792 三十歳 クリス達の十歳式
ノアとティアの二人とは夕食までの時間を共に過ごした。
彼らからはアーク国民から見たエンフィールド帝国の姿など、アイザック達までは伝わってこない話を中心に聞いた。
エンフィールド帝国は概ね「平民の救済者」として受け入れられているものの、一部には「混乱した隙に攻め込んできた盗賊集団」とも陰口を叩かれていたらしい。
だが、それは初期の事。
復興に力を入れ、悪逆無道なアルビオン帝国を追い返した事で好意的な意見が否定的な意見を圧倒している。
アイザックの融和路線は無駄ではなかったのだ。
それだけではなく、同業者の横の繋がりによる情報も得られた。
ブランドンが軍を動員して伐採するだけではなく、商人からも木を買い集めているらしい。
要所に砦を作って長期戦をする構えだそうだ。
おそらくアルフレッドも似たような事をしているのだろう。
守りに入ったのなら、彼らには早期反攻の意思がないという事だ。
当面は安心していられるはずだ。
「それにしてもどう対応するか困ったよ。戦争中だからと法外な値上げをするような商人ではなかったからいいものの、そういう商人だったら多分、口数の少ない気まずい時間を過ごしていたと思うよ。誰が落札するかわからない出品は今回限りにしてほしいよ」
「今回は大丈夫だったんでしょ? だったら男が細かい事をいつまでも気にしてるんじゃないわよ」
アイザックの愚痴をブリジットが一蹴する。
いつもならアイザックが大人になって我慢するところだが、今回は黙っていなかった。
「次からは気を付けてと言っているだけだよ」
「なら最初に言ってよ。許可を出したのはアイザックなんだからね」
「……そうだね。次から気を付けるよ」
今回はアイザックに手抜かりもあったため、結局は彼が折れる事にした。
(ちょっと話すだけの権利なんて誰が落札すると思うんだよ。しかも提案する気があったなら別ルートもあったのに。外国人だから知らなかったのかな?)
アイザックが落札する者がいないと思っていたのは、雑談くらいしか出来ないと落札者が考えると想定していたからだ。
――よほどくだらないものでもない限り、献策はアイザックのもとへ届けられるようになっている。
市井の賢者からの提案を無駄にしないようにするためだ。
定期的にボツになった案にも目を通して受付担当者と話し合い、取捨選択の基準も教えるようにしている。
だからノア達も役所を通していれば、遷都に興味を持っていたアイザックはタダで会っていた。
そうした制度があると知らなかったから、高額の入札をしてまで会いに来たのだろう。
そういった点では儲けたと前向きに考える事もできる。
「私のおかげで大金を稼げたんだから感謝してよね」
「感謝してるけどさ……。怪我人の治療とかをしてくれたら、もっと感謝するよ」
「血を流している人を見るのって怖いじゃない。だから嫌」
(森の中で狩りをしていた人が、今更血を怖いとか言うの?)
アイザックの脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
昔の彼であれば言葉にしていただろう。
だが彼は言葉を飲み込んだ。
これまで七人の妻との夫婦生活の中で、口に出せば厄介な事になる言葉は飲み込んだほうがいいと学んだからだ。
これも夫婦生活を円満にするための処世術である。
誰も逆らえない皇帝と思われているアイザックでも、自分に周囲を合わせさせるのではなく、自分が周囲に合わせねばならない事もあるのだ。
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今年開かれる十歳式は衆目を集めるものとなった。
――アイザックの子供が六人も出席するからだ。
・リサの子供のクリスとクレア。
・アマンダの娘メアリー。
・ジュディスの息子マルス。
・ティファニーの息子アルバイン。
・ロレッタの息子レオン。
三月生まれのレオンはまだ九歳であるが、今年度の出席となる。
いち早く子供を産んだパメラと、結婚の遅かったブリジット以外の妻五人の子供が勢揃いなのだ。
大きな声で話はしないが「一年の間に六人も」と、陰で誰もがヒソヒソと話していた。
「複数の妻を持つ=子供が多い」という図式は必ずしも成立するものではない。
妻がいても子供ができないケースも多いのだ。
それだけにアイザックの血を引く子供の価値が「皇帝の子」というだけではなく、ある家にとっては「後継者を確実に産んでくれそうな血筋」として期待が高まっていた。
そんな事を知らないアイザックは、ただ子供の成長を喜んでいた。
(もうみんな十歳か。本当に大きくなったなぁ……)
クリスとクレアは勉強好きで落ち着きのある子に。
メアリーは母親に似て元気一杯でありながらも、皇女らしい気品を持つ子に。
マルスは母親の口数が少ないからか、お喋りが好きな活発な子に。
アルバインは芸術に興味を持っており、感性豊かな子に。
レオンはパメラにライバル心を持つロレッタとは違い、兄弟間に平穏をもたらす調停者として気配りの出来る子に。
それぞれ方向は違うものの真っ直ぐに育ってくれている。
半年ほどの出張で見ない間にも、目覚ましい成長を遂げている。
親として嬉しい限りだが、そう遠くないうちに巣立っていくと思うと寂しい気持ちにもなる。
