812 三十一歳 小さくも大きな変化
ギリアムは帰国し、エンフィールド帝国はいつもの日常を取り戻した。
アイザックも春の遠征に備えて準備を整える。
このまま出発の日を待つだけという時に、パメラから話しかけられた。
「ジュディスさんのシーダ、ブリジットさんのマルセレス。二人とも可愛かったなぁ。ジュディスさんは七人目、ブリジットさんは子供のできにくいエルフだっていうのに二人目なんて凄いなぁ」
生まれたばかりの赤子を見て可愛いと感想を言っているが、彼女の目は感情を剥き出しにしたかのように血走っていた。
――まるで「なんであの子達だけ?」と責めんばかりに。
アイザックは彼女から視線を逸らす。
「子供ができるかは巡り合わせもあるから……」
「へーそーなんだー、ジュディスさんばっかり凄いね」
「リサやアマンダ達だって今のところ兆候がないだろう? たまたまだって」
「ふーん」
パメラはアイザックの言葉を信じていなかった。
――なぜなら彼は巨乳好きだと知っているからだ。
ジュディスばかり妊娠するのは、アイザックの好みに近いからだと知っている。
だから彼女はアイザックの言葉を信用できなかったのだ。
ずっと非難がましい目でアイザックを見つめている。
「しかもしばらく出かけるんだって?」
「仕方ないだろう。ザック達の教育のためだ。人の上に立つ者としての心構えや立ち振る舞いを教えてやるつもりなんだから」
「それはわかってる。なんで戦争で勝ってるこっちが行かないといけないの? 負けてる人を呼び出せばいいじゃない」
「その件はそう思うかもしれない。だけどまだすべての戦争が終わったわけじゃない。反乱軍の一勢力を倒せそうだというだけだ。主だった者達を呼び出して反乱軍が勢力を盛り返す隙を与えたくない。こちらから足を運ばないといけない状況なんだ」
アイザックはパメラの肩に手を置く。
「子供世代が安全に暮らせるようにするためだ。わかってくれ。戦争が終わったらアルビオン帝国南部かファラガット地方かに旅行にでも行こう。夏場に海水浴とか楽しそうだろ?」
「……そうね。新婚旅行とかもなかったし」
「ジェイソンの暴走に備えるために出かける余裕なんてなかったから仕方がない」
そう答えるアイザックに、パメラは少しだけ優しい視線を向ける。
「わかっているわよ。普通の家庭なら『いつも仕事だなんだで家庭を顧みない夫だ』って責めるんだろうけど、今は皇族だしね。皇帝が仕事をしないで好き放題していたら、どこかの誰かさんみたいに国をひっくり返そうと悪巧みする人間に隙を見せる事になっちゃうし。ただ国家運営をするための努力の少しだけでも家庭内のバランスを考えてくれると嬉しいな」
彼女も王太子妃になるべく教育を施されていた。
一般家庭との違いもよくわかっているため、仕事を優先するアイザックに少しだけ理解を示す。
皇族や王族は、どこまで仕事に専念するかは自由だ。
信頼のできる家臣に仕事を丸投げしてもいい。
だがそれでは、それまで存在しなかった野心に火を付ける事にもなりかねない。
アイザックが人の上に立つ者としての責任を果たしているという点に関しては理解しているつもりだった。
しかし、それはそれ。
家庭内のパワーバランスも考えてほしいという気持ちも強く持っていた。
「子供の事はどうしようもない。みんな平等に接しようと努力しているし、本当にたまたまタイミングが合うかどうかの違いだ。ただまぁ、子供の数が影響するというのなら、ジュディスの時は気を付けるよ」
「……わかった。その言葉を信じ……、信じられないけど、信じようとは努力する」
「なんでだよ!」
「すでに子供の数で圧倒的に差をつけられているからよ。あのマウントを取りたがるロレッタですら、ジュディスに喧嘩を売ろうとしないくらいにはね」
パメラの言葉にアイザックが驚いた。
「お前にすら突っかかっていたロレッタが!? よっぽどの事だったんだな……」
(ロレッタは学生時代からジュディスの事をライバル視していたというのに)
――ロレッタがジュディス相手に敗北を認めている。
その一言でアイザックも事の深刻さがわかった。
なにしろ第一夫人で、ウィンザー侯爵家出身だったパメラ相手にライバル心を剥き出しにしていたくらいだ。
伯爵家出身のジュディスに気後れするはずがない。
だというのに、ロレッタがジュディスとの争いを避けている。
子供の数が妻達の序列に影響を及ぼすという事を、アイザックはロレッタの行動によって、ようやく実感する事ができた。
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二月に入ると、アイザックが遠征するという話が広く噂されるようになった。
その噂を聞いたローランドが面会を求めてくる。
アイザックは会いたくなかったが、一応彼は義弟である。
ケンドラを悲しませたくないため、仕方なく会う時間を作った。
「陛下、酷いではありませんか!」
彼もまた、アイザックを責めるような目をしていた。
「何の事だ?」
「遠征になぜ同行させてくれないのですか? ロイ卿やマイク卿のみならず、クローカー伯という日頃付き合いのない者まで呼んだというのに、なぜ私は呼んでくださらないのです! 私は……、次世代を任せるに値しないという事なのでしょうか?」
「ああ、その事か……」
(存在を忘れていたと言ったら、どういう反応をするんだろう?)
