587 二十歳 侵攻計画の相談
私生活の事が一段落したところで、今度は公的な活動を始める。
今回は戦争計画について話すので、キンブル元帥の他、ウィルメンテ公爵やウォリック公爵といった武官を集めた。
アイザックには、アイザックなりの作戦計画がある。
だが、それはまだ机上の空論である。
実現に向けて、専門家の意見を聞く必要があった。
まずは第一段階「ファラガット共和国侵攻計画」についての書類を配る。
読んだ者達は、その内容にまずは驚き、多くの者が眉をひそめた。
(あれ、そんなにダメだったかな?)
拍手喝采を望んでいたわけではないが、反応が芳しくないと不安になる。
そんな不安を消し飛ばしてくれたのはウォリック公爵だった。
「ドワーフが捕らえられているという噂のウォーデン攻略を任せていただけるとは! 重要な役割ですが本当によろしいのですか?」
「国内最大規模の鉱山を持つウォリック公爵家がドワーフとの関係を深めておくほうがいいでしょう」
「ご配慮くださりありがとうございます」
彼が喜んでくれたおかげで、アイザックの不安が和らぐ。
「我が軍は国境を突破後、一直線にウォーデンに向かう。奴らに証拠を隠滅する時間を与えぬために。この作戦計画はそのためのものなのですね!」
「第一段階はその通りです」
しかし、アイザックの中で疑問が浮かび上がる。
(なんでこの人は周囲に言い聞かせるように話しているんだろう?)
ウォリック公爵はアイザックにではなく、他の出席者に説明している様子だった。
その理由が思い浮かばず、少し困惑する。
「大義の前では我慢せざるを得ないというわけですか……」
キンブル元帥がぼそりと呟く。
「なにをですか?」
アイザックが尋ねると、キンブル元帥は意外そうな表情を浮かべる。
そしてすぐに合点がいったというような顔をしてみせた。
「陛下の侵攻計画は敵との交戦を最小限にするもの。そのため実戦で采配を振るいたいと思っている者の中には、不満を持つ者が出てくるでしょう。これまでの訓練の成果を確認したいはずですので」
「あぁ、なるほど。不満そうな顔をしている者がいるのは、そういう事でしたか」
――武人として、力を試したい。
不満を表情に出している者達の本音は、それなのだろう。
リード王国は長年の間、本格的に戦争へは参加しなかった。
ファーティル王国の時はウェルロッド公爵家を中心とする文官の家が戦争を終わらせたし、内乱時もまともに戦ったのはウリッジ侯爵家と一部の騎士団のみである。
ほとんどの武官が戦う事なく戦闘が終わっていた。
そしてアイザックの戦争計画も、かつてのフォード元帥の戦争計画の焼き直しだった事もあり、不満も大きかった。
――国境付近の要塞に敵を集結させ、要塞は攻め落とさずに先へ進む。
ドワーフ救出の必要性から、進軍速度を重視するのは理解できた。
だが敵を集結させるのであれば、決戦によって正面から敵を打ち破りたいという気持ちもある。
目的達成を重視しすぎて、アイザックは戦場のロマンや武官の誇りというものを軽視している。
武官としては「勝てるにしても、この戦争計画は……」と乗り気にはなれなかった。
武官の中でも強く戦いを求めていたのは、戦争を知らない世代である。
平時は文官が活躍するが、武官の仕事はただ訓練を続けるのみだった。
その成果を発揮する機会がきた。
しかも今では将軍になり、采配を揮うチャンスが来たのだから是非とも戦ってみたいのだろう。
あとは国に貢献しているという実感がほしいのかもしれない。
(俺には武人の矜持などわからない。だけど能力を発揮するチャンスがほしいという気持ちはわかる。でもこれは譲れないんだ。なんとか説得しないと)
「腕試しをしたいと思う気持ちはわからないでもありません。ですが初戦で損害を受けるわけにはいかないのですよ。もう一つの冊子をご確認ください」
アイザックの言葉に従い、皆が冊子を確認する。
そちらには「グリッドレイ公国侵攻計画」の内容が書かれていた。
しかし、こちらも芳しい反応はなかった。
「グリッドレイ公国軍をファラガット共和国に引き込んでから本国へ攻め込む、ですか……」
