586 二十歳 代理の確保方法
教会の動きを牽制した事で、アイザックは人心地つく事ができた。
しかし、それもほんの少しである。
教会側から話が行く前に、ランカスター侯爵家と話さなければならない。
そのため、アイザックは彼らを王宮へ呼び出した。
「実は教会側から、このような申し出がありました――」
まずは教会とどのような話があったのかを説明する。
とはいえ、ナイフで脅した事は話していない。
ただ「聖女ジュディスを寵姫ではなく王妃にしてほしい」という相談を持ち込まれた事に関してのみ話す。
そして「希望するのであれば、王妃として迎えてもいい」とも伝える。
話を聞いたランカスター侯爵家の面々は目を輝かせた。
寵姫という言葉だけなら一見良さそうに思えるが、実際は愛人という言葉を言い換えただけに過ぎない。
それよりは王妃として扱われたほうがいいからだ。
教会にはあの一件以来良い印象がなかったが「今回ばかりは良い事をしてくれた」と感謝する。
「もしジュディスを王妃として迎えていただけるのであれば、私共と致しましては歓迎するところです」
ランカスター侯爵が代表して答える。
「ジュディスを政治的に利用しない」というのはアイザックが主張している事であり、ジュディスがそれを望んでいたから寵姫という立場を受け入れただけだ。
ランカスター侯爵家としては、王妃として迎えて入れてもらったほうがいいに決まっている。
渡りに船の、この話に乗らないわけがない。
彼の反応は予想の範囲内だった。
しかし予想できていたからといって、特別な対応は考えていない。
あちらが望むのなら、アイザックも仕方なく認めるしかなかった。
「それでは王妃として迎えるという方向で話を進めましょう。今は三月末なので、地方貴族が領地に帰る時期までに結婚式の準備が間に合いません。王都に貴族が集まる年末に――」
「ダメ!」
アイザックの言葉をジュディスが遮る。
滅多にない彼女の大声に驚き、その場にいた者達はビクリと体を震わせる。
そしてジュディスの母親であるローリーが一際大きく体を震わせていた。
「へ、陛下のお言葉を遮ってはなりません」
――国王の言葉を遮った。
いくら王妃か寵姫として迎えたいと言われているとしても、人前で無礼な振る舞いをすれば咎められるだろう。
むしろ「王妃にふさわしくない」と破談になってもおかしくない。
ジュディスもその事は知っているはずなのに、なぜか口を挟んでしまった。
彼女はアイザックの怒りを恐れ、怯えた目で様子を窺う。
「ダメ……、です……」
家族の反応を見て失敗したと察したのだろう。
ジュディスが恥じ入って顔を伏せる。
だがそれでも、彼女は否定する事をやめない。
よほどの理由があるのだろう。
「なにがダメなのでしょう?」
アイザックはというと、特に気にした様子はなかった。
それどころかジュディスが「ダメ」と言った理由に興味を強く持っていた。
「それは……」
「それは?」
一度話そうとしたジュディスだったが、彼女は頬を赤らめて口を閉ざした。
彼女が口を開くのを待つしかないので、しばしの間、気まずい沈黙が訪れる。
(なにがダメなんだろう……)
なかなか話し出さないジュディスの事が気になってしまう。
アイザックが感情を抑えきれずにソワソワとしそうになった頃、ようやくジュディスが口を開いた。
「早く……、一緒になりたいから……」
それだけ言って、またうつむいた。
今の一言には、アイザックも頬が紅潮するのを感じていた。
(それって、一刻も早く俺とエッチしたいって事か!)
