060 七歳 交易所
「ねぇ、あれは?」
ブリジットにつねられて頬を赤くしたアイザックが指差したのは、各商会に用意された店舗とは違う一際大きな建物だった。
「あそこは食堂です。訪れたエルフが休憩所として使うだけではなく、交易所で働く者の食堂としても使われています」
マーカスの説明でアイザックは納得する。
クロード達の村は、森に入って一時間ほど歩くらしい。
そして、この交易所はティリーヒルからも一時間ほど離れた場所にある。
人間とエルフ、どちらのためにも食事を取れる場所はあった方がいい。
そのために新設されたのだろう。
「まずはあそこに行ってみたい」
「もちろん、構いませんよ。では、ご案内致します」
マーカスは食堂の入り口へと案内する。
その道中、騎士連れの子供はどうしても目立ってしまった。
今回は以前よりも興味深そうな視線がアイザックに集まる。
王都に滞在していた者達からアイザックの話を聞いていたのだろう。
「武装した騎士を連れて何をしにきた?」という警戒した視線ではなく「おっ、何かやるのかな」というどこか期待を込めた視線で見ている。
いい迷惑である。
ティリーヒルから交易所までは街道が整備されていた。
道の左右にはゴミ箱やベンチまで置かれている。
ベンチの中の一つから、エルフの男性と話をしていた人間の男が走り寄ってきた。
「アイザック様。挨拶が遅れて申し訳ございません。到着は明日だと思っておりました」
エルフとの交流の現場での調整を任されているグレンだ。
半袖シャツとズボンという、夏場向きのラフな格好をしていた。
頭を深く下げて申し訳なさそうに謝っている。
「道が整備されたから試しに三日で移動できるか試してみたんだ。予定よりも早く着いたんだから気にしなくていいよ」
アイザックは気にするなというが、そう言われて「確かに早く来る方が悪い」と考え直せる者など稀。
少しは気休めになったが、グレンは気まずそうにしていた。
「誠に申し訳ございませんでした」
グレンはもう一度謝る。
「いいよ。それじゃあ、軽くここでの仕事がどんなものだったか教えてよ」
アイザックは仕事の話を振る事で話題を変えようとした。
グレンから「本当に申し訳ない」という気持ちが伝わっている。
失敗したと感じた時に謝るのは、自身も前世で身に覚えがある。
こういう時は、謝られる側が話題を変えてくれる方がありがたかった。
だから、アイザックは仕事の話という「上司に話さなくてはならない話題」を振って強制的に話を変えてやった。
「あっ、クロードとブリジットは友達とかいるかもしれないし、先に会いに行ってくれていいよ。僕もすぐに行くから」
「……まぁ、久し振りに会うからお言葉に甘えておこう」
「それじゃあ、あとでねー」
ブリジットは能天気に手を振っていったが、クロードはアイザックの真意に気付いていたようだ。
エルフの話をするのに、エルフ同席では気まずい。
だから「友達に会いに行ったらどうか」と言って追い払ったのだと。
もっとも、聞かれてマズイ話をこんな道端でするつもりはない。
念のために行ってもらっただけだ。
通行の邪魔になるので、道端に移動してから話し始める。
「それで、ここで働いて何か思った事とかある?」
グレンはアイザックの質問に難しい顔をして考え込んだ。
そして、考えた末に出た答えは――
「食生活以外は人間と変わりませんね」
――かつてのアイザックが抱いた印象と同じだった。
「あぁ……、うん。二百年前までは一緒に暮らしていたからね。別々に暮らすようになっても親が子供に色々と教えているから、あんまり変わるところはないみたいだね」
