787 二十九歳 アルビオン三兄弟
フィッシュバーン侯爵の動きは、アルフレッドの知るところとなった。
「あの卑劣漢め! 忠臣面しておいて大事な場面で裏切るだと! 恥を知れ!」
彼は自分自身とアイザックにも刺さる言葉を虚空に向かってわめき散らした。
「全軍帝都へ向かう! まずは逆賊を討って兵の士気を高める!」
「殿下のお気持ちはわかります。ですが今は危険です。こうして裏切るという事は、フィッシュバーン侯がヴィンセント陛下と連絡を取り合って準備を整えていたのは明白。帝都に向かえば待ち伏せに遭うかもしれません」
「ならば黙って見ていろというのか!」
「今は時機が悪いというだけです。兵も浮足立っています。しかしながら、フィッシュバーン侯は元々ブランドン殿下に付いていて、こちらに寝返った裏切り者。あのような者がおらずとも、元々我々だけで戦えていたと兵達が気づくまでの時間が必要なのです。焦りは禁物です」
アルフレッドは皇太子という事もあり、側近に恵まれていた。
今ここでフィッシュバーン侯爵討伐のために軍を動かせば、その隙をヴィンセントに狙われる。
それどころかブランドンも動いてくるかもしれない。
感情的になって動くのはまずい状況だった。
「ワイアット侯も捕まったとの事。ならばワイアット侯爵領に残るご子息と連絡を取り、新たに兵を集めるなどの行動を取っていただくべきです」
「我らに従ってくれている貴族を安心させて統制を取るべきでしょう」
「クリフォード殿下にも支援を要請してみてはいかがでしょうか?」
彼らは次々に意見を出していく。
アルフレッドが自暴自棄な行動に出ないよう、代案はあると教えるためだ。
激昂しているアルフレッドでも、周囲が必死に自分に止めようとしている事くらいはわかる。
今の自分の行動が皇帝にふさわしいかを見つめ直し、必死に感情を抑えようとする。
「このままではフィッシュバーン侯の狙い通りになってしまいます。状況をひっくり返してみてはいかがでしょうか? スペンサー男爵は国を三つに分けて膠着状態を作るという策を提案していました。つまり、そうする事がヴィンセント陛下にとって利益になると考えたからでしょう。ならば奴らの思惑通りに動く必要はありません」
「どういう事だ?」
「ブランドン殿下と手を組む……というのも一手かと」
「ブランドンと組む? 今更か?」
アルフレッドにも彼なりに計画があった。
ブランドンが反乱を起こしたせいで計画が狂い、彼も行動に出るしかなくなったのだ。
弟のせいでこのような状況になってしまったという逆恨みもあり、手を組む気分になどなれなかった。
しかし、それは感情によるもの。
理性の部分では、違った答えを導き出していた。
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敗走したブランドンはモズリー侯爵領で再起を図っていた。
だが後継者を失うほどの大敗を喫してしまったため、肝心のモズリー侯爵は意気消沈しており、次男のジャスパーが指揮を執っていた。
しかし、レックスの戦死で後継者になると目されているとはいえ、正式に決まったわけではない。
当主でもなく、正式な後継者というわけでもないので、その命令には正当性がなかった。
途中で何度も確認が入るため、徴兵は遅々として進まなかった。
その事にブランドンはイラ立ちを覚える。
「裏切り者共が北上してきている。早く対応をしないとまずい状況になるぞ!」
「わかっています。ですが北部は奴らの領地もあるのです。他国の軍とは違って各地の抵抗も少なく、侵攻速度を遅らせるのが困難です」
「モーゼスでの決戦の時は腰が抜けていたくせに、今になって勇者になったとでもいうのか?」
ブランドンはテーブルに拳を叩きつける。
彼の怒りはもっともなものである。
あの時、他の部隊が一斉に攻撃を仕掛けていれば、エンフィールド帝国軍が危機的状況に陥っていたであろうことは事実。
動きが遅れたため、一部隊に攻撃を集中させる事ができたのだ。
そこまでわかっているわけではなかったが「あの時、奴らが攻撃していれば勝てていたかもしれない」という悔いがブランドンに残り続けていた。
「中部方面の部隊も敗走しています。まともな反撃がなかったのは東部だけですが、突出していると包囲の危険があるので後退させているところです。東部に向かわせていた軍と合流すれば、兵を集める時間は稼げるでしょう」
「それも東部に向かわせた貴族が裏切らなければの話だろう?」
「……ブランドン」
これまでブランドンを宥めていたジャスパーの声が低くなる。
「ガキのように騒ぐな。八つ当たりされるこっちはたまったものじゃない。こっちは兄上だけではなく、譜代の家臣が大勢戦死しているんだ。お前の野心に付き合ってな。こうなったのも詰めの甘さで帝都を掌握し切れなかったお前のせいだ。わめく前に自分にできる事をやれ」
彼は義兄としてブランドンをたしなめる。
ブランドンは怒り心頭といった表情を見せるが、ジャスパーの言葉を理解する理性を残していたので、感情のままに吐き出してしまいそうな言葉を飲み込んだ。
