790 三十歳 アイザックが落札したもの
オークションに参加した妻はブリジットだけではない。
他の妻達は普通のものを出品している。
アイザックに貰った物は大事に残しているが、皇后や皇妃の体面を保つために品位維持費で購入した宝石などを出品していた。
思い出の品ではないが、皇族が身を切ってチャリティーオークションに力を入れていると証明するのには十分だった。
そして何よりもアーク王家秘蔵の品がよく売れた。
絵画など運びやすいものを中心に多くを持ち出されていたが、彫像など重くて運びにくい物は王都に立て籠もっていた部隊が大事にしまいこんでいた。
そういった物をアイザックは持ち帰っていた。
やりたくなかった略奪行為ではあるが、平民ではなく王族からならいいだろうと自分に言い訳をしながらの決断である。
だがちゃんと「歴史的な物を維持、管理できる人に落札してほしい」と言ってあるので、美術品保護という名分もある。
この措置に不満を言うのはアーチボルド達くらいだろう。
これらのおかげで、チャリティーオークションは四千億リードを超える売り上げを記録した。
国庫に八百億リード。
戦死した家族への見舞金など、福利厚生に千二百億リード。
そして教会には窮民救済のために二千億リードを寄付した。
――教会の寄付第一号であり、寄付金額暫定ランキング一位の登場。
この寄付はアイザックの名声を高めると共に、教会が寄付を集め始めた事を世間に広く知らしめた。
なにしろ皇族が身を切ってまで行った寄付である。
貴族や商人を通じて素早く知れ渡った。
これにより、彼らも自分達がどう動くべきかを考え始める。
おかげで教会を通じて、アイザックは多額の金を利用できる事になりそうだった。
――アイザックが得た利益はそれだけではなかった。
「お父様なんて嫌いだ! 僕を馬鹿にしてるんだろう!」
ティファニーの第一子アルバインがアイザックを非難する。
いつもなら子供にこんな事を言われたら動揺していたが、今回はなぜかアイザックは余裕のある態度を見せていた。
「アルバインを見下すわけないだろう」
「じゃあなんで僕のスケッチ帳を落札したのさ!」
彼が怒っている原因は、チャリティーオークションに出品したスケッチ帳をアイザックが落札したのが原因だった。
家族の日常をテーマにして描かれたスケッチ帳は、アイザックがランドルフとハリファックス伯爵との競り合いの末、二百万リードで落札された。
これはランドルフ達が「あっ、これは今年度の国家予算を投入してでも譲る気はないな」と察して手を引いたのだが、落札したのがアイザックなのがよくなかった。
アルバインには「入札者がいないから、アイザックがお情けで入札した」と、惨めな気分になるだけだった。
ランドルフ達が落札していれば、まだその感情はマシだったかもしれない。
アイザックが落札したから、惨めだと思う感情は強いものとなっていた。
そんな彼にアイザックはスケッチ帳を差し出す。
「これはまだ完成品じゃない。だから完成させてほしいからパパが落札したんだよ」
「嘘だ! みんなの事をちゃんと描いたよ……」
アルバインはふとある事を思い浮かべる。
「これから生まれてくる赤ちゃんの事を言っているの?」
「いいや、違う。まだ生まれていない子供の事まで描けとは言わないさ」
アイザックはパラパラとスケッチ帳をめくって見せる。
「でも大事な家族の事が描かれていない。誰だかわかるか?」
アルバインが中身をチェックする。
だが両親と兄弟どころか、祖父母までみんな描かれている。
彼には誰の事を言っているのかわからなかった。
アイザックは溜息を吐く。
「アルバイン、お前の事だよ」
そう言われてアルバインは、ハッとした表情を見せる。
しかし、すぐに曇った。
「普通の画家は自画像以外で自分の事をあんまり描かないと思うけど……」
「それがどうした。家族の日常をテーマにしているなら、アルバインも入っていないとおかしいじゃないか。姿見で自分を確認しながら描きなさい。お前も家族なんだから、描かないとパパは完成したと認めないぞ」
アイザックは、いつになく断固とした意思を持ってアルバインに自画像を追加する事を要求する。
本人は完成しているつもりなのに、まだ完成していないと言われる事にはあまりいい気はしない。
だが「お前も家族なんだから自分の姿も描きなさい」と言われた事は、少し照れくさいながらも悪い気はしなかった。
「わかった、描きます」
「よし。……ああ、そのスケッチ帳はパパが落札したんだから、勝手に出品しようとしたりしたらダメだぞ。それと弟や妹が新しくできたら、また描き足しておいてほしい」
