788 三十歳 アイザック流資金調達術
十二月上旬。
アイザックは帰国した。
アーク王国だけではなく、アルビオン帝国でも勝利を収め続けているので、出迎えの声援は盛大なものである。
だがアイザックにとって盛大な声援よりも嬉しいものがあった。
「お父様、お帰りなさい!」
「ただいま!」
子供達の出迎えである。
みんなをまとめて抱きしめたいところだが、子供の数が一人や二人ではないため順番に抱きしめていく。
半年ほど離れていただけだが、みんな以前より重みを増している。
これが命の重みというものだろう。
生命の神秘に触れている事に感動する。
「お帰りなさい」
「ただいま」
子供達の次は妻達との抱擁である。
一人一人再会を喜び、ギュッと抱きしめる。
出産が近いアマンダだけは、気を遣って優しく抱きしめた。
「義父上も三人目の孫の顔を見たがっていたけど、自分は戦場へ向かって私を帰らせてくれたんだ。早く戦争を終わらせてゆっくりと会わせてあげたいよ」
「そうですね。子供達もおじいちゃんに会いたいと話していたから……。でもすぐに会えると信じてます!」
「ああ、そう遠くないうちに会えるようにするさ。きっとメアリー達の成長に驚くぞ。半年会わなかっただけでこんなに大きくなってるんだから」
「子供の成長は早いからね」
毎日そばで見ていても成長を実感できるのだ。
一年、二年と期間が空けば、その変化はよくわかるだろう。
この世界では十五歳くらいで成長しきる。
あと五年ほどと考えれば、もう間近である。
子供達が巣立っていく姿を考えたくないアイザックにとっては、名残惜しい時間だった。
家族に囲まれながら後宮へ向かおうとする。
その時、クーパー侯爵と目が合った。
――家族の団欒を邪魔したくないが、早めに話したい事がある。
これほどはっきり目でものを言う視線というのは、なかなかお目にかかれないだろう。
アイザックは後ろ髪を惹かれる思いで、家族を先に行かせる。
「留守を預かってくださってありがとうございました。宰相のおかげで前線の兵士も補給に不安を覚えずに戦えていましたよ」
水を差されて不満はあったが、それでもアイザックはクーパー侯爵の労をねぎらう。
「お邪魔をして申し訳ございません。ですが、その補給の財源に関してお話しておきたい事がございます」
「そういえばそういう報告がありましたね。わかりました。では昼食後、少ししてから教皇聖下と事務局長をお呼びして話すとしましょう」
「教皇聖下と……事務局長? ……教会から税金を取るおつもりですか?」
「まさか、自主的に出してもらうだけですよ」
「……かしこまりました。連絡を取っておきましょう」
「そう不安な顔をしなくても大丈夫です。ちゃんと考えていますから」
アイザックは笑顔を見せる。
だがクーパー侯爵は不安だった。
これまでにも「アーク王国民救済のため」と称して教会から金を巻き上げている。
いくらアイザックでも、これ以上奪えば反発も大きいだろう。
彼が不安を覚えるのも無理はない。
しかし、アイザックには秘策があった。
アイザックは「心配ない」というかのようにクーパー侯爵の肩をポンポンと軽く叩いて、早足で家族へ追いつこうと追いかけた。
昼食後まで家族との時間を満喫してから、アイザックは宮殿へ向かう。
執務室で軽い仕事をこなしながらセス達の到着を待つ。
しばらくして、彼らの到着の知らせを受けた。
「さて、行くか」
セスは教皇である。
突然呼び出したので、礼儀上彼を出迎えねばならない。
「お久しぶりです。今日は良いお話を持ってきました」
「それはありがたい事ですな」
宮殿前で軽い挨拶を交わすと、雑談を交わしながら応接室へと案内する。
その途中、セスは「こちらにとって良い話ではないんだろうな」と薄々察していた。
だが、アイザックも一方的に奪うばかりではない。
相手に納得させたうえで必要なものを出させる事にも慣れていた。
クーパー侯爵も不安な表情を隠しながら同席する。
「実は教皇聖下に手土産があるのです」
「手土産ですか? ……あぁ、アーク王国で教皇を名乗っていた者の事ですか?」