そして、その予行練習ともいえる悲しい事もある。
――ケンドラの結婚だ。
彼女は四月に卒業していた。
本来はすぐに結婚するところだったが、ウィルメンテ公爵が戻るまで結婚を延期していた。
本当にその気はなかったのだが、これまでの行動のせいで「降伏交渉でアーク王国へ出かけたのは、妹の結婚を認めたくないから逃げ出す口実にした」とケンドラに思われている様子だった。
アイザックはウィルメンテ公爵をずっと戦場に置いておきたかったが、ケンドラの無言のプレッシャーに負けて一時帰国を認める事となった。
今年の三月くらいには戻ってくる予定になっており、もし間に合わなくてもそのまま結婚式を挙げる事になっている。
ウィルメンテ公爵からも「跡継ぎの結婚は重要だから」と、自分がいない間に済ませてもかまわないという返事があった。
アイザックもケンドラにこれ以上嫌われたくないため、邪魔をする事ができない状況となっていた。
つつがなく十歳式が終わる。
すると、アイザックはとある家族のもとへ向かった。
「重要な話がある。別室で話したい」
声をかけたのは、レイモンドの実家オグリビー伯爵家だった。
いつになく真剣で暗い表情をしているアイザックに、アビゲイルは恐怖を覚えた。
戦場にいる主人に何かがあったのかもしれないと思ったからだ。
他の家族と共に別室に向かうと、そこにはジュディスが待っていた。
全員がテーブルに着くと、アイザックが口を開く。
「マルスとディアドラの事だが……。正直、親として二人の関係を無視していいものかどうか迷っている」
「その事でしたか」
用件がわかり、オグリビー伯爵一家は安堵する。
しかし軽く考えられる問題でもないので、すぐに気を引き締める。
「元々はクレアやメアリーの友達として呼んでいたが、うちは兄妹仲がいい。一緒に遊んでいるうちに親しくなっていったようだ。アビゲイル、そちらもディアドラから話は聞いていないか?」
「マルス殿下に思うところはあるようですが……。ディアドラは賢い子なので、言葉にしてはいけない事は理解しています。詳しくは何も」
「嫌ってはいないんだね?」
「はい、それは確実に」
アビゲイルの返事を聞いて、アイザックは天を仰いだ。
「レイモンドが私の友人というだけではなく、アビゲイルも妻達の友人としてよくやってくれている。ジュディスも信頼のできる相手の娘という事で、ディアドラの事を気に入ってくれている。だから……、十歳式を機に婚約の話を進めようと考えている」
本来ならば、めでたい話のはず。
それを鎮痛な面持ちで話されているので、オグリビー伯爵家の面々はイマイチ喜び切れなかった。
「この人は……、子供を手放したくない……、だけ」
ジュディスが「アイザックは婚約を嫌がっているわけではない」とフォローを入れる。
「パメラ陛下やリサ殿下からも伺っておりましたが……、まさか本当に?」
「本当……よ」
「それはどうでもいいじゃないか。子供を大事に思うのは悪くないだろう?」
アイザックは自分が責められていると感じて話を逸らそうとする。
だが、どうでもいい話ではなかった。
それだけ大事にしている子供との婚約を進めるのなら、オグリビー伯爵家にとってもプレッシャーはかなりのものだ。
家同士の繋がりのためと割り切った婚約のほうが、まだ気楽である。
「こちらとしては身に余る光栄です。しかしながら、他にも良縁があったのではありませんか?」
オグリビー伯爵が念のために尋ねる。
アイザックは自信のある表情を見せた。
「子供の婚姻関係に頼らねばならない国を作るつもりはない。皇族の力だけでも帝国を治められるようにする。子供達が好きな相手と婚約できるような状況を作るつもりだ。もし私の子供と婚約できなかったからと国を乱すような貴族がいるのであれば、いつでもかかってくるといい。それだけの決意はある」
子供が最優先のアイザックである。
子供を犠牲にした婚姻を結ぶつもりはない。
そもそも伊達家のように複雑な婚姻関係で身動きができないような状況を作るつもりはなかった。
帝国を安定、繁栄させるためにもある程度は自由な行動ができる情勢にしておきたい。
アイザックはそう考えていた。
「陛下がそこまでお考えでしたら、私共に断る理由はございません。ディアドラをよろしくお願いいたします」
「レイモンドもウィルメンテ公と共に帰国する予定になっている。彼が強く反対する場合もあるので、ディアドラには匂わせる程度ではっきりとした事はまだ言わないでいただきたい」
「かしこまりました」
「では下がって結構」
用件を伝え終わると、アビゲイル達に退出を許可した。
彼女達は突然の事に困惑しながらも、レイモンドに何かあったわけではないと安堵の表情を見せて出ていった。
残ったアイザックは厳しい表情のままである。
「頑張って……、くれて……、ありがとう……」
ジュディスがアイザックの頭を抱え込むように抱きしめる。
子供の婚約を決断するのには、彼なりに大きな心労があったとわかっているからだ。
アイザックもジュディスを抱きしめ返し、しばらくの間沈黙が訪れる。
その間、ジュディスは「子供一人でこれなら、他の子みんなの分を決めたらどうなるんだろう?」と将来について考えていた。







