798 三十歳 ウィルメンテ公爵の土産話
夏が訪れた頃、ウィルメンテ公爵はアルビオン帝国帝都スタリオンに到着した。
ヴィンセントのみならず、ウォリック公爵もここに滞在しているからだ。
国力を落とさないよう、今は説得による切り崩しが中心となっているため、軍は拠点の防衛中心で攻撃を控えている。
それでもアルビオン帝国の半分以上の領土を奪還し、着実にヴィンセントは勢力を取り戻していた。
ウォリック公爵との関係が修復したウィルメンテ公爵は、彼に酒と情報を土産に渡すために滞在している屋敷を訪れる。
「結婚おめでとう。これで心置きなく戦えるな」
「まだまだ教えないといけない事ばかりだ。フレッドがいればと思う時もあるが……。不幸中の幸いか、物覚えがいいのはローランドだ。もう少し鍛えれば周囲の支えでなんとかやっていけるようになるだろう」
「それくらいならまだいいだろう。こっちは孫が成人するまで、あと十年は待たねばならん。自分の手で鍛えてやれるかどうか」
ウォリック公爵は二人分のグラスを用意して酒を注ぐ。
「ドウェイン殿下は順調に育っているそうだ。アマンダ妃が積極的にウォリック流の武術を教えているとか」
ウィルメンテ公爵はグラスを受け取りながら、聞いた噂をウォリック公爵に教える。
ウォリック公爵家を継ぐ子供の様子は、彼にとって極上の手土産になるはずだからだ。
「あまり大っぴらに話せる事ではないが、陛下の腕前は今一つだそうだからな。アマンダが教えたほうが確かだろう」
「では子供が多いのは『愛を求める妻にベッドの上で組み伏せられて強引に』という噂が信憑性を帯びてくるな」
「アマンダは愛されているからそんな事はないだろうが、他の皇妃はどうだかな」
不敬極まりない会話ではある。
アイザックが聞けば処刑にされるかもしれない。
だが、これくらいの軽口を叩けないような者は、いつ死ぬかわからない戦場に出る勇気もないはずだ。
良くも悪くも覚悟が決まっている者だからこそ言葉にできる事だった。
「土産話はこれだけではない。宮中の事もいくつか仕入れてきた。やはりアイザック陛下とウィンザー公爵家に支持されている皇后陛下が最も力を持っている。だが皇妃の間では勢力バランスの変化があった」
普通ならば、宮中での勢力争いに首を突っ込んでもロクな事にならない。
しかし、アイザックの代の場合は違う。
皇妃に有力貴族の娘が多いため、貴族間での支持率は気になる話題だった。
特にアマンダとロレッタは、パメラに次ぐ第二位の座を争っているので、ウォリック公爵にとっても気になる話題ではあった。
「女の間でジュディス妃の支持が高まっているらしい。当主ではないものの、その影響力は無視できるものではないようだ」
「ランカスター侯も大人しくはしていなかったか」
ランカスター侯爵は元外務大臣。
その伝手を使えば勢力拡大もやりやすいのだろう。
強力なライバルが現れてしまったと、ウォリック公爵は悩む。
「それがランカスター侯は何もしていないらしい。ジュディス妃が恋占いなどを行う事で自然と支持が集まったそうだ」
「占いか……。聖女の力を使われてしまうと厳しいな」
「これまでアマンダ妃とロレッタ妃の争いだったが、そこに第三勢力が割って入る形となる。そして、無視できない第四勢力も現れるかもしれない」
「なにっ? 誰だ?」
「ブリジット妃だ」
「エルフやドワーフの支持を集めたか……。まさかウェルロッド公まで支持しているのではないだろうな?」
ジュディスが勢力を伸ばすのも、ブリジットが勢力を伸ばすのも理解できる事だった。
二人とも普通の娘とは違う特徴を持っている。
アマンダやロレッタよりも個性が強いので、彼女達を支持する者が現れるのも自然の流れだった。
「それが意外にもウリッジ侯などの東部諸侯だ」
「ウリッジ侯!?」
意外な名前が出た事で、ウォリック公爵は驚く。