――だがそれは違った。
ライバルだったアマンダやロレッタが先に結婚していたので、彼女は寵姫という形でも後宮に入りたかっただけである。
もちろんその先の事も考えてはいたが、それよりもライバルに置いてきぼりにされた事に焦っていた。
しかもアマンダは、すでに子供まで産んでいる。
ただ待つだけの彼女の焦燥感はかなりのものだった。
だが学生時代にあれほどアイザックにアピールしていたものの「早く後宮入りしたい」と家族の前で言うのが恥ずかしかった。
そのため言い出しづらかったのだ。
ほとんどの者が彼女が焦っているというのを正しく理解していた。
同世代はほぼ全員が結婚している中、彼女は二年も待っている。
焦るのも無理はない。
ただ一人、アイザックだけがエロと直結して考えてしまっていた。
幸いな事に、彼が頬を紅潮させた理由は周囲に察せられなかった。
「陛下も乙女の純真な思いを正面からぶつけられるのには弱いのだな」と思ってくれていた。
アイザックは一度咳払いをして間を取る。
「あー、うん。それほどまで思ってくれているのは一人の男として嬉しいと思います。ですが一度家族で話し合ってみてはいかがでしょうか? 王妃と寵姫では立場がかなり変わります。だからどうするのが今後いいのかを考えてほしいのです。もちろん、どちらを選んでも関係なく愛すると誓いましょう」
ジュディスの言葉は嬉しかったものの、アイザックは再考をうながす。
結婚は当人同士だけの気持ちではなく、家同士の繋がりも大きく関係する。
せっかく「王妃として迎える事も考えている」とアイザックから申し出てきたのだ。
これで「寵姫でいい」となれば彼女達の関係にヒビが入るかもしれない。
「十人……、ですから……、信じています……」
「いや、それはまぁ占いが当たるとは限らないので……」
子供が十人以上できるという事は、それだけ愛されているという証拠である。
だから「変わらず愛する」という点をジュディスは疑わなかった。
そして「今後の事を考えろ」というのも、自分達の事を考えての発言だという事はわかっていた。
だがそれでも、彼女は大人しく引き下がる気分にはなれなかった。
潤んだ目でアイザックをジッと見る。
「それでは、この件は持ち帰らせていただきます。前例を破るような真似はできませんからな」
ジュディスが余計な事を言い出す前に、ランカスター侯爵が動いた。
寵姫ではなく、王妃として孫娘を王家に送り込んだほうが箔が付く。
王妃として迎えてくれるならば、半年待つ価値はある。
ただし本人の気持ちが大きく影響する問題なので、一度アイザックから離して冷静になったところを説得するつもりだった。
「ええ、ご家族でゆっくり話し合ってください。王妃として迎える場合は、結婚式の用意があるのですぐには無理だという事だけ覚えておいていただきたいですね」
「重々承知しております」
よほどの事情がない限り、王家の結婚式を適当に準備するわけにはいかない。
そんな事をすれば、その王妃は軽んじられていると思われてしまう。
だから結婚式を半年後の年末にするのには納得していた。
納得していないのは、ジュディス一人である。
「それと一応言っておきますが、私は前例を守るのは大切だと思ってはいますが、必ずしも頑なに守るのが重要だとは思っていません。時には前例を作る事も重要だと考えています。ジュディスさんの希望を優先してあげてください」
「はっ」
ジュディスは納得していないようだが、自分だけではなくランカスター侯爵家のためになる話でもあるので、渋々ながらも一度帰る事を受け入れた。
アイザックとしてはどちらでもよかったのだが、一応はセス達の面子も立てておかねばならない。
この申し出はしておく必要があったからしただけで、アイザックとしては重要度が低かった。
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「寵姫ではなく王妃に」という申し出の本命はもう一人の候補、ティファニーのほうが本命だった。
いや、正確には彼女というよりはハリファックス子爵家である。
