4-18 プルガトーリォの少年たち
シチリア島のパレルモに住まう、八人の少年たち。
彼らは秘密組織を作りだし、互いをコードネームで呼びあい、お遊びの「規則」を守っていた。
ジョバンニは、中学校に通う平凡な生徒。
優秀な幼なじみであるルカに劣等感と憧れを抱き、等身大に思い悩む日々を過ごしている。
そんな彼らもまた、「組織」の一員。
飽き飽きするような現実に、ちょっとの刺激を求めて、少年たちは密かに囁きあうのだ。
しかし、平和は突然に終わりを告げる。
「組織」の裏切り者によって、血が流された。
ジョバンニは奔走する。
犯人を暴いて、事件に決着をつけるため。
そして、ルカを守るために。
さぁさ、お立ち会い。
無垢な少年たちによる、美しき残酷劇の幕開けだ。
処 刑だ !
処 刑だ !
裏 切 り者 を 処刑 せ よ !
暗い廃倉庫のただなかに、七人の声がこだまする。
仕切り屋のロレンツォが号砲のように叫んだ。
「第二条、組織の裏切り者はすなわち罪人である!」
触発されるように、一つ、また一つと言葉が増えてゆく。
「見つけだせ!」
「罪人に報いを!」
軍隊めいて気の触れた彼らの、その熱狂のなかで、ジョバンニは冷や汗をかいていた。
みなの剣幕は尋常でない。倣って声をあげ続けなければ、たちまちのうちに喰われかねない迫力があった。
癇立つ訳は理解している。それでも、胸のうちで思わざるを得ない。
どうして、こんなことになってしまったのか。
通学鞄に拳銃を潜ませ、少年は昨日のことを回想する。
◆◆◆
シチリア島の夏は、からっとした暑さである。
放課後の2:48PM、ジョバンニはパレルモの中心めがけて、SS113を西に歩いていた。
隣には、幼なじみのルカの姿がある。
歩幅の差で置いていってしまわないよう、ジョバンニは気を遣って、少しゆっくりと進むようにしていた。
右手側に生い茂った木々や草花。その向こうから、鼻腔をくすぐる香りをともなって潮風がやってくる。
「この前の数学のテスト、また学年1位だったそうじゃない。やっぱりすごいよ」
「運がいいだけさ。復習してた範囲が、たまたま被っただけ」
照れもせず、ルカは謙遜してみせた。
そんな秀才の横顔に、誇らしげな視線が注がれる。
ジョバンニは、小柄な幼なじみのことを尊敬していた。
数学だけじゃない。彼はいかなる学問においても、優れた成績を残している。
その蒼い瞳はいつでも理性を宿していて、憂鬱そうに揺れる睫毛もどこか蠱惑的。
体を動かすのは苦手なようだけれど、それくらいの欠点は気にならない。
本当に同年代の男子なのか、ときどき疑わしくなる。
それだけ、ルカという少年は浮世離れして見えた。
「尊敬」。中学生の拙い語彙から選びだされたこの言葉は、しかし幼なじみに向ける感情を表すうえで、最適のものとは言えないかもしれない。
ルカの女の子めいた横顔は、やたらとジョバンニの視線を惹きつけてやまなかった。
つい、目で追ってしまうのである。日焼けしていない白い肌を。さらりとした短い金髪を。
この感情を直視して正確な名前を与えるのが、どれほど気持の悪いことか。
ああ、主よ! この思いが悖戻でないことを、どうか信じてください。
ジョバンニはそう心の奥で念じ、邪想を振りきって目線を外した。
誤魔化すように、少年は茶髪のぼさぼさ頭をかきむしって話しかける。
「ねえ。確か今日は、“組織”の集まりってなかったよね?」
「そう記憶しているよ。だから、このまま帰るだけだけど……」
「だったら、街中を歩いていかない? 適当に買い物でもして」
「いいね。ちょうど文房具を切らしかけていたところだよ」
碩学な彼のことだ。さぞや、ノートや鉛筆の減りも早いのだろう。
密かに感心しつつ、ジョバンニは我知らず歩調を早めていた。
「たまには買い食いなんてのもさ! 少しくらい、先生もお目こぼししてくれるよ。他にも行きたいところがあったら。ねえ、ルカは……」
ひとしきりまくし立てたところで、はたと幼なじみの様子に気付き、口をつぐむ。
彼の、唇に人さし指を添えるポーズ。それが何を意図するものかわかったから。
「第五条、組織のメンバーしかいない場所ではコードネームで呼びあうこと。規則を守らないと罪人になっちゃうからね?」
「そう……だったね。ごめんごめん、イスカリオテ」
「うん、よろしい」
かしこまったような空気から一転、耐えきれなくなったと見えて二人はその場で笑いだす。
「組織」や「規則」なんてものは、ちょっとした遊びだ。ルカも本気で戒めようとしたわけではないことくらい、様子から窺える。
同じ中学校に通う、彼らを含めて八人の男子たち。級友にも内緒で、この秘密組織ごっこは行われているのだ。
弛緩した昼下がりのなかで、ジョバンニははたと気付く。
「そうだ。昨日の集まりのときに、基地に水筒を忘れてたんだよ。さっきの話のおかげで思いだせた」
「おや。もう倉庫は通り過ぎちゃったけど、取りに戻ったほうがいいんじゃないかい?」
「そうするよ。悪いけど、ここでちょっと待っててほしいな」
返事も聞かず、駆ける足音は元来たほうへ。
かと思えば、しばらくしてジョバンニのつま先は脇道に逸れる。
青い草を踏みわけて、一分ほど経っただろうか。もはや元々の所有者が放棄したであろう、鉄錆の廃倉庫前へと辿りつく。
ここが少年たちの秘密基地。人通りはなく、しいんと静まり返っている。
おや、とジョバンニが声をあげた。
シャッター前に鞄が落ちている。ははあ、これは毒舌家のエミリオのものに違いない。さてはあいつも忘れ物だな。
などと考えて、思い直す。昨日も今日も学校なのに、ずっと置いてあるなんてことがあるだろうか?