ついつい酒を飲むペースが速くなる。
「後宮の序列争いに興味を持っていなさそうだったが……」
「ギルモア伯爵が積極的にブリジット妃を支持するべきだと動いているそうだ」
「ギルモア伯爵? ……あぁ、いたな。そんな男が」
ウォリック公爵は「ファラガット共和国奇襲の立役者」ではなく「ブリジットの尻を触って膝蹴りを食らった男」のほうを真っ先に思い浮かべる。
「陛下よりも先に殿下の尻に触れた罪悪感でもあるのか?」
「かもしれん。奴はファラガット地方を中心に勢力を広げている。東部の民はエルフやドワーフに後ろめたさを強く持っている上、彼らから多くの恩恵を受けている地方だ。ブリジット妃を後援する事で贖罪しているつもりなのかもしれん。その点、東部とギルモア伯爵は相性が良いのだろうな」
「すでに終わった貴族だと思っていたのに……。腐っても外務省の審議官だった男だけあって、そういった根回しはお手の物のようだな。本人が権力を持っていないのが救いだな」
ギルモア伯爵はブリジットの尻を触った。
それはエルフとの交流再開が中止になるかもしれないと不安視される事件となった。
だから彼は公職から退き、貴族としては死んだ状態が続いていた。
ギルモア伯爵は王党派に属していたが、王党派のトップだったウォリック公爵家もウィルメンテ公爵家も彼を見捨てた。
もう二度と浮かび上がる事などないだろうと思っていたからだ。
しかし彼に転機が訪れた。
――ファラガット共和国の駐在大使になったからだ。
落ちぶれたギルモア伯爵に誰も手を差し伸べる事はなかった。
唯一名誉を取り戻すチャンスを与えたのは、アイザックただ一人である。
彼はそのチャンスを無駄にしなかった。
命を賭して役目をやり遂げた事で、エルフ達も「尻に触ったくらいで目くじらを立てる事はなかったな」とギルモア伯爵を見る目が変わった。
今では「エルフやドワーフの解放者」として好意的に見られるようになっているほどだ。
どん底からここまで這い上がるなど、十年前には本人も含めて誰も思わなかっただろう。
その彼が、今になってウォリック公爵達を悩ませる存在にまでなっていた。
ダークホースにもほどがある。
ウィルメンテ公爵の土産話は、ウォリック公爵の頭を悩ませるものばかりだ。
皇后の座はパメラがガッチリ固めているので、アマンダに皇妃の中でナンバーワンの座を勝ち取らせるつもりだった。
その際にライバルになるのは、ファーティル地方の支持を集めるロレッタだけだと思っていた。
それがジュディス、ブリジットと新たなライバルが頭角を現し始めている。
新たなライバルの登場は歓迎できない事態だった。
「それで、ウィルメンテ公は誰を支持するのかな?」
こうなると、今のところフリーなウィルメンテ公爵家の動向が気になる。
ウォリック公爵は真っ向から意見を求める。
「アマンダ妃を支持するさ。だがウチの嫁がリサ妃やティファニー妃の事を実の姉のように慕っている。ウェルロッド公爵家以外に有力な後ろ盾のいない彼女達の後援もする事になるだろう。ウォリック公の邪魔はしない。しかし、彼女達が後宮の勢力争いで肩身の狭い思いをしない程度には支援を行う。こちらとしては嫁のご機嫌取りもしないといけないという事をわかってもらいたい」
アイザックがケンドラを溺愛していたのは周知の事実である。
彼女のご機嫌取りをしないといけないというのは、ウォリック公爵にも理解できる事だった。
アマンダに全力を尽くしてくれない事に対して残念そうにしているが、ウィルメンテ公爵の立場も考えて無理は言わなかった。
「さすがにリサ妃やティファニー妃を押し上げたりはしないよな?」
ウォリック公爵が懐疑的な視線をしながら念押しするかのように尋ねると、ウィルメンテ公爵が苦笑してみせた。