こちらもハリファックス子爵達を呼び出して事情を説明する。
「――というわけで、ランカスター侯爵家がジュディスさんを王妃として迎えてほしいという結論を出した場合、ティファニー一人を寵姫とするわけにはいきません。その場合は彼女も王妃として迎えるつもりです。その点、どうお考えでしょうか?」
「子爵家出身の王妃というのは前例がございませんが……」
そもそもルシアの時も「子爵家出身の娘が侯爵家の跡取り息子と結婚するのはどうなのか?」と物議を醸すものだった。
それが王妃ともなれば、より大きな物議を醸すだろう。
ハリファックス子爵としては、お互いのためにもあまり好ましいものではないとしか思えなかった。
無理に王妃にするよりは寵姫として可愛がられたほうがいい。
しかし「王妃が大勢いる中、一人だけ寵姫」という立場も肩身が狭いかもしれない。
これは難しい問題だった。
だがアイザックも無策ではない。
この問題の解決策を考えついていた。
「ハリファックス子爵家は伯爵家へと陞爵します」
ハリファックス子爵家だけではない。
バートン男爵家も子爵家へと陞爵する予定だった。
これでハリファックス伯爵家となれば、ルシアとティファニーの二人で、ウェルロッド侯爵家との繋がりも強固なものとなる。
アンディを軍の指揮官代理とし、補佐にダッジ伯爵やフォード伯爵を付ければ軍の指揮もできるだろう。
そうすればランドルフに国政を任せられる。
「頼れる親戚がいないのならば増やせばいいだけだ」という考えから、ハリファックス子爵家を伯爵に陞爵するつもりだった。
「で、ですがそれは周囲の反感を買うのではありませぬか? それに私と致しましても、孫を売って爵位を得たと後ろ指を指されるような事はしたくありません」
ハリファックス子爵の懸念はもっともなものだった。
――ティファニーを王妃として迎えるという話が出たあと、ハリファックス子爵家が陞爵された。
親族という事を考慮に入れても、邪推する者が跡を絶たないだろう。
それはハリファックス子爵家にとっても、ティファニーにとっても望ましくない結果である。
だからその点を指摘する。
しかし、その疑問はアイザックも想定していた。
いい答えが思いついたからこそ「寵姫ではなく王妃に」という話をランカスター侯爵家に持ちかけたのだから。
「おや、お忘れですか? ファーティル王国を編入した際に爵位のバランスを取るために有力な伯爵家を侯爵に陞爵した事を。年末にはロックウェル王国も編入されるため、さらなる調整が必要でしょう。侯爵の数だけではなく、伯爵以下の数の調整も行う予定です。ハリファックス子爵家のみではなく、内乱時に功績のあった他家と同時に陞爵すれば特別扱いという印象は薄れるので問題はないでしょう」
――堂々と話すアイザックも実は忘れていた。
ハンスに「侯爵家の長女が寵姫になった例はない」と言われて「そういえばもう伯爵家じゃないんだよな。爵位が変わると面倒だな」と思った事で、爵位のバランスに関する事を思い出したのだった。
ハリファックス子爵家が伯爵家になれば、血縁関係という事もあり、ウェルロッド侯爵家の軍を任せられる。
それにティファニーを王妃と迎える際に「爵位が低い」などと言われる事もなくなる。
彼女は即位前から結婚していたリサとは立場が違うのだ。
こうしておけば、ティファニーはルシアのように肩身の狭い思いをしなくていいだろう。
アイザックは母の経験から、そうした配慮も忘れてはいなかった。
「……ブランダー伯爵領で逃亡兵を狩らせていたのは、こういう時のためだったのですか」
あの時に部隊を任されたのはただの箔付けかと思っていたが、陞爵するための実績を積むためだった。
そう思ったハリファックス子爵は、アイザックのそつがなさに舌を巻く。
アイザックは余裕のある笑みを見せていた。
その笑みをティファニーに向ける。
「私としてはティファニー本人の意思を大切にしたいと思っている。王妃と寵姫、どちらがいいか今のところ希望は浮かんでいるかな?」
「私はどっちでもかまいません。でも……、寵姫でもいいかなとは思っています」