――グリッドレイ公国には使者を送り、ファラガット共和国の分割統治に賛同させる。
――彼らにはファラガット共和国東部を割譲し、にらみ合いをしているフリをして、軍をファラガット共和国内に駐留させる口実を作り、軍の力で共和国内の実権を握らせる。
――そしてそれは表向きの事で、グリッドレイ公国軍がファラガット共和国の統治で手一杯になっている間に本国を攻める。
こちらも騙し討ちの類である。
決戦になったとしても相手は動揺して本来の実力は発揮できない。
武官が望む正々堂々とした決戦とはならないだろう。
やはり心が沸き立つようなものではない。
「一度くらいは決戦をしてもよろしいのではありませぬか?」
キンブル元帥が、この場に出席している者達と出席していない者達の気持ちを代弁した。
ここまで言われたら望みを叶えてやりたくもなる。
しかし、それができない理由があった。
「戦死者への見舞金が問題でしてね。予算がきついんですよ」
アイザックの返答に、キンブル元帥達は議論するのが嫌そうな表情を見せる。
――予算。
これは組織を運営する上で、どうしても避けられない問題だった。
この場に集められたのは武官ばかりとはいえ、彼らも将軍以上の立場である。
当然、予算の重要性は身に染みてよくわかっている。
――なぜなら軍部にとって最大最強の敵は財務省であったからだ。
「今回は侵略戦争とはいえ、ファラガット共和国をリード王国の一部にする目的があります。統治するなら過度の略奪はできません。恨みを持った平民に反乱を起こされて領主が殺されるような可能性はできるだけ抑えたいですからね。そうなると遭遇戦などは仕方ないですが、万単位での決戦は避けたいところです。ファーティル王国へ救援に向かった時の見舞金だけでも、かなり苦しかったですからね」
「それでは見舞金をなくせばよろしいのでは?」
将軍の一人から意見が出る。
他の将軍達は「言いたかったけど、そんな言いにくい事をよく言えたな」という目で彼を見ていた。
これまでのアイザックの言動を見ていれば、そのような意見は受け入れられないだろう。
悪い意味で目をつけられかねない。
事実、アイザックは渋い顔をしている。
だが「よく言ってくれた」と感謝もしていた。
「それはできませんね。平民出身の兵士だから使い捨てにしていいというわけではありません。一家の大黒柱を失った家庭が経済的に立ち直るまでの余裕は与えねばなりません。例えばその家庭に子供が二人いたとしましょう」
話ながら、アイザックはコップを四つ用意させた。
「子供が大きくなれば将来的に二人分の税収が増えます」
アイザックはまずは二つのコップを並べる。
「これで+2。ではもし、その子供達が国や世の中を恨み、犯罪者になったらどうか?」
先ほど並べたコップの隣に、また二つ並べる。
「その場合は-2。+2から考えると、将来的に最大4の損失が生まれます。そしてこのマイナスは被害者の数次第でもっと増えるかもしれません。それが万単位となれば、国家を揺るがす問題となるでしょう。兵士の見舞金は家族を失った事に対する同情ではありません。国家の損失を最小限にするための予防的措置なのですよ。もちろん見舞金なしでも真面目に働く大人に成長するかもしれないですし、払っても犯罪者になるかもしれません。ですが最悪の事態を想定して、やれる事はやっておきたいのです」
アイザックがコップを並べて見せたのは、+2と-2で最大4の差があるというのを見せるためだった。
こういう時は視覚を使ってみせたほうがわかりやすいからだ。
「だから死傷者の数は双方共に最低限になるような戦い方をしていただきたい。地方貴族の皆様ならおわかりいただけるでしょうか?」
アイザックは、ウォリック公爵やウィルメンテ公爵といった領主達に話を振る。
彼らは国の税金で運用されている王国軍とは違い、私兵を持っている。
自分達の財布に直結する問題のため、アイザック側に味方してくれると思ったからだ。
「確かに兵士を失うのは痛い。ですが陛下のためならば全財産、全領民を失う事になろうとも最後まで戦い続けてみせましょう!」
「いや、そこまでやられると、こちらも困るのでやめてください……」
ウォリック公爵は、アイザックの予想を超えてきた。