「いくらなんでもそんな事はしない。本人に争う意思がないんだ。担ぐならもう少し闘志を見せる妃殿下を選ぶさ」
「まぁ、そうだろうな。私の知る限り、あの二人は争いには向いていない。もっとも、サンダース子爵夫人の薫陶行き届いているのなら話は変わってくるだろうがな」
――ルシアの英才教育。
それをリサとティファニーが受けている可能性はある。
人畜無害と見せかけておいて、いきなりバッサリというやり方は、ルシアもアイザックも共通している。
彼女達も同じように周囲を油断させているだけという可能性もあった。
「そうだったとしても、彼女達を本気で後援したりはしないさ。すでにザック殿下が皇太子として立場を確立している以上、彼女達もやり合う気はないだろう。サンダース子爵夫人は身を守るために動いただけだろうからな。むやみに藪をつつくような真似をする必要はない」
「ならばいい。アマンダの事を頼む」
「わかった」
――アマンダ、ロレッタ、ジュディス、ブリジット。
パメラに次ぐ地位に付くのは、ウィルメンテ公爵としてはアマンダかジュディスになってほしいと思っていた。
やはり他国の者よりかは、リード王国系貴族出身者に力を持っていてほしいという気持ちがあったからだ。
「もっと驚く話がある。陛下は私に新領地へ移動しないかと言われた」
「ほう、どこだ」
「アルビオン帝国の東部からアーク王国の西部にかけて、今の二倍以上の領地に転封しないかという提案を受けた」
ウィルメンテ公爵は、帝都でアイザックと話した事をウォリック公爵にも話す。
ウォリック公爵は難しい顔をしながらも、一定の理解を示した。
「アルビオン帝国とアーク王国。その両方に睨みを利かせる者が欲しかったというところだろうか。二倍以上になるのは今の領地を取り上げる代償と、結納金代わりかもしれんな」
「飛び地にすると支配が緩むという懸念もわかるが、先祖から受け継いできた領地を手放すのは……、やはり惜しい」
「その気持ちはわかる。だが、それだけの好条件は今だけかもしれんぞ。帰国すれば、きっと私にも似た提案をしてくるだろう。いずれドウェインが継ぐ領地だから多く与えたいはずだ。ウィルメンテ公に最初に提案したのは、おそらく我が子ばかり優遇しているという批判を避けるためだろう。他の誰かが転封を受け入れた時点で、ウィルメンテ公爵家に好条件を提案する必要性が薄くなる。受けるなら最初に受けるべきだ」
ウォリック公爵の意見は、ウィルメンテ公爵も考えた事がある。
転封は難しい問題だからこそ、最初に引き受ければ他の貴族の模範となる。
しかも、4Wの一角が動いたならば他の貴族も続きやすいだろう。
だからこそ、動きやすいように好待遇を用意してきた可能性が高い。
しかし、今の領地を手放すのは惜しい。
簡単には決断できる問題ではなかった。
ウィルメンテ公爵は頭を掻きむしる。
「酒がこれだけでは足りんな」
「ではワインセラーに取りに行くとするか。ここはモズリー侯爵邸だっただけあって、良い酒が揃っていたぞ」
ウォリック公爵の言葉に、ウィルメンテ公爵は顔をしかめる。
「略奪の共犯にするつもりか?」
略奪はアイザックに禁じられている。
それをアイザックラブのウォリック公爵が破ろうとする意図が、ウィルメンテ公爵にはわからなかった。
「ここはまだアルビオン帝国で、ヴィンセント陛下から『屋敷にあるものは好きにしてかまわない』と許可を与えられている。だから略奪にはならんよ」
「そういう事ならば、敵軍の兵糧に打撃を与えるとするか」
「こちらのワインもなかなかいけるぞ」
ウォリック公爵は、ウィルメンテ公爵を連れ立ってワインセラーへと向かう。
今の二人はフレッドとアマンダの婚約が解消される前のような友人関係へと戻りつつあった。
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