クロード達が猫を被っているわけでもないようだ。
エルフの多いここでも似たような印象を持つのなら、エルフ全体が人間と似たような生活様式や常識を持っているのだろう。
もっと神秘的な特徴を期待していたので、そこだけは少しガッカリだが悪い事ではない。
生活が似ているという事は、お互いを尊重し合えば共生できるという事。
ただ一緒に暮らしているだけでズレが生じ、憎しみ合う事にはならないという事だ。
もっとも「相手を尊重する」という行為は簡単そうに見えて難しい。
その点は注意する必要がある。
「私の仕事も、商会の収支を確認するのがメインとなっているくらいでして……。エルフの方々を知るために雑談できるくらい時間にも余裕があります」
「将来お父様の近くで働くグレンが、エルフの事をよく知っているのは良い事だと思うよ」
グレンの本職は秘書官。
秘書官の仕事には上司に「会う相手の情報を伝える」というものがある。
大貴族は様々な相手と会うので、名前は覚えていても、何をしている者なのか忘れてしまう事がある。
だから、前もって「〇〇様は××の領主で、閣下とは以前□□の話をしておられました」と教えて、上司をサポートするのも大事な仕事の一つだ。
エルフに詳しいというのは、グレンが秘書官に戻った時に大きな強みとなる。
空いた時間に雑談をするのは、むしろ推奨される事だった。
そして、彼がここで商会の収支を確認しているのは税金を取るためではない。
今回はその逆。
赤字があった場合に補填するためだ。
――エルフから物を買い取った支出と、エルフ相手に商品を売った収入の差額で赤字になればウェルロッド侯爵家が補填する。
これはアイザックが提案した「交流復活祭」という買取価格アップ期間のせいだ。
「エルフが買い物をしやすいように」と買取価格に色を付けさせているので、相場以上の値段で買い取って赤字になったら補填すると約束していた。
アイザックが自腹で払うつもりだったが、エルフとの友好にも関係する事なのでウェルロッド侯爵家で払う事になった。
商人達が「大赤字になった」と嘘を吐いて、過大な補填を要求してこないように帳簿のチェックするのが今のグレンの仕事の一つである。
まだ交易所の規模が小さいから、一人でもできていた。
「大きな問題が起きたとも聞いてないし、今のところは問題なさそうだね」
アイザックはマーカスの方を見る。
彼はうなずく事で”何も無かった”と答えた。
念のためにティリーヒルの衛兵が駐留しているので、大きな問題が起きていれば教えられているはずだ。
何も言われないという事は、問題が起きていないという事だろう。
「あっ、そういえば」
グレンが何か思い出したかのように呟いた。
その呟きに反応して視線が集まり、彼は「たいした事ではないかもしれませんが」と前置きして話し出した。
「エルフの年長者と若者の間で考え方の違いがあるように感じます。年長者は本で読んだ事のあるエルフという印象なのですが、若者はなんというか……俗っぽい感じがしました。大体二百歳前後で分かれているので、人間と別れて暮らし始めた事が何か関係あるのかもしれません」
「あぁ、確かに」
アイザックもなんとなく感じていた事だ。
会ったエルフの数は少ないので断定はできないが、王都に一緒に行ったエルフ達は基本的に穏やかで自然を愛する者達だった。
そんな中、若いブリジットは悪い意味で浮いていた。
先ほど植林地帯で会った男の子二人もそうだ。
「倫理観も金次第で変わる」というような子供達だった。
エルフという種族に対して持っていた幻想を打ち砕かれる感じがした。
(別れて暮らし始めて何か変化でもあったのかな?)