「そんな勝手な……」
「家族の日常がテーマなんだから、スケッチ帳が手元にあるうちは描いてもらわないとな」
――結局、これから生まれる子供の分まで描かされるんじゃないか。
アルバインは父の言動不一致に不満と不信を持った。
だが彼が描いた自画像には悪辣な笑みではなく、優しい笑みを浮かべたアイザックの姿が隣に描かれる事となる。
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アイザックが家族との団欒を楽しみながら金稼ぎをしている時にも戦場は動いている。
ヴィンセントからアルビオン帝国の状況がもたらされた。
「アルフレッドとブランドンが、まずはヴィンセントを排除しようと共闘関係になったか。最初からそうしてれば、こっちも苦労したんだけどなぁ……。今からじゃもう遅いよ」
本来ならば頭を抱える重要な問題ではあったが、今はもうそんな段階は過ぎている。
今の彼らが手を組んでも怖くはない。
むしろ歓迎すべき事態だった。
「主君がそんな風にフラフラしていれば下に付く貴族も不安でしょう。今なら彼らもヴィンセント陛下の説得に容易く応じるのではないでしょうか」
茶を飲みながらクーパー侯爵が答える。
今のアイザックにとって、この報告書は彼と休憩時間の話題程度の価値しかなかった。
クーパー侯爵が言ったように、二人が手を結ぶのは一見良さそうに見えるが悪手でしかない。
彼らが生き残りをかけて相手を選ばずに手を結ぶ姿を見せているのだ。
従う貴族達に「じゃあ俺達も生き残るためにヴィンセント陛下に降伏しよう」と考える者も出てくるだろう。
例え辛い状況であっても、トップが一本芯の通った姿を見せておかねば団結のしようがない。
ヴィンセントも切り崩しがやりやすくなったはずだ。
「やると決めた以上は最後までやり遂げないと。でもこれが上手くいけば柔軟な思考とか言われるので、結果次第で評価は変わりますね」
「ですが陛下も盤面がひっくり返されるとは考えてはおられないのでしょう?」
「ヴィンセント陛下が取り返しのつかないほど大きな失策でもしない限り、ヴィンセント陛下有利の状況は変わらないでしょう。フィッシュバーン侯の寝返りが決定的です。帝都の支配権と南西部一帯がヴィンセント陣営になったので、アルフレッド派は側背が脅かされる事になりました。軍の集中運用が難しくなったので、ブランドンと手を組んでも焼け石に水でしょう」
アイザックが言うまでもなく、クーパー侯爵もその事は理解していた。
新兵器の力を思い知ったブランドン派と、次は誰が寝返るのか不安の残るアルフレッド派。
彼らに効果的な反撃ができようはずがなかった。
「では、マカリスター連合の動きはどう思われておられますか? 彼らを放っておくと、我々の物になるはずのアルビオン帝国の領土を削られてしまいますが」
「ああ、それは対策済みです。実は――」
アイザックがひそひそ声で、クーパー侯爵にだけ考えている対策をこっそり教える。
すると、クーパー侯爵は呆れた表情を見せた。
「すでにそこまで考えておられたのですか」
「アルビオン帝国で内戦が起こるなら、火事場泥棒は出てくるだろうと思っていました。ただいきなり喧嘩を吹っ掛けるような真似はしたくないので、カニンガム大臣に『アルビオン帝国はエンフィールド帝国のものだから撤退するように』と伝えるように頼んでおきましょう」
「それで応じなければ……」
「アルビオン帝国の情勢が落ち着き次第、すぐに懲罰、という事にはならないでしょう。アーク王国から続く戦争で兵士も疲弊しているはず。当面の間は交渉による解決を目指し、相手の反応に合わせて今後の計画を立てていく事になるでしょう」
「陛下のものになるはずの領土に手を出した代償を支払う事になるわけですか。本来なら千載一遇のチャンスが落とし穴だったとは思わないでしょうね」
「これが商人の出店場所の奪い合いなら譲る事もあるかもしれませんが、国家間の問題ですからね。そう簡単には譲れません。彼らには泣いてもらう事になります」
彼らの話はティータイムに話すような内容ではなかった。
だがアイザックは「難しい問題ではない」と話し、クーパー侯爵は「そうですね」とうなずく。
普通に考えればアルビオン帝国の情勢は大問題だが、まるで世間話でもしているかのような軽い対応に彼らの側近は驚愕していた。
そしてクーパー侯爵が、アイザックに慣れているので、彼に尊敬の眼差しを向けるようにもなっていた。