逆に主戦派を勢いづかせる事になりかねない意見であり、アイザックの援護とはならないものだった。
「兵を失えば新たに徴兵しなければなりません。そうすると税金を払っていた者に、税金から給与を支払わねばならなくなります。先ほど陛下が説明された事と同じく、差し引き二人分の損となるでしょう。人数にもよりますが、ウェルロッド公爵領やウォリック公爵領のように目立つ産業のない我が領では厳しい損失です。被害を少なくして勝つという方針に賛同致します」
ウィルメンテ公爵は、ウォリック公爵とは違った。
彼も「思う存分戦ってみたい」という気持ちはあったが、それを押さえて利を取った。
領内が混乱する悲哀は、以前にウォリック公爵領で見ている。
あれと同じ事になるのは御免被るところである。
「被害を最小限にして戦術的に勝つか、戦略的に勝つかの違いでしかありません。実際に軍を運用するのは武官の役目。戦略的に勝つだけでも十分に力量を発揮できたと誇れるのでは?」
彼は理性的な意見を述べた。
「自分がこうして肩を持つのも計算されていたのでは?」とアイザックに動かされているように思わないでもないが、アイザックの意見に賛同してしまう。
彼としても金銭的な問題は看過できなかったからだ。
「それに第一段階で計画されているのは、ファラガット共和国中部侵攻まで。その先はファラガット共和国政府の動きに合わせて、現地で臨機応変に対処すると書かれているではないですか。相手は徴用された農民兵かもしれませんが、決戦と呼べる規模の戦いが起きる可能性もあると思いますよ」
アイザックの侵攻計画は、ウォーデンのある北部中央から南部中央までである。
そこまでは侵攻開始から一ヶ月以内、ファラガット共和国が侵攻の衝撃から立ち直り、兵士を集めるまでの間に進めると考えていた。
しかし、そこから先は相手の出方を見てみないとわからない。
特にグリッドレイ公国の動き次第だった。
「ええ、だからこの計画のあと、ファラガット共和国がどう動くのかを予想し、どう対応していくのかなどを皆さんと話したかったのです。そもそも、この計画は実現可能なのかなども伺っておきたかったですしね。そのために集まっていただいたのですから」
キンブル元帥達は現金なもので「決戦の機会があるかもしれない」というウィルメンテ公爵の一言で目に輝きを取り戻した。
「陛下の考え方は文官寄り。武官ならばどう考えるかを我々が示そうではないか」
「元帥閣下のおっしゃる通りです。陛下のお考えも素晴らしいものですが、穴もあります。私どもでその穴を埋められるでしょう」
元帥の言葉に、武官達も賛同する。
いつまでも決戦にこだわっていては、侵攻計画は進まない。
それならば、アイザックの計画に沿う形で話を進めつつ、どこかでチャンスを作り出すべきだろうと前向きに考え始めていた。
「それと今後のために行進ではなく、行軍の訓練を中心に行ってほしい」
乗り気になった彼らに、アイザックは注文を付ける。
その注文に、キンブル元帥は戸惑った。
(行進も行軍も同じ意味だが、どういう意図で……。そうか!)
「かしこまりました。では平原の他、森林や山岳地帯での行軍、及び渡河の訓練などを中心に進めます」
「よろしく頼む」
キンブル元帥は、アイザックがなにを言いたかったのかを察する事に成功した。
アイザックは「見栄えのいいパレード向けの行進」ではなく「見栄えが悪くとも、作戦行動を速やかにこなせる行軍」を求めていたのだと。
こうした訓練の変更を求められる事により、キンブル元帥も戦争が近づいてくるのだと実感する。
(陛下はリード王国軍の威容よりも、兵士の生存を最優先で考えておられる。敵には容赦ないが、味方には慈悲深いお方だ。作戦計画も陛下の望みに沿ったものを考えねばならないな)
キンブル元帥は、なんだかんだでアイザックがエリアスの後継者であろうとしているのだと実感する。
そしてアイザックの頭の中は、どこまで考えているのだろうかと気になっていた。
(そういえば計画にも穴はあるんだよな……)
そのアイザックはというと、一段落ついたところで間の抜けた事を頭に思い浮かべていた。