「ケンドラと結婚したあと、思い出すだけで悲しいのでローランドの存在を記憶から消していた」などとは答えられない。
さすがにそんな事を言ったらまずいとアイザックはわかっている。
ケンドラが悲しむし、一応ウィルメンテ公爵家の跡継ぎだ。
どう返事をするかを考える。
「その三人は出かけたとしても代わりがいる。ウィンザー公爵家には領主代理を任せられる親族が多く残っている。ハリファックス伯爵家は当主が、クローカー伯は後見人のファーティル大公がいる。だが主だった親族が出兵しているウィルメンテ公爵家には不安が残る。だから領主代理であるローランド卿までアルビオン帝国へ連れていくわけにはいかない。そう判断しただけだ」
アイザックは、それっぽい理由で誤魔化そうとする。
だが、ローランドは納得しなかった。
「本当でしょうか? 陛下は私とケンドラの結婚に乗り気ではありませんでした。もしや少し離れているだけで私の心が彼女から離れると心配されておられるのではありませんか?」
「そのような事はない」
(ケンドラがお前を見限る事はあっても、お前がケンドラに愛想を尽かす事などない。あんなに可愛いんだからな!)
アイザックは自信を持って答える。
その自信たっぷりの答えが、ローランドに「邪推だったか」と反省させる。
「ウィルメンテ公爵家は残っている親族のみならず、家臣達も留守を任せられる者が多く残っています。このような機会に経験を積めないのは辛いです。だから私を連れて行ってください。もし私の身に何かあったらケンドラが悲しむとお考えならば、陛下のお側でお仕えできるよう彼女と別れる覚悟もあります」
「なにっ!」
アイザックは一瞬目を輝かせた。
しかし、それは本当に一瞬の事。
今は驚きのほうが勝っていた。
(結婚前ならばともかく、子供も生まれた今となっては離婚となるとケンドラが悲しむ! この野郎、何て事を言いやがる!)
ローランドとしては、国に尽くすためにエンフィールド帝国貴族として経験を積みたい。
そのために、これだけの覚悟があるという意思表示に過ぎなかった。
だがアイザックにしてみれば脅迫のようなものである。
徐々に怒りがこみ上げてくる。
「冗談でもそのような事を言うな! 妹を使って脅迫するとは何を考えている!」
「ケンドラを使って脅迫などしていません。私にはそれだけの覚悟があると言っているだけです! だから最初から兄上ではなく、陛下に対してお願いをしておりました」
公私混同しているアイザックとは違い、ローランドは公私を分けて陳情に訪れていた。
だからケンドラの事も脅迫ではなく、覚悟を示しているだけだと答える。
そう言われると、アイザックも返答に困る事になった。
「だったら最初から『兄上、私も連れて行ってください』と言え。そのほうが話はすんなり進んだだろう」
ヤケになったアイザックは逆ギレをする。
その言葉が聞いたのか、ローランドはうつむく。
「……そのような事は考えられませんでした。幼少の頃より、兄に甘えるなと言われて育ちましたので」
「あっ……」
そう、ローランドの兄はフレッドである。
彼はネイサンから騎士を叩きのめして悦に浸るという悪癖を移されていた。
だからか、ローランドはフレッドと必要以上に仲良くせぬよう、少し距離を置いて育てられてきたのだ。
兄がいたからといって、兄に甘えられるかどうかは別問題。
ローランドがアイザックに義弟として甘えられなかったのも、その影響を受けていたからだった。
「なら、今はどう言えばいいかわかるな?」
「はい。覚悟を示すためにケンドラと別れるなどと言って申し訳ございませんでした。私もアルビオン帝国に連れていってください……、兄上」
「よし、いいだろう。ケンドラには出かける事をちゃんと説明しておけよ」
アイザックが快く認めてくれた事で、ローランドは照れ臭そうに微笑んだ。
この日以降、ローランドはアイザックの事を実の兄のように慕っていく事になるが、当の本人は「なんだか勢い任せでとんでもない事を言っちゃった」と深く後悔していた。






