794 三十歳 パイの取り分
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ケンドラの結婚式後、他の家も次々に結婚式を挙げた。
戦争がまだ長引きそうなので、出征中の家族の帰郷を待っていた家も待つのを諦めたからだ。
結婚式ラッシュが終わったあと、宮殿では重要な会合が開かれていた。
「ウィルメンテ公、おめでとうございます」
「アイザック陛下の妹君なので、孫の顔もすぐに見られそうですな」
「戦場にいたら孫の誕生には立ち会えないでしょうが、跡継ぎについて心配する必要がなくなるのは安心でしょう」
もちろん、ウィルメンテ公爵も重要な出席者の一人である。
結婚式の時にも祝われていたが、また祝いの言葉をかけられていた。
この状況が面白くないのはアイザックである。
彼にとってはまったくめでたい事ではないし、生殖能力の高さを冷やかされているように思えたからだ。
しかし、ケンドラの結婚の話をしている時に皇帝が不機嫌ではウィルメンテ公爵の立場がない。
一応、彼の面子を考えて作り笑いを浮かべていた。
「本題に入る前に――」
ケンドラの話題は、アイザックにとって禁忌である。
その事をよく知るモーガンが話を止めに入った。
出席者も揃っているので、ちょうどいい頃合いでもあった。
皆が意識を切り替えると、アイザックが口を開いた。
「私もウィルメンテ公に祝いの言葉をかけたいと思っていました。ですが、それはローランドとケンドラの結婚ではありません。数倍の敵と正対するという不利な状況で圧倒的な勝利を収めた事に対してです。皆さん、エンフィールド帝国のみならず、リード王国の歴史も含めて史上類を見ない最高の戦果を挙げたウィルメンテ公に盛大な拍手を贈ろうではありませんか」
そう言うと、アイザックが率先して拍手を贈る。
他の者達もウィルメンテ公爵に惜しみない拍手を贈った。
ウィルメンテ公爵は一瞬恥ずかしがるようなそぶりを見せたが、すぐに立ち上がった拍手を贈る者達に、うやうやしく一礼を返した。
この時、モーガンは笑顔で拍手を贈りながら「そうやって話を逸らすほどケンドラの結婚を祝いたくないんだな」と呆れていた。
着席して拍手が収まると、ウィルメンテ公爵が口を開く。
「これもすべて陛下の新兵器群のおかげです。噂には聞いておりましたが、まさかあそこまで効果があるとは思いもしませんでした」
彼は自分だけの手柄だと誇るのではなく、アイザックのおかげだと述べる。
本心ではあるが、建前であったとしても、この一言があるかないかで周囲の心証は大きく変わる。
ここで自分一人の手柄だと誇るような者では貴族社会で爪弾きにされる。
ウィルメンテ公爵は、そんなわかりきった愚かな行為をするような人物ではなかった。
「味方であるヴィンセント陛下の兵士達も動揺していたほどです。……しかしながら、あの一会戦で八十億リード相当の武器弾薬を消費したようです。それも装甲騎兵の損害を抜いての概算です。効果はあるものの、使い続けても大丈夫なのでしょうか?」
――たった一度の戦闘で八十億リード相当の弾薬を消費した。
その報告は「新兵器は凄い」という認識しか持っていなかった者達を驚かせた。
「もちろん使ってください」
アイザックの言葉は淀むところなく言い放たれた。
その自信たっぷりの言葉には裏付けがある。
彼は自分の頭を指でトントンと叩く。
「それにまだノイアイゼンに売りつけるアイデアは残っています。金が必要になれば、彼らからいくらでも引っ張り出す事ができるでしょう。戦場にいる将兵が財布の中身を気にして戦う必要はありません。金銭面の問題は後方にいる者達で解決します」
「陛下のお言葉、万の援軍よりも頼もしい限りです」
現地での略奪を禁じられているリード王国系統の武官にとって、潤沢な補給があるかどうかは死活問題である。
「補給を気にせず戦え」という言葉をかけられると、頼もしさと共に安心も感じられた。
「ですが新兵器の砲弾は製造に時間がかかります。新工場を建設しているとはいえ、すぐに大量生産とはいきません。金があればすぐに作れるというわけではないので……。心配するなと言っておいて申し訳ないですが、砲弾の残弾数に関しては考えながら使っていただきたい。ただ生産費用を考えて使い惜しむ事はないとだけ覚えておいてください」