「王妃になれば政治的な問題に巻き込まれるからですか? それとも家の事を心配してですか?」
「それは……」
ティファニーも、ジュディスの時のように顔を真っ赤にしてうつむき、指をモジモジとさせる。
アイザックは「またか」と思ったが、自分がそう思うだけで、ティファニーには関係ない事だとわかっている。
だからなにも言わずに、ティファニーが口を開くのをジッと待っていた。
「私一人だけが寵姫のほうが一番愛されているって思えるんじゃないかと思いまして……。あぁっ、でもリサお姉ちゃんを押し退けてとかじゃなくて、いやあの、立場とか関係なく、でもえっと、愛されないより愛されたほうがいいし」
勇気を出して口を開いたものの、ティファニーはテンパってしまう。
そのせいで国王に対する言葉遣いではなく、従兄弟に対するものになってしまっていた。
彼女の狼狽振りは一目でわかる。
(あぁ、そういえば俺が婚約者から奪いたいくらい好きな相手だと思ったままだったか)
その誤解のせいで彼女もアイザックの事を意識してしまったのだろう。
でなければ、もう少し冷静な対応をできたはずだ。
その事がわかっているのでアイザックも咎めたりはしない。
むしろ彼女が冷静になれるように助け舟を出そうとする。
「ティファニー、落ち着いて。ところで確認しておきたいんだけど、学院の卒業から二年。誰か好きな人ができたり、告白されたりはしなかったかい? もし誰かいるのなら、そちらを取るという選択もあるんだよ」
アイザックからは「実はあの時話した好きな人ってパメラの事だったんだ」と、色んな意味で切り出す事はできない。
その勇気がない。
だから彼女が誤解によって「自分もアイザックの事が好きだ」と勘違いしているのならば、これが方向修正する最後のチャンスだった。
この確認をティファニーにする事によって、彼女の現在の意思をはっきりとさせたかった。
また、この事を考える事で、彼女も冷静になるだろうと考えていた。
聞かれたティファニーはテンパっていた自分を恥じながらも、一度よく考える。
だがその思考はすぐに終わった。
「誰かを好きになる事はなかったかな。……それに私を寵姫にっていう噂が流れてきたから、口説いてくる人もいなかったよ」
いくらアイザックの従姉妹とはいえ、寵姫になるという噂が流れている彼女を口説こうとする者はいなかったらしい。
彼女の目が「責任を取ってよ」と言っているように、アイザックには見えた。
「そうか……。なら王妃として迎えるかはランカスター侯爵家の反応次第ではあるけど、王妃と寵姫のどちらの立場を選ぶかは家族とよく話して決めてほしい。後悔しないようにね」
「はいっ」
ティファニーもなんだかんだでアイザックとの結婚に乗り気になってくれているようだ。
素直な返事が心地よい。
(でも妹のように思っていた相手と結婚する事になるか……。パメラの中身が昌美と知った時よりはマシだな)
特大の衝撃を受けたあとだ。
アイザックに従姉妹との結婚に対する驚きはなかった。
ただハプスブルク家のような事にはならないように気をつけようという思いだけ胸に秘める。
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ハリファックス子爵家との話が終わると、アイザックは執務室に戻る。
その時、後ろに続くノーマンを振り返った。
「ノーマン、お前にも爵位を与えないとな」
「よろしいのですか?」
ノーマンは目を丸くして驚く。
彼は他の者達と違って、目立つ働きをしていないからだ。
その事は本人もよくわかっている。
「国王の筆頭秘書官が爵位を持たぬままでは格好がつかないだろう。それにこれは、これまでの忠勤によるものだから引け目を感じる必要はない」
「ありがとうございます! これからも精一杯励みます!」
「これからも頼むぞ」
ノーマンは表に出せない裏の仕事もやってくれている。
爵位を与えるくらいはどうという事はない。
むしろ、これからも裏の仕事をやってもらうために気前よく報酬を支払うつもりだった。







