059 七歳 街道整備の成果 ティリーヒル
「自由だーーー」
アイザックが大きく伸びをする。
もちろん、頭がおかしくなったわけでも、芸人の真似をしているわけでもない。
久方ぶりのお出かけでテンションが上がっているだけだ。
八月に入ったばかりの暑い日差しが、輝かしく祝福してくれているようにすら思えた。
今回、アイザックはティリーヒルへ視察に来ている。
主に交易所がどうなっているかというのと、カカオの植林がどうなっているのかの確認だ。
ランドルフは治水工事を始め、そちらの方面に向かっている。
そのため、手分けして視察を行う事になった。
「ティリーヒルなら、アイザックも行き慣れているのでいいだろう」と考えられて視察を任されたのだ。
「お久しぶりです」
オルