうしたの? お兄ちゃんここがどこだかわからないの?」
見かねた少女が問いかける。不思議そうな目でカイトを見つめている。
「いや、ちょっと知らない場所だなーって思って」
恥ずかしさからカイトは頭をかきながら、愛想笑いを浮かべて焦りを誤魔化す。
「ここはレダックの村の近くの湖だよ」
「れ、レダックの村?」
思わず聞き返してしまう。滋賀県にそんな名前の村があるとは初耳だ。
「うん。お兄ちゃんおウチわからないの? 村まで一緒に戻る?」
魅力的な提案に頷いて賛成する。その時、頭上からぐおおおという地響きのような、猛獣の鳴き声のような音が響き渡った。
「混竜たちがうろうろしてる。お兄ちゃん、早く村に行こう」
音のする頭上へと視線を上げると、空には大きな一対の翼を広げた爬虫類のような四足動物の影が見えた。
カイトはゲームや漫画で何度も見たことがある。あの姿にそっくりだった。
「……竜だ」
大空カイトは自分が今、さっきまでいた世界とは違う世界に来てしまったことを初めて理解した。
森を抜けて村への道をとぼとぼと歩いていく。
道案内をしてくれている前の少女は長い銀髪を揺らしながら、どこか機嫌が良さそうだ。
名前はアイリスという。
「お兄ちゃん、この世界の人じゃないの? 竜を見たの初めてって言ってたけど本当に? 竜なんて沢山いるよ」
振り返ったアイリスは不思議な物を見る目で話しかけてくる。
「こっちの世界じゃ、あんな大きな竜なんていないぞ。ってかなんで俺は琵琶湖に落ちて違う世界来てんだ?」
カイトの頭の上の疑問符は増える一方だった。だがこんな状況を割と受け入れている自分に驚いた。鳥人間をやって度胸がかなり、ついていたのかもしれない。
「ふーん。確かに大空カイトって変わった名前だもんね。でも大丈夫だよ。村のおばあちゃんが何か知ってるよ」
能天気であっけらかんとしたアイリスの言葉にカイトの緊張の糸もほぐれる。前向きな言葉はカイトの励みになった。
道中、村の看板が見えてきたところで3人の人影が見えた。
アイリス以外の人に出会えたことにカイトは安堵する。
声をかけようと近付くが何やら様子がおかしい。
「ちょっと、ちょっと離して下さい!」
3人の人影は男性2人に女性1人。男性の方が女性にかなり強引に言い寄っているようだった。
「あの人たち、この近くの王国の近衛兵だ」
アイリスが呟くように教えてくれる。王国に使える近衛兵が2人がかりで女性に迫っていることにカイトは呆れた。
「いい加減やめて! 触らないでよ!」
やり取りが苛烈になり、女性の方が片方の近衛兵を押し飛ばした。よろけた近衛兵はバランスを崩し、尻もちを着く。
「痛。よくもやったなこのアマ!」
恥ずかしさも相まってか顔を真っ赤にした近衛兵は立ち上がり、拳を女性目掛けて振り上げる。
「ちょっと!」
見かねたアイリスも止めに入ろうとしたが、この距離では間に合わない。
ドカッ、と鈍い衝撃音にアイリスは一瞬目を瞑ってしまっていた。
再びアイリスが目を開けると、女性は平然と立っている。そして地面には1人の近衛兵が大の字で倒れていた。隣を見るとカイトの姿はない。そう、カイトがとっさに割って入り、近衛兵をぶっ飛ばしたのだ。絡まれた女性は足早にその場を去る。
「どういう事情か知らねえが、兵士が女性を殴っていいわけねえだろ!!」
カイトの怒号が響く。
赤く腫らした頬を抑え、近衛兵が身体を起こしながらカイトを睨みつける。
「なんだ貴様はいきなり。おい!ジーク!!変身しろ!」
殴られていない方の近衛兵の身体が光に包まれる。一瞬にして男は黒い鈍色の竜に変貌した。その巨躯は3~4メートルほど。長く太い尾や鋭い牙は襲われたら無事では済まないほどの凶悪さを感じさせる。
「なっ! ……人間が竜に!?」
常識外れの出来事にカイトは目を見開く。
「私に暴力を振るうとは、よほど命知らずと見える。粛清される覚悟はあるだろうな?」
打って変わって男の態度も表情も豹変した。竜という武器を誇示して気が大きくなっている。
「お前が誰なんて知らねえ。さっさと彼女に謝れ!」
だがカイトは引かなかった。
「そうか。ならその命、捧げて灰になれ」
黒竜の鋭い爪がカイトに向けて放たれる。カイトにこの攻撃を守る術は無い。
カイトは目をつぶって衝撃に備えたが、その衝撃が来ることはなかった。
命を奪おうとした爪は、白銀の爪により防がれていた。
そこには白銀の竜の姿があった。
「竜が人間に手を出すなんてご法度なはずだよ」
白銀の竜が答える。近衛兵は驚愕と悔しさが入り混じった表情で竜を見据えた。
「貴様も竜だったのか」
気が付けばアイリスの姿がない。
「まさか……アイリスも?」
カイトの問いに、白銀の竜は見下ろして頷いた。幼き銀髪の少女の正体は白銀の竜だったのだ。
「貴様が竜ならば話が早い。この落とし前、『竜閃』でつけようじゃないか」
近衛兵の言葉にアイリスは明らかに動揺している。カイトには聞き馴染みのない言葉だった。
「なんだよ。竜閃って」
カイトの反応に男は笑いを堪え切れずにいる。
「あっはっは。お前は竜閃も知らないのか。おい、そこの竜。貴様が教えてやれ。竜閃は明日、この時間にブエルタ競技場で行う。人と竜の盟約に誓って逃げ出したりするなよ」
近衛兵はそう言い残すと黒竜に乗って空へと舞い上がっていった。
アイリスは大きなため息を吐き、少女の姿へと戻る。
「……お兄ちゃん。面倒なことになったね」
アイリスの金色の瞳はどこか悲しそうだ。
「アイリス、さっきはありがとう。助かった。色々聞きたいことあるんだけど、竜閃って何のことなんだ?」
「うん。この世界は人と竜が種族を越えて一緒に暮らしてるの。互いを尊重して、互いを慈しむ。中にはさっきみたいな連中もいるけど。そして、その共存の象徴でもあるのが『竜閃』。人が竜に乗って、人竜一体で最速を競う競技。竜閃による決闘の前ではどんな約束も守らなければならない。もちろん、途中で逃げ出すことも許されない」
「人竜一体の競技。そんなのがこの世界にはあるのか……」
「お兄ちゃん。さっきの近衛兵は胸の階級を見るに、きっと竜閃のホルダーレベルの実力者。さっきまで別の世界にいたお兄ちゃんには勝ち目はない。今からでも謝りに行こう」
あまりにも無謀な決闘にアイリスはカイトの無事を思い棄権する提案をした。竜閃において初心者がホルダーに勝てるラッキーはない。
アイリスの心配を余所に、カイトはその場で大笑いをした。
「なんだよその競技! めちゃくちゃ面白そうじゃねえか!! アイリス、安心しろ。俺は現代航空力学を嫌って程、勉強してきた。鳥人間じゃ最速の操縦者って呼ばれてたほどだ。竜閃、やってやろうじゃねえか。アイリスはただ、速く飛ぶことだけを考えればいい。この勝負、勝つぞ」
――航空力学を駆使する青年と白銀の竜の少女。人竜一体。2人の空を舞う物語は始まったばかりだった。