セスはアーク王国土産といえば、教皇を僭称していた者の身柄を渡す事だと思い浮かべた。
「それもあります。ですがもっと教皇聖下にふさわしいものを持ってきたのです。例の物を教皇聖下のもとへお運びしろ」
アイザックの命令により、セスの前に細長い箱が置かれた。
「どうぞ、ご確認を」
「陛下がそうおっしゃるのでしたら」
セスが箱を開けると、中には古びた木製の司教杖が入っているのが見えた。
アイザックからすると歴史的な遺物の一つでしかないが、セスにとってはそれは他の何物にも代えがたい宝物に見えた。
「まさかこれは!」
「初代教皇聖下から代々伝わる司教杖です。それはセス教皇聖下がお持ちになられるべきでしょう」
――セスが持ち主にふさわしい。
アイザックがそう言っても、セスはなかなか杖に触れられなかった。
彼にとって、それはまさに聖遺物。
教皇と呼ばれるようになっても、自分が触れていいものか自信を持てなかったからである。
「アーク王国の王都グローリアスは戦争で荒れ果てていました。教皇庁の中には信者を騙る背信者ばかり。そのため聖遺物を保護してきたのです。他にもあるので、のちほど教会へ届けましょう」
「陛下、ありがとうございます! 私は聖遺物が戦火に晒されるという事など考えもしませんでした。大事に保管させていただきます」
「いえいえ、私も信者の一人としてお役に立てて光栄です」
二人は満面の笑みを見せる。
事務局長のハンスも合わせて笑みを見せるが、内心はざわついていた。
アイザックの信仰心が薄いのを彼は知っている。
これだけのために呼び出したのではないと予想できていたからだ。
「ですが今は背信者がのさばっていたとはいえ、歴史あるアーク王国の教皇庁から聖遺物を持ち出したことは事実。そこでアーク王国での反発を抑えるため、アーク国民救済のために富裕層へ寄付を募ってみては?」
「新たに寄付を募る、ですか……」
これにはセスもいい顔をしなかった。
「アーク国民のため」という名目ではあるが、寄付金はエンフィールド帝国に納めている。
実質的に戦争のために使われているようなものだったからだ。
「エンフィールド帝国からアーク王国へ物資を運ぶのにも莫大な金がかかります。しかも今はアルビオン帝国民も内戦で困っているようです。集めてくださった寄付金は食料の購入費と運送費用に使って、窮民救済に活用されてはいかがですか?」
アイザックは聖遺物の見返りを要求している。
断れば残りの聖遺物を、なにかと理由をつけて引き渡してくれないかもしれない。
もしくはアーク王国に送り返すという事も考えられる。
セスにとっては断れない要求だった。
「いかがですか?」と言ってはいるが、実質的に強制のようなものである。
「窮民救済は私も望むところ。ですが富裕層から寄付を募るとはどういう事でしょうか?」
「これから市井に『商人達は戦争を利用して私腹を肥やしている』という噂が流れる事になるでしょう。そこで教皇聖下が『戦火に巻き込まれた貧民を救済するため』と寄付を募っていただきたい。その時、一緒に『高額の寄付金を納めた者には感謝の意を籠めて名前と金額を公表する』とお触れを出してください。そうすれば競って多額の寄付を納めてくれるはずです」
アイザックの説明に、ハンスが眉をひそめる。
「あの店はいい店だと評判を良くすれば客も来る。高額寄付者に名前を売る機会を用意するというわけですか」
アイザックが言った「これから噂が流れる」というところには、あえて触れなかった。
誰がそんな噂を流すのかは聞くまでもなかったからだ。
「ええ、そうして集めたお金を国に納めてくだされば、すべて食料の買い付けと運送業者への支払いに使うとお約束しましょう。神に誓って、この言葉に偽りはありません」
食料や運搬費が浮けば、他のところに予算を回せる。
たまたま運送業者が空いた荷台に武具を載せたりするかもしれないが、それは業者の都合である。
結果的には戦争に協力しているようなものだが、嘘は言っていない。
「こちらで手配してはいけないのですか?」