それとも、鉄帳の向こうに彼がいる? いや、集まりはないはず。ジョバンニは先ほどのルカとの会話を反芻して、冷静に推理した。
とあれ、中学生探偵がまともに思考できたのはここまでである。友人を待たせているという事実と、夏の暑さが少年の足を急がせた。
「まあいいか。さっさと水筒を取りに行ってしまおう」
誰に聞かせるでもなく呟いて、ジョバンニはシャッターを持ちあげる。
倉庫内は仄暗い。高い窓からの採光は物足りず、しかし歳若き彼らの心を踊らせる。
中の様子が見えてきた。ああ、なんということだろう。
少年は自らの手で悪夢への扉を開いてしまった。
「うわっ!」
短い叫びが静寂を切り裂く。
無理もあるまい。黒いコンクリート床のうえに、倒れている人影がひとつ。
ジョバンニが先刻、自分と同類だと顔を思い浮かべた男子生徒である。
それが身動ぎせずに横たわっているのだ。寝ている? まさか! 炎天下、わざわざ閉めきった倉庫で眠るものなどない。
少年の脳裏に、熱中症という言葉がよぎった。あるいは脳梗塞かもしれないし、転んで頭を打ったのかもしれない。
そのどれであっても、処置しないという選択肢はないだろう。ジョバンニは走った。
しかし、彼は可能性を見落としている。無理もない。平和な日々を過ごすうえで、考慮する必要のない事象だからだ。
「っひぃぇあっ、ぁあ」
そして、真実に対面したジョバンニは大きくうろたえる。
口の端からは意味をなさない言葉が洩れ、足もとを絡ませて尻もちをついた。
かちかちと歯を鳴らし、一言告げる。
「死んでる」
彼は決して殺されているとは言わなかった。そう発音したら、なにかが終わってしまうと信じているのである。
主よ憐れみたまえ! 12歳の少年は「身近な人間が命を奪われる」なんてことを、簡単には受け入れられないのだ。
ジョバンニはとても立ち上がれる状況にないようである。両腕で上体を起こすのが精一杯で、脚は震えたまま。
「あっ、ああ! エミリオ! エミリオ!」
ぞっとする思いで、ただ名前を呼ぶ。
死体は右胸から血を流していた。なぜか? 近くに落ちていた拳銃が答えを知っているだろう。
どうして殺された? いったい誰が? 謎は尽きない。
手がかりを求め、少年は身体をうねらせ這ってゆく。不思議と逃げる気は起きていないようだ。
ひとまずは凶器を調べなければと、彼の手が伸びる。
そこで初めて、ジョバンニは銃の下に置かれていた、黒い封筒の存在に気がついた。
床の色に同化していたそれを、指さきでつまんで引き寄せる。わざとらしく置かれていたものだ。深く息を吸い、少年は意を決して破り開ける。
なかの手紙には、こう書かれていた。
『罪人カエサルを処刑せり』
この一文が、ジョバンニを絶望にいたらしめる。
なんということか。犯人は組織のなかにいるらしい。
“カエサル”はエミリオのコードネームである。そして、外部の人間はそれを知らない。
公然の場でその名を呼ぶ行為もまた、禁じられているからである。
なにより「罪人」という言葉。彼らが定めた規則のなかに、繰り返し使われる名詞。
殺人者がすぐ傍に! しかも、拳銃を調達できる人間!
そんな存在が、おふざけのルールを真に受けて引き金をひいた。ジョバンニは恐怖に打ち震える。次に狙われるのは自分かもしれないし、ルカかもしれない。
「冗談じゃないぞ!」
気がつけば、少年は拳銃を掴んでいた。
そして、ぎこちない手つきで鞄に押しこんでゆく。犯人と相対しても、無抵抗で死んでなどやるものか。そんな真意がある。
どうして、こんなことになってしまったのか。
ジョバンニは確信している。もう、元の日々には戻れないこと。
そして、ふたたび血が流れることを。
殺される前に、こっちから犯人を見つけだして撃ち殺してやる。
そう去勢をはり、彼は倉庫を駆け出ていった。
パレルモのぬるく乾いた風が、びゅうと寂しげに泣くばかりである。