少し考えて、アイザックは嫌な言葉が頭に思い浮かんだ。
それを自分一人の中に押し留めておくのは嫌で、誰かに否定してほしかったので思わず口に出してしまった。
「人間という反面教師と関わらなくなったから……、とか……」
「それは……」
グレンとマーカスが眉をひそめて顔を見合わせる。
なんとも嫌な答えだった。
人間がエルフの反面教師として使われていたとは思いたくない。
だが、そう言われてしまえば、そうかもしれないとも思ってしまう。
戦争で交流が途絶えた後に生まれた若者は反面教師が居なかった。
そのせいで、若者は今の人間臭いエルフに育ってしまったのだと。
「そんなんじゃ、人間みたいになっちゃうよ」と言えなくなったせいで、教育が難しくなった。
考えたくはないが、その可能性は無いと言い切れない。
「ま、まぁ、こんな事考えてもしょうがないよね。他にも何かなかった?」
嫌な空気にした張本人が話を変えようとする。
先ほどグレンのために話を変えようとした思いやりに溢れる姿はそこにはなかった。
今は自分の責任を逃れようとする、うろたえた哀れな小物の姿がそこにあった。
「そうですねぇ……。マーカス殿やオルグレン男爵とも話していたのですが、布告を出すかどうかを迷っています」
「どんな布告?」
「今は得体の知れない相手から意外と普通に話せる相手へと印象が変わり、店で働く者達も気楽に話をしています。私も軽く雑談をするくらい、最初の緊張からは解き放たれております。そんな時だからこそ、今一度注意を喚起する必要があります。その時に『エルフの逆鱗に触れるような事があれば、そのときの事情を報告するように』という内容を付け足すかどうかを相談中です」
「なるほど。ちょっとした雑談での不用意な一言を警戒するのか」
これは人間同士でも気を付けないといけない事だ。
例えば「お前太ってるな」「お前の髪の毛薄くねぇか?」など、軽く言ったつもりでも相手を傷つけてしまう言葉がある。
人間に近いとはいっても、エルフは異種族。
どんな言葉が逆鱗に触れるかわからない。
一度口にした言葉を無かった事にはできないが、同じ失敗を繰り返さないようにする事はできる。
エルフを怒らせるような言葉を集めて“使わないように”と、一覧を作る事で予防する。
いわば、放送禁止用語集のような物を作るつもりなのだろうと思った。
「良い考えだと思うよ。なんで迷ってたの?」
「マーカス殿が賛同しかねるといった感じでした。その時の相談では『ならばティリーヒルを訪れる予定だったアイザック様の判断を待とう』という事になりましたので、判断を保留にしておりました」
「なんで反対なの?」
アイザックは首を傾げながら、マーカスに聞く。
マーカスは言い辛そうだったが、アイザックに聞かれて答えないわけにはいかない。
重い口を開いた。
「問題が起こってから対処するくらいなら、どなたか温厚なエルフの方に『エルフに言ってはならない言葉』を教わった方が確実で問題が起きないのではないかと思いましたので……」
そこで話すのをやめた。
場の空気が重くなったからだ。
その場の空気を断ち切るように口を開いたのはアイザックだった。
「なんでそれを相談していた時に言わなかったの?」
咎めるような口調ではなかったが、マーカスはまるで「それを早く言えよ」と言われているように感じてしまっていた。
実際にアイザックはそう思っていたので、彼の直感は間違っていない。
「私は今までグレーブス子爵のもとで働いていたので、エルフに関する会議の場でどこまで発言していいのか掴みかねていました。ですので、グレン殿や父上の意見を聞いて賛成するか反対するかくらい。意見を言っていいのか迷っておりました」
マーカスの言い分はもっともなものだった。
普通は自分の立場で、どの程度まで踏み込んだ内容を発言していいのか迷うものだ。
意見を求められたからといって、躊躇無く意見を言うアイザックとは違う。
あまりにも真っ当な言い分に「な、なるほど……」と、アイザックは何も言えなくなってしまっていた。
自分の無遠慮さに気付かされたからだ。
代わりにグレンが口を開く。
「では、今後は意見がある場合は遠慮なく言ってください。私達の主な相手はエルフ。人間相手に遠慮するよりも、エルフとの友好が上手くいく事を優先にして考えて行動してくださった方が皆のためになります」
「わかりました。そうさせていただきます」
叱られなかった事で、マーカスはホッとする。
それに合わせて、その場の空気も弛緩する。
そして、ベンチに座ったり立ち話をしていた、少し離れた場所にいるエルフ達も安堵する。
彼らの長い耳は飾りではない。
獲物の足音を聞き分けるために人間よりも聴力に優れている。
悪いと思いつつも、アイザック達の話を離れたところから耳を傾けて聞いていたのだ。
盗み聞きした結果、アイザック達がエルフとの友好のために本気で悩んでいるとわかった。
これはエルフにとって良い知らせだ。
その事が口コミで広まり、人間に対して隔たりのあった者達も少しずつ心を開いていくきっかけとなっていく。