「そうしてくださっても結構です。ですがほとんどの商人が国のために動いてくれている状況で、新たに大規模な輸送を請け負えるところがあるかどうか……。その点、エンフィールド帝国ならば軍の輸送部隊も使えますし、取引のある商人達にも大量輸送の実績もあります。商人にぼったくられる心配もありません。なによりも聖アイザックが代行を請け負うのですから信用できると思いますよ」
アイザックは聖人認定されている事も利用して「集めた寄付は国に納めろ」と遠回しのようで遠回しではない言い方をして金を要求する。
この切り札を使われては、セスとハンスも強く否定しにくくなった。
「聖人を信用できない」となると「なぜ認定したのだ?」という話になるからだ。
そうなると教皇庁の権威の問題になってくる。
ニコニコと笑みを見せるアイザックの顔が、二人には悪魔のように見えていた。
「もちろん、要求するばかりではありません。チャリティーオークションを開き、私物など売り払うつもりです。そこで集めたお金を教会に寄付させていただきます。富裕層から寄付を集める呼び水になるでしょう」
「陛下も身を切るお覚悟をお持ちなのであれば……。陛下の提案に賛同いたします」
セスは迷いながらも、アイザックの提案を受け入れた。
ハンスは「でもそれって結局国庫に入るんだよな」と思ったが、セスが賛成してしまったため余計な事は言わなかった。
クーパー侯爵は真剣な面持ちをしながら「ここまで露骨に教会を利用していいのかな」と、ひやひやしながら様子を見守っていた。
「ご協力に感謝いたします。それではお帰りになられる際に聖遺物も一緒にお持ちになられますか?」
「持ち帰りでお願いします」
「かしこまりました。ではそのような手筈を整えておきましょう」
アイザックは側近に荷馬車の用意をするように伝え、準備が整うまでの間、雑談を交わしてから彼らを見送った。
「私は臨時徴税の許可をいただければよかったのですが……」
クーパー侯爵が呆れた声で呟く。
「臨時徴税だと貧しい者からも税を取る事になるでしょう。まずは見栄を張る余裕のある者から取って、それでも足りなければ臨時徴税すればいいんです」
「それにしても私物まで売られるとは」
「人の上に立つ者が率先して身を切らねば誰も付いてきませんよ。あと一年か二年もすればアーク王国全土で自給自足できるようになるので、それまでの我慢です。エンフィールド帝国全土から寄付を募れば、それなりの金額になるはずですが、それでも足りなければ他の方法を考えましょう」
「それにしても、この方法をよく考えられました。国家主導で商人から徴税すれば恨みを買う。だから自主的に寄付という形で恨みを買う事なく金を吐き出させる。彼らは世間の評判と自己満足を得られるので、エンフィールド帝国に恨みは持たない。それでいて教皇聖下も窮民救済に意欲的なお方だと評価され、国民もいつか自分達が困った時に助けてもらえるという希望を持てる」
「相互扶助は社会の基本ですから」
アイザックは余裕のある笑みを見せる。
クーパー侯爵は、孫ほど年の離れているアイザックの姿に頼もしさを覚えた。
「喫緊の課題はこれくらいですか?」
「はい。あとはなんとかなっております」
「では今日は家族とゆっくり過ごさせてもらいますよ。あとは頼みます」
そういうアイザックの姿は家族第一の父親の姿だった。
教皇すら手玉に取っていた男と同一人物には見えない。
本性を掴みきれないところが、アイザックの恐ろしさだとクーパー侯爵は実感する。
後宮に戻ったアイザックは、家族と共に過ごした。
その日の夜、アイザックはパメラに捕まってしまう。
「今日は子供達と一緒に寝ようと思ってたんだけど……」
「あなたがロレッタを妊娠させたせいでしょう。子供達と過ごしたいなら明日以降にしなさい」
アイザックはパメラに寝室へと連行されていった。
後宮における子供の数マウントバトルは終わってはいない。
アルビオン帝国皇帝や教皇を手玉に取る男も、家庭内では妻の尻に敷かれる一人の男だった。