「この状況で何をやれと? 神輿として担がれる以外に今の私に価値などないだろうに」
その神輿の役目すら果たせそうにない。
怒りは抑えたが、すねているところまでは隠せなかった。
「裏切りそうな貴族に釘を刺すのも重要な仕事だ。それにやれる事はあるじゃないか。クリフォード殿下に援軍を求めればいい。このままではエンフィールド帝国の思惑通りになってしまうぞと伝えれば出してくれるかもしれない」
「クリフォードか……。北西部は兵も少ない。援軍を送らせても頼りになるかどうか」
「それでもないよりかはマシだろう? 今は小さな事でもやれる事をコツコツとやるべき時だ」
そう言って、ジャスパーはブランドンに近付き、彼の耳に顔を近づける。
「次男の立場は辛いよな。少しの差で家を継げないんだから。兄上がいなくなった今、俺が後継者になるのは確実になった。これでもお前には感謝してるんだ。感謝の印としてお前を皇帝の座に押し上げてやる。だからそう自棄になるな。まだ終わっていないんだから」
「……ああ、まだ終わっていない。軍を建て直せばまだなんとかなるはずだ」
「いくら頑張っても、父親に評価されても、後継者になれなかった時代じゃない。自分の頑張り次第で見返りも大きくなる状況だ。だから頑張ろう」
「そう言われるとやる気が出てきそうだ」
――ブランドンとジャスパー。
二人は次男という共通点から、これまで感じた事のないほど強い親近感を持ち始めていた。
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二人に援軍を求められたクリフォード。
彼のもとで、ちょうどお互いの使者が顔を合わせる事となった。
応接間で双方の使者が鉢合わせになったからだ。
「貴様、ブランドン派の!」
「そちらこそアルフレッド派の者ではないか!」
武器は預けてあるので、お互いに睨み合う状況になる。
さすがに掴み合っての取っ組み合いにはならなかったが、一触即発の状態である。
そこへクリフォードが訪れた。
「よかった、こんなに早く来てくれるなんて。兄上の返答は?」
「返答……でございますか?」
「どのような用件だったのでしょうか?」
(もしや、我々が接触する以前に使者を送り出していたのか?)
使者はお互いに疑い合う。
だが、彼らの思っているようなものではなかった。
「お前達は援軍の使者ではないのか?」
「アルフレッド殿下からの援軍の使者です」
「ブランドン殿下に援軍をお願いいたします」
「やはりか、貴様!」
「なにをっ!」
使者が睨み合う。
そんな二人の姿を見て、クリフォードは絶望に満ちた表情を見せた。
「そちらから援軍を求めてくるだと? 兄上が私の援軍要請に応じてくれたのではないのか?」
「クリフォード殿下の援軍要請とはいったいどのようなものだったのでしょうか?」
「農繁期が終わったマカリスター連合が攻撃を仕掛けてきている。我々はその防衛で精一杯だ。だから兄上達に援軍を求めたのだが、お前達はその返答の使者ではないようだな……」
クリフォードは力なく近くの椅子にもたれかかる。
肩を落としたいのは彼だけではない。
使者達も落胆していた。
マカリスター連合は、アルビオン帝国の北西から西にかけて広がる中小国が集まった同盟である。
彼らは常にアルビオン帝国から圧力を受けており、年々領土を削られていた。
エンフィールド帝国の侵攻とアルビオン帝国の内紛を好機と見て、領土を取り戻すつもりなのだろう。
――東西に敵を抱え、内部は分裂している。
軍事に明るい者でなくとも、絶望的な状況だという事はわかるものだった。
「西部の貴族から報告は入っていないのか?」
「いえ、それはまだ……。私がこちらに来る時には、そのような話はありませんでした」
アルフレッド側の使者は申し訳なさそうに答える。
クリフォードは溜息を吐く。
「ここが攻められているだけならまだマシだ。けど西部を攻められると兄上はそちらにも兵を割かねばならないだろう。……エンフィールド帝国傘下のアルビオン王国になるかどうかではない。今は亡国の危機だ。兄上達の状況を教えてほしい」
「それは……」
使者はお互いに見つめ合う。
今回は亡国の危機という事で、睨み合うのではなく、お互いに「お前が話すなら話してもいいかな」という迷った目をしていた。
「頼む、教えてくれ」
クリフォードも第三皇子である。
彼が切実な思いで尋ねているのを無下にはできない。
彼らはお互いに探るように、少しずつ状況を話す。
話を聞いていくうちに、クリフォードの顔が青ざめていく。
「これでは父上の言う通りにしておいたほうがよかったじゃないか。どうするんだ、兄上……」
落ち込むクリフォードであったが、使者達の顔色も悪い。
お互いに相手が窮地に陥っているという事がわかったのは好材料。
しかし、それは他国の介入がなければの話だ。
エンフィールド帝国以外の敵が攻め込んできた以上、内戦などしている場合ではない。
深刻な状況を前にして、彼らはいがみ合う余裕など失ってしまっていた。
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