796 三十歳 二人の意識の変化
本日はコミカライズ更新日です!
ウィルメンテ公爵は戦場へ戻るため帝都を発った。
とはいえ、彼はウィルメンテ公爵領に寄る事になっているので、一直線に戦場へ向かうというわけではない。
ローランドも結婚したので、親として言っておきたい事もあるだろう。
彼にも休養は必要だと考え、家族と過ごす時間を許したのだ。
レイモンドは帝都で家族と過ごしてから戦場へ直行した。
戦場で戦う者達のためのお土産を運んでいるので、あとから追いかけるウィルメンテ公爵と同じ時期に到着するはずだ。
ディアドラがマルスとの婚約を本気で喜んでいたので、アイザックも少しだけ今回の婚約をしてよかったと前向きに受け取る事ができた。
アイザック自身は戦場へ向かう理由もないので、戦況が動くまでは内政に専念する。
留守の間に溜まっていた事務処理は終わっているが、仕事はそれだけではない。
各国大使との交流は国が減ったおかげで楽になっているものの、代わりに各地方からの相談は増えた。
だが国が広がっても、クーパー侯爵達が頑張ってくれているので仕事量はそう増えなかった。
おかげでアイザックには自由がある。
重要度の低い相手とも会える自由が。
この日は各地を回って帰ってきたクロードと話す事にする。
アーク王国近辺に住んでいたエルフの代表者を案内していただけなので、その状況は報告書を提出すれば済むものだった。
だがアイザックには気になる事があったため、彼と直接話をする事にしたのだ。
ついでにブリジットとヴァレリーも呼んでいる。
ヴァレリーは多くの見学ツアー参加者がいる中、なぜ自分だけ呼び出されたのかを不思議に思っていた。
「ヴァレリーさん、どこか良い移住先は見つかりましたか?」
アイザックの質問で、彼女は余計にわけがわからなくなってきた。
わざわざ皇帝が何者でもないヴァレリーの移住先を聞いてきたからだ。
「旧知の知人と再会はしましたが、ここに定住したいと思う村はまだ見つかっていません。もう少し考えたいと思っています」
彼女は無難な答えをした。
「過去を知っている者の村になど住みたくない」などと言いたくなかったからだ。
そんな事を言えば過去を掘り返される。
それだけは絶対に避けねばならなかった。
「そうですか」
アイザックは納得したようにうなずく。
(ハネムーンのように、クロードと一緒に各地を見て回りたいって事かな。その気持ちはわかるなー)
世間ではすべてを見抜く目を持っていると言われているアイザックだが、その目は曇っていた。
彼は「結婚したら相手の親の目があるしイチャつきにくい。だから家族の目が届かない場所へ旅行しながらイチャつきたいんだろう」と思いこんでいた。
アイザックも結婚した当初は家族の前でイチャつくのに抵抗があったので、その気持ちは理解できる。
特にクロードの祖父マチアスは厄介なタイプである。
絶対に茶々を入れてくる事が予想できるため、彼のいないところで二人で過ごしたいという気持ちも理解できた。
「ではクロードさんと一緒に各地を回られるんですね? それなら結婚はそのあとに?」
「待ってください。なぜそうなるんですか?」
結婚という言葉にクロードが慌てふためく。
「いや、だって結婚したら村を出るから、二人で住める場所を探しているんですよね?」
「どこからそんな話になったんですか! そんな話はしていません!」
クロードが真っ向から否定する。
ここまで言われるとアイザックも「勘違いだったかな?」と思い始める。
「ちょっと、クロード。そんなに強く否定したらダメじゃない」
彼が強く否定するので、ブリジットが口を挟む。
「本当は好きで好きでたまらない。でも素直に気持ちを伝える事ができない。だから好きじゃないって否定しまう気持ちはわからなくはないけど、それが許されるのは子供の間だけでしょう。いい年した大人がみっともない」
「クロード、そうだったの?」
「違う、そうじゃない」
ブリジットの言葉でヴァレリーまでも「私の事を好きだったの?」という反応を見せる。
クロードも強い言葉で否定するのはよくないと理解して強くは否定しなかったものの、それがよくなかった。
語気が和らいだ事でヴァレリーに「そうだったんだ」と少し思わせてしまった。
「ヴァレリーは、ただの幼馴染に過ぎない。こいつの子供時代は酷いもんだった。男勝りでやんちゃという言葉では収まらないほど酷かったんだぞ」
「だからなによ。昔は知らないけど、私だって村の子供が少ないから男女関係なく遊んでたわよ。こんな素敵な人なのに、昔の事を持ち出すなんて酷いのはクロードじゃない」
(おっと、話が怪しくなってきたぞ……)
