789 三十歳 チャリティーオークション
「うさちゃんかわいい」
「リーザのほうが可愛いよ!」
ウサギを抱きしめる娘を、我慢できなかったアイザックがガッチリ抱きしめる。
子供の様子を見に来ていたリサとブリジットが、その姿を微笑ましく見守っていた。
「ペットといえば犬とか鷹で、ウサギをペットにしている人なんていなかったなぁ。みんな食べたり、毛皮にしてたから」
「それを子供に聞かせたらダメですよ……」
「わかってるって」
せっかく可愛がっているのに「ウサギはご飯だよ」と伝えるような事はしてほしくない。
だからリサは優しくブリジットをたしなめる。
わかっているという答えは返ってきたが、軽い口調なので不安になる。
「でも動物に慣れさせるのにはいいかもね。噛んでくる事もあるけど犬や猫よりかは傷も浅いし」
「ヌイグルミみたいで可愛いですからね」
「そう言われてみればそう……かも?」
リサにとって、ウサギは調理されて食卓に並んでいるもの。
一方、ブリジットは解体して食材や毛皮を得るものという認識があった。
調理後の姿しか知らないリサは最初から可愛がる事ができるが、獲物という認識しかなかったブリジットにはすぐ可愛がるのは難しいのかもしれない。
これまでの接し方でウサギに対する印象も大きく変わるものだった。
「ねぇアイザック。鳥とかは飼わないの?」
「鳥は難しいかな。犬が何かの拍子に噛んで死んじゃったら、子供達も悲しむだろうし」
「村では狩り用に犬と一緒に鷹を飼ってたわよ。特に喧嘩とかもしなかったけど」
「鷹は子供が大きくなったらいいけど、小さい子供もいるから危ないしダメだね。でも小鳥だとパクッといかれちゃうかもしれないから厳しいかな」
心配するアイザックに、ブリジットは呆れてしまう。
「そんなの慣れよ、慣れ。犬だってちゃんとやって良い事と悪い事を教えてあげれば覚えるんだから。ウサギだって今はトレーニングしてるところでしょ。とりあえず試してみれば?」
「うーん……」
アイザックは悩む。
犬のトレーニングのため、犠牲になってしまう小鳥達の事を可哀想に思ったからだ。
子供達に「鳥さんが可哀想」と言われたら、きっとショックを受けてしまうだろう。
だがアイザックは考え直した。
――すでに人間に対して可哀想な事をやっているので、そちらを知られたほうが衝撃は大きいからである。
「じゃあ、ちょっとだけ試してみようか」
アイザックだけの判断なら却下していただろう。
しかし、妻達に否定される事に慣れてきたので、受け入れることにした。
「そうそう、何事も試してみないと。それと今度試してみたい事があるんだけど」
「なんの事かな?」
「実はこういうのを考えているんだけど――」
「……試してみるのはいいけど、お金にはならないと思うよ」
ブリジットがアイザックに耳打ちをする。
その内容にアイザックは顔をしかめるしかなかった。
----------
年が明けると、アイザックは国立歌劇場でチャリティーオークションを開催した。
この日のために、ノイアイゼンからも有力者を呼び寄せている。
アイザックなりに金を稼ぐ算段があった。
「皆様、本日は遠方まで足を運んでください誠にありがとうございます。このオークションの売り上げの二割は国庫へ。残る八割は戦場で散った兵士の遺族の生活支援や、窮民救済を呼び掛けておられる教会へ寄付させていただきます。ただの戦費調達のためのオークションではなく、生活に困っている人々の支援という面が多分に含まれているとお考えください」
チャリティーオークションの名を冠しているだけあって、ただ国庫に納めるわけではない。
特に教会への寄付は重要だった。
エンフィールドの名前で多額の寄付をする事で、他の者達の寄付を促す呼び水としても使うつもりでもあった。
それにこのほうが世間体もいいので一石二鳥である。
「さて、本来なら徐々に高額で落札されそうなものを出していくのですが、今回は最も目玉となりそうなものを最初に出品させていただきます。特にノイアイゼンの方々には興味を持っていただけるかと思います」
アイザックはノイアイゼンのドワーフ達が座っているところに視線を向ける。
彼らは興味津々といった目でアイザックを見返していた。
「私の出品物は帆も櫂も必要とせずに航行できる船の概略図と、この船を生産する権利です。この艦船は既存の技術で生産可能である事は確認済みです。ただこの概略図で重要なのは理論であるため、技術者ではない私では詳細な設計図を描けておりません。それと小舟での実験は終わっていますが、私は海に詳しくないので外洋航行がどこまで可能かもわかっていないという点をご留意ください」
