679 二十四歳 本物の涙
引き続き今後の対応について話していると、来客の知らせがあった。
大使に面会したいというものだったが、王宮で働く執事が異臭のする棺を持ってきたという。
おそらくあの執事だろう。
「私も――私達も行きましょう」
アイザックは大使だけに対応を任せようとはしなかった。
エルフやドワーフも連れて行き、ハーミス伯爵らがどのような扱いを受けていたかを見せようとする。
彼らも気になっていたのだろう。
誰も反対する事なく同行する事になった。
来客は裏庭に連れて来られていた。
夜間とはいえ人目に付かないように配慮されたのだろうか。
「ご苦労」
異臭に耐えながら、執事に声をかける。
「彼らは中身を知っているのか?」
「はい、中に詰め込む作業をさせましたので」
まずは棺桶の乗った荷車を運んできた人足が事情を知っているかの確認をする。
彼らも中身を知っているのなら口封じが必要になる。
「ベイツ子爵、彼らに与える褒美を用意してくれ」
「かしこまりました」
こういう時のために用意している現金を持ってくるよう命じる。
それだけでは不安なので、言葉でも口封じをする事にした。
「この中に入っているのはリード王国との友好関係を継続するべきだと思って動いてくれていた者達だ。諸君らが戦争に巻き込まれる事のないようにな。彼らはただ平和を求めていただけだ。その結果、このような事になってしまった。諸君らに人の心があるのなら、彼らの事は忘れてやってほしい」
「あっしらはゴミを捨ててこいと言われただけでさぁ。そのゴミをよその王様がどうしようと知らねぇです」
どうやら彼らの代表者は察しがいいようだ。
運んできた物は、あくまでもゴミ。
それ以外の事は知らないし、言うつもりもないという意思を見せた。
彼らはノーマンから金を受け取ると速やかに去っていった。
「あの……」
「もちろん忘れていないさ。その前に人数を確認しよう」
アイザックが合図を出すと近衛騎士が棺桶を開けると、異臭が強くなった。
その中から八名が起き上がった。
「こっちは死んでいるようです」
「こちらもです」
運び込まれた棺桶は十一。
その内、三つは遺体が入っていたようだ。
「全員無事だとよかったのだが残念だな。ベイツ子爵、十一億リードの約束手形を用意してくれ」
ノーマンはすぐさま書類を書き、最後にアイザックがサインする。
それをノーマンが執事に手渡した。
「これをグレーターウィルの商人に持っていけば現金化してもらえる」
「グローリアスの商人ではダメなのですか?」
「ダメだ。彼らをリード王国の大使館に運んだあと、お前が多額の現金を手に入れたら周囲にどう見られると思う? アーチボルドに知られると危険だ。これはお前のための処置だ。リード王国に来るまで現金化は我慢しろ」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
執事は残念そうではあったが、危険性を理解できたので大人しく引き下がった。
アイザックは八名の男達に近付く。
「ハーミス伯はどなたでしょうか?」
「私です」
名乗り出たのは初老の男だった。
一応は水で洗ったのだろうが、それでもシャツが茶色く染まっていた。
軽く洗った程度では落ちなかったのだろう。
異臭の原因がわかると、誰もが顔をしかめた。
――だがアイザックだけは違った。
(彼らは最高の手駒になる。だからここが勝負だ! 勇気を出して一歩踏み出せ、俺!)
本当はアイザックも嫌だ。
彼らに近付きたくない。
しかし「まずは風呂に入ってこい」と命じる前にやっておいたほうが効果的な方法がある。
それを実行するため、アイザックはハーミス伯爵に近付き――彼に抱き着いた。
(臭いし汚い。しかも臭いが目に染みる)
あまりの悪臭と汚物塗れの男に抱き着いた悲しみで自然とアイザックの目から涙がこぼれ落ちる。
――それは混じり気なしの本物の涙だった。
「へ、陛下!? 汚いですよ」
「よくぞ……、よくぞご無事で。ハーミス伯だけではなく、皆さんもご無事でなによりです。確かに皆さんの服は汚れているかもしれません。ですが平和を求めるその高潔な精神を持つ者のどこが汚いというのでしょうか」
アイザックは泣きながら一人一人抱きしめていく。
それが芝居ではなく、本物の涙だという事は本能的にみんなが感じとっていた。
ハーミス伯爵達だけではなく、周囲にいた者達も、もらい泣きして一人、また一人と涙を浮かべていく。
アイザックが勇気を振り絞った甲斐はあったようだ。
「陛下、助けていただきありがとうございます」
「これくらい当然の事ではありませんか。もちろん皆さんも言いたい事があるでしょう。ですが今日は風呂に入り、食事を取って休んでください。私やアーク王家への恨み言は明日聞かせてもらいます」
アイザックも風呂に入りたいので、長話はやめて切り上げようとする。
「あの、陛下。魔法を使ってもいいでしょうか? そのほうが汚れを落とすのも早いと思いますが」
エルフの一人が魔法の使用許可を求めてくる。
(魔法で汚れを落とすか……。ちょっと見てみたいかも)
「ではまず私に試してもらいましょうか」
「わかりました。では息を止めてください」
エルフが呪文を唱えると、アイザックは水に包まれた。
その水が渦巻くように動き、アイザックの体を激しく揺さぶる。
(こ、これは!? まるで洗濯機の中に放り込まれたみたいじゃないか!)
これがどのような魔法かを、アイザックは瞬時に理解した。
三十秒ほどで魔法は終わり、アイザックの服は綺麗になっていた。
もう一人のエルフが庭に深い穴を掘っており、洗い終わった水はそこに放り込まれた。
さらに温風でアイザックの服が乾かされる。
「おおっ、これは子供が泥遊びをしてドロドロになった時、一気に全身を洗う魔法ですか?」
「さすがは陛下、たった一度でそこまでおわかりになられるとは」
「泥汚れは落ちにくいですしね。この魔法なら洗濯も簡単ですね」
アイザックが感心しているうちにも、次々に洗われていく。
「鼻の中にこびりついていた臭いまで取れている!」
「エルフの魔法がこれほどとは!」
「そもそも魔法を洗濯に使うなどなんと贅沢な!?」
魔法で洗われた者が、それぞれ感想を述べる。
しかし、中には「服が綺麗になったところで……」と心が沈み込んでいる者もいた。
家族を処刑されたらしいので、そうなるのも無理もないだろう。
(まずは彼らの心をアーク王家への復讐心で満たす事。それが一番重要だ。その上でリード王国への恨みを忘れさせられる事ができれば最上の結果になるだろう。さて、彼らの気持ちはどうなるかな?)
体を張って彼らの心に踏み込んだのだ。
その成果があってほしい。
これは必要な行動ではあったが「国王が糞尿塗れの相手に抱き着くとか気持ち悪い」と思われないかという事も心配だった。
行き過ぎた行動は悪いように取られるからだ。
だが同じ行き過ぎた行動でも、アーチボルドのものと比べれば善行に見えるはず。
体を張った行動が結果を出してくれる事をアイザックは強く願っていた。