「クロードさんがヴァレリーさんのような素敵な女性を連れてきたので、てっきり結婚相手だと思いこんでしまった私が悪いんです。なにしろ私は幼馴染と結婚していますからね。ブリジットとも子供の頃からの付き合いですし。やっとクロードさんも再婚する気になったのかと思い込んでいました。そのせいで少し話がこじれてしまったようですね」
ブリジットを連れてきたのは、人間社会で生きる女性エルフの先達としてヴァレリーを安心させるためだ。
クロードと口喧嘩させるためではない。
ヴァレリーと結婚する気がないのならば、完全にアイザックの早とちりである。
勘違いで作ってしまったこの状況を鎮めようとする。
「私もクロードと結婚したいとは考えていませんでした。ですから皇妃殿下も落ち着いてください」
ヴァレリーもブリジットを落ち着かせようとする。
しかし、その表情には複雑な感情が含まれていた。
「でも彼と結婚、という選択肢もあるのかなと思うと少し世界が広がった気がします」
――これまでまったく考えていなかったクロードとの結婚。
そういう選択もあると知って、彼女も色々と考え始める。
「おいおい、ヴァレリーも落ち着け。俺達はそんな関係じゃなかっただろう」
「これまではね。今はなかなか頼り甲斐のある男に成長しているし……」
一緒に旅をしていてクロードの変化に気付いたのだろう。
ヴァレリーはこれまでから一転、クロードの事を異性として意識し始める。
「陛下、何て事をしでかしてくれたんですか!」
「私がしでかすのは昔からでしょう。……なんか関係を壊してごめんなさい!」
――仲の良い幼馴染という関係を壊してしまった。
その事に関して、アイザックは素直に謝った。
「ですけど、こういう機会でもないとクロードさんは再婚しないままでしょう。いい機会だと思って前向きに考えてみてはいかがですか?」
「そんなの無理です!」
「そこまで言わなくても……」
ヴァレリーが悲しげな表情を見せる。
彼女も必死だった。
今住んでいる村では過去を暴露されて再婚相手は見つかりそうにない。
そして行く先々でも「あのヴァレリーか!」と知り合いに過去を暴露され、良い相手を見つけるどころではなかった。
この状況では再婚相手を見つけるどころではない。
だが、クロードは違った。
なぜかアイザックとブリジットが味方についてくれているし、彼は定職について収入も安定しており、男爵という社会的地位も持っている。
それに彼の家族にも「嫁を連れてきた!」と喜ばれるほど今の印象はいい。
クロードと彼の家族に過去を知られているのは難点だが、この際なりふり構っていられない。
涙を流すふりをして同情を誘う。
「クロードは女心がわかっていないわね。言い方ってものがあるでしょう」
ブリジットがヴァレリーに近付いてハンカチを差し出す。
この状況で、アイザックは少し楽しくなってきていた。
(ああ、俺も昔はこういう立場だったんだな。周囲がなんだかんだと言ってくるわけだ)
――安全圏から無責任な事を言える愉悦。
もちろん、アイザックも嫌がらせで言っているわけではない。
結婚して子供を持つ幸せをわかってもらいたいというお節介で言っている事である。
それでも「付き合いなよー」と気軽に言える立場は楽しかった。
しかし、それも短い間だけだった。
すぐに「こういう状況って本当に困るんだよな」と反省する。
「まぁまぁ、ブリジットもそう責めないであげてほしい。私が深い関係だと勘違いしたのが原因だ。いきなりこんな話をされて困っているんだから、考える時間を用意してあげないと」
だからクロードのフォローに回る。
ブリジットは不満そうだった。
「ねぇ……、私の事、嫌い?」
「うっ……」
ヴァレリーがクロードの袖を掴み、上目遣いで彼に尋ねる。
そんな態度を見せられると、クロードも真っ向から否定しにくかった。
「嫌いではない。ただ友人だと思っていたから、急に言われても……、正直困る」
「じゃあ、時間をかけて考えてくれる?」
「それは、考えるだけなら……」
クロードはヴァレリーのしおらしい演技に圧倒されている。
彼もヴァレリーの事を嫌っているわけではない。
異性として見ていなかった事だ。
昔とは違う彼女の態度を見せられて、少しずつ彼の考えが変わっているのかもしれない。
それを見てアイザックは「なんだか知らないけどとにかくよし!」と思っていた。
「二人は子供じゃないから、アイザックの言う通りこれ以上は口出ししないわ」
ブリジットも変化を感じとったのだろう。
クロードを責めるのをやめる。
「でも子供の事は親がちゃんと考えてよね。アンリの婚約者をどうするかとか考えてるの?」
「うっ……」
代わりにアイザックへ咎めるような視線を送る。
彼女の問いに、即答する事ができず、目を泳がせていた。