アイザックの出品物は、船の左右に水車のような外輪が付いた蒸気船である。
スターリングエンジンを使って小舟での実験は終わっているので、理論上は蒸気機関を使っての航行は可能なはずだった。
「あとは実物を作って、実用レベルまで試行錯誤するだけです。これを実用化できれば、将来的な利益は大きなものとなるでしょう。しかし、ノイアイゼンには海がない。ファラガット地方やグリッドレイ地方の商人に比べれば食指が伸びない事でしょう。ですのでノイアイゼンの方々が落札された場合は、港を得る方法のアドバイスをいたします。それでダメだった場合は造船所の貸し出しなどの相談に応じます」
この蒸気船が誰をターゲットにしているのかは明白だった。
アイザックは明らかにドワーフに売ろうとしている。
これは両国の貿易ではノイアイゼンからの輸入のほうが多いため、その利益を少しでも取り戻そうとしているからである。
だが帆のいらない新しい船と聞くと、貿易船を保有しているファラガット地方などの商人も黙って見てはいられない。
彼らの競争心に火が点いた。
「いつかはこの形式よりも優れたものを思いつくかもしれません。そうした可能性を考慮して落札に参加してください」
アイザックは、いずれスクリュー式の船も作らせるつもりだった。
だから抗議されないよう、高額入札を煽るような事はしなかった。
彼は進行役に目配せする。
「それでは新型船の概略図、一億リードから始めます」
「二億!」
「三億!」
勢いよく値段が上っていく。
肝心のノイアイゼンからきたドワーフ達は、顔を突き合わせて話し合っていた。
船よりも、アイザックの話をどこまで信じられるか。
それによってどれだけの利益があるのかを話し合っているのかもしれない。
「五十億!」
「六十億!」
五十億リードを超えても勢いは止まらなかった。
造船業を生業としている商会以外にも、権利を買って大勢に売りつけようと考えている商会も参加しているせいだ。
こうして値段が釣り上げられるのは、アイザックにとって都合がいい。
あとは本命が動いてくれるのを待つだけである。
「三百億!」
「三百十億!」
さすがに三百億代に乗ると、入札者は限られた面子になってきた。
(入札というと昔は百万リード単位だったのに、今では百億単位になったか。今の立場も売っている物も違うとはいえ、これだけ稼げるようになると感慨深いものがあるな)
かつては名ばかりの嫡男で、その地位を確固たるものにするために将来どうなるかわからないあやふやなアイザックのために入札をしてくれていた。
だが今では皇帝という立場であり、商品に対する信用もある。
この大きな違いが金額として、しっかりと反映されていた。
「千億!」
ついに大台に乗った。
そしてそれはよく知るルドルフだった。
彼の隣にはジークハルトもいる。
他の者達は黙って見ていた。
どうやらノイアイゼンは商会同士で入札を争うのではなく、彼らに一本化する事に決めたのだろう。
「千五十億!」
「千百億!」
ファラガット地方の商人も負けじと張り合うが、すぐルドルフに上乗せされてしまう。
(ファラガット地方の商人は儲けているようだな。……今度、メイヒューにでもどれくらい搾り取れるか聞いてみるか)
アイザックはそう考えたが、実際は難しい事だった。
造船業や廻船業は動く金額も大きいがリスクも大きい。
遭難事故などの万が一の事があった場合、賠償金は陸上輸送とは桁違いに高いものになるからだ。
多額の資金を持っているからといって、気軽に税金などで取り立てられる性質の金ではなかった。
彼らは同業者間で話し合いを始める。
ノイアイゼンに負けないよう、手を組み始める。
「二千億! 二千億リード以上はないですか! では二千億リードでノイアイゼン、ルドルフ商会が落札!」
それでも今後得られそうな利益と天秤をかければ限度がある。
技術を分かち合えるかわからない不安もあって、ルドルフ商会に落札されてしまう。
アイザックは落札者と、彼らに対抗した商人達に向けて拍手を送った。
「さて次は――」
進行役は新たな商品を紹介し始めると、アイザックは落札の手続きを進めているルドルフ達のもとへ向かった。
「落札おめでとうございます」
「我々に落札させようとしていたのでは?」
「そのほうが都合がいいですしね」