「新しい物の難しいところですね。ですがその心配はありません。今は彼らも会戦を避けており、砦に立て籠もるなど持久戦の構えをしています。大砲やロケット砲は攻城戦ではあまり効果がありませんから」
「いつかは大砲で城壁を破壊できる時がくるでしょうが、今はまだ小口径なので城壁を破壊する威力はないので当然でしょう。戦果を焦らずゆっくりと戦ってくださって結構です」
「ウォリック元帥も、ヴィンセント陛下の切り崩しを待つという考えでした。そういった点でも大規模な戦闘は今後減るかもしれません」
「我が軍はもちろんの事、アルビオン帝国兵にも被害が少なくなるほうがいい。腰を据えて取り組んでいただけるのが一番です。その方針で頑張っていただきたいところですね。では本題に入りましょう」
一呼吸を置き、アイザックが本題を切り出す。
「ウォリック公は不在ですが、今後の展望について少し話しておかないといけません。ファラガット地方とグリッドレイ地方を占領して七年。戦争で延期になっていましたが、そろそろ新領主を決める話し合いをしてもいい頃合いでしょう」
元々、新領土は五年の間は領主を決めず総督を置き、全員で統治するという事にしていた。
だがアルビオン帝国との戦争も落ち着いてきたので、そろそろ決めてもいい頃だ。
総督を任されているキンブル侯爵とウリッジ侯爵の顔に緊張が走る。
「そしてこれは両地方だけの問題ではありません。アーク王国も、ハーミス伯爵ら反王家派に国土の三分の一程度を与えるつもりです。そうなると残る三分の二はエンフィールド帝国の貴族に与える事になるでしょう。さらにアルビオン帝国も今の状況だと、従来のアルビオン帝国貴族から多くの領地を取り上げる事になります。その場合、どのような問題が起きるかおわかりでしょう?」
――絶望的なまでの領主不足。
ファラガット地方とグリッドレイ地方までならば、リード王国、ファーティル王国、ロックウェル王国の三か国の貴族をあてがえばよかった。
しかし、アーク王国やアルビオン帝国までもとなると人材不足は否めない。
「現地の貴族を登用する必要があるというわけですか」
ウィンザー公爵が口を開く。
彼の言葉には「嫌だ」という感情が込められていた。
それに同調するように、他の貴族達も似た表情を見せている。
血を流して領土を奪ったのは自分達だ。
他の者にあっさり渡すのが嫌だという気持ちはアイザックにもわかった。
「アルビオン帝国においてはそうでしょう。ヴィンセント陛下の面子を保つためにも、アルフレッド派やブランドン派の貴族を一部引き抜いて領主にするしかありません。一番いいのは占領地の統治経験がある者を動かす事ですが……。せっかく統治に慣れてきた地を離れるのは嫌でしょう?」
アイザックはキンブル侯爵とウリッジ侯爵を見る。
「ご命令とあらば」
どちらも同じ事を答えた。
だが強い信念を持つウリッジ侯爵はともかく、キンブル侯爵のほうは国難の時に自分の都合を優先した時の周囲の目を考えての発言のようだった。
やはり、無理に領地替えをするわけにはいかないだろう。
苦労して立て直した領地を奪われ、他の領地に替える。
そんな事をすると、彼らやその傘下の貴族が明智光秀化しかねない。
それはアイザックとしては避けたい。
だから彼らを動かすわけにはいかなかった。
「安定している東部から貴族を引き抜いて混乱を招くような事はしたくはありません。そちらは今いる貴族に領地を分け与えるという形で落ち着いてもらう事になるでしょう。それぞれの地域を安定させ、金銭や補給面での支援ができるように頑張ってください。他の貴族に移動してもらう事にしましょう。新規登用も増やさないといけませんね」
これは既存貴族の力関係など関係なく、弱小貴族でも力があれば領主にしていくという事だ。
すでにアイザックは、平民のカーンを男爵に取り立てている。
下級貴族を高位貴族に取り立てる事に抵抗はない。
「それとこれはあくまでも仮定の話ですが、ウィルメンテ公。戦功に報いる意味も含めて、アーク王国の西部からアルビオン帝国の東部にかけて、今の二倍以上の領地に転封すると言われたらどう思いますか?」
「転封、ですか……」
仮定の話とはいえ、これにはウィルメンテ公爵も即答はできなかった。
今の領地の二倍以上となると、小国に匹敵する規模になる。
それは素直に嬉しい。
だが先祖代々受け継いできた土地を手放したくはない。
非常に難しい問題だった。
「ウィルメンテ公爵家だけではなく、他の家も同様です。せっかく手に入れた土地を他国の者に与えるくらいなら、リード王国から続く貴族をより広い領地に転封する事で、その地を治めさせるという方法もありでしょう。すでに命令系統は確立しており、慣れぬ土地とはいえある程度は統治できるはず。私だってこれまで国家に貢献してきた者に領地を与えたいと考えています。だからまずは4Wが模範となり各地を治める。それも一つの方法ではないかと考えたのです」
アイザックの考えもわからなくはなかった。
一都市の代官だった者に、いきなり広大な土地の領主を任せるわけにはいかない。
広大な土地を統治した経験を持つ者により多くの土地を与える事で、安定した統治を期待するというのは自然な考えである。
だが問題は、これまで自分達が統治してきた領地をどうするかであった。
――今の領地を維持しつつ飛び地を統治するのか。
――それとも、ひとまとめの広大な領地を統治するのか。
歴史を重んじる貴族にとって、今の領地を離れるのは難しい。
だが飛び地をもらうのも困る。
飛び地は親族に任せる事になるだろうが、遠く離れている土地だと領主の地位がその親族に乗っ取られたような状態になる可能性が高い。
長い目で見ると、火種になりかねない飛び地を貰うのは得策ではない。
では今の領地を手放せるかというと、そう簡単には決断できる事でもなかった。
「これは難しい問題だと思います。ただこれも一つの案です。下賜される領地が減ってもいいから今の領地を維持したいという考えもあるでしょう。ですがエンフィールド帝国の将兵が血を流して得た土地を、新参者に多く分け与える事になるかどうかという問題でもあります。アーク王国もアルビオン帝国も、しばらくは東部地域のように帝室直轄領として全員の協力を得て統治する事になるでしょう。それが終わる時、領地替えをするかどうかを決断せねばなりません。これはウェルロッド公やウィンザー公にも覚悟していただかねばならない問題です」
アイザックは年老いた二人の祖父にも選択を突き付けた。
「……リード王国貴族ではなく、エンフィールド帝国の貴族として新しい歴史を作る。そう考えれば悪くはない条件かもしれませんな」
悩みながらも、ウィンザー公爵は前向きな姿勢を見せていた。
これまでの歴史を守るというのは大事な事。
しかし、今の二倍以上の領地を貰えるならば転封も悪くはない。
「家の歴史を守る」ではなく「家の歴史を作る」立場になるのも面白い。
そう、好意的な反応を見せていた。
だが本人は、本気で受け入れようとしているわけではない。
こういう態度を見せる事でウィルメンテ公爵など、他の貴族が前向きに受け止めるための助け舟を出していただけだった。
「土地も広いというだけではなく、産業などを考慮して価値を計算してうえで与えるつもりです。旧来のエンフィールド帝国貴族がより多くの恩恵を受けられるようご協力をお願いします」
アイザックは頭を下げる。
パイの取り分は身を切った者が多く受け取るべきである。
何もせずに取り分けられるほど甘くはない。
だから転封の考えに裏はない。
真剣に今いるエンフィールド貴族の領地を増やす方法を考えていた。
「さて、そこで今後の参考になるであろうキンブル侯とウリッジ侯の話を進めましょうか。お二人が希望する本拠地をどこにするか、どの程度の領地の広さにするか。こうした話し合いは平和だったリード王国にはなかったですから」
もちろんアイザックもそんな経験はない。
新しい貴族に新しい領地を与えるだけならばやりやすいだろう。
だが既存の貴族の領地替えを含めた話し合いは、過去の歴史でも混乱が大きくなる傾向がある。
双方が納得できる方法を模索していかねばならなかった。
特に古くから大領主であるウリッジ侯爵が、完全に本拠地を東部に移す気になってくれるのかどうかは今後の話に大きく影響するところだった。