アイザックは微笑みを浮かべながら概略図を渡す。
「この船の名は蒸気船。蒸気機関の研究を進めているノイアイゼンにピッタリでは?」
「ああ、そういう事でしたか。蒸気機関の技術を広めるのも悪くないが、安売りするわけにはいかない。まだ共同研究者に落札されたほうが都合がいいというわけですな」
ルドルフは納得したようにうなずく。
だが完全に納得したわけではない。
「しかし我らには港がありません。陛下のアドバイスとはどのようなものですかな?」
「港はありませんが、海は近くにあるでしょう?」
アイザックの言葉に、ルドルフは目を丸くする。
「ありますとも。ドラゴンの領域ですが」
「ならばドラゴンセレクションの時にでも提案すればいいのです。港を作れば大陸各地から珍しいものを手に入れて、ドラゴン様に素晴らしいものが献上できるようになると。話のわかる相手なので理解を示してくれるでしょう」
「あとは港に適した土地を探して、道中に休憩所となる街を作るというわけですか」
「さすが、理解が早くて助かります。もしノイアイゼンの南に港町ができれば、ファラガット地方からアルビオン帝国へ向かう船団の中継地になります。造船業だけではなく、商業的な利益も得られるでしょう。時間はかかるものの、元は取れると思いますよ」
アイザックなりに勝算のある考えだった。
ドラゴンは自分に利益をもたらす行動は認める傾向がある。
そのほうが美味しい思いができると学んでいるからだ。
この話は成功率が高いはずである。
「ダメであれば造船所などをお貸しいただけるのでしょう?」
「造船所を貸す。もしくは適した土地の貸与といったところでしょうか。高額落札者様のために融通は利かせますよ」
「ならば、あのドラゴンと交渉してみましょう」
ダメだった場合の代案もあるので、ルドルフは素直に意見を聞き入れた。
「アイザック陛下なら、この船の試作品も作っておられるのでは?」
ジークハルトが窺うような目で見ながら尋ねてくる。
「ジークハルトには敵わないな。疑似蒸気機関で動かす船と、外輪で動かす船で試してある。大きな船だとどうなるかわからないけど、小舟であれば動く事は確認済みだよ」
「ではそれを見せてください。そのほうがわかりやすいでしょうから」
「もちろんかまわない。予定を入れておこう」
外輪で動くものは、スワンボートのように足漕ぎで動かすタイプである。
子供の舟遊びのために作ったものだが、これがきっかけで蒸気船の発想に至った。
それが多額の金を動かす事になったので、世の中わからないものである。
「では入金は三カ月程度を目安にお願いしますね。残りの出品物もお楽しみください」
「蒸気船の入札ですっからかんだよ」
ルドルフ達は苦笑いを見せるが、軽いものだった。
多額の金を使ったが、面白そうなものを落札できた事を喜んでもいた。
彼らのどこかスッとした姿を見て安心したアイザックは自分の席に戻る。
ちょうどブリジットが出品するところだった。
「私は皇帝陛下に嫁いで日が浅く、オークションに出品できるものは持ち合わせておりません」
彼女はよそ行きの態度を見せていた。
しおらしくしている姿は「エルフの姫様」と言っても過言ではない。
「ですから私が陛下と過ごすはずだった時間を出品いたします。陛下と一緒に食事をしたり、お話したりする時間を欲しいという方は入札してみてください。これは陛下の許可を取っております」
(そんな奴がいるはずないだろうに)
アイザックは呆れていた。
そういうのは若く、可愛い女の子がやるから価値があるのだ。
三十を過ぎたおじさんに入札するような者はそうそういないだろう。
「では百万リードから」
――だが、いた。
「二百万!」
「二百十万!」
次々に入札の手があがる。
それも良い年をしたおじさんやお爺さんといった年代の者達ばかりである。
これにはアイザックも驚いた。
(みんなそんな趣味を持っていたのか……)
それは違う。
「アイザックと話してみたい」と思っているだけの者もいたが、その多くは息子や娘、孫達にアイザックとお近づきになってほしいと考えていただけだった。
その機会を買うための入札である。
とはいえ、あくまでもアイザックとお話する機会ができるだけ。
最終的に五千万リードで落札された。
「ね、お金になったでしょ? 私の勝ちね」
ブリジットが誇らしげに胸を張る。
「お金にならない」と言ってしまっただけに、アイザックは少しだけ負けを認めた複雑な表情を浮かべていた。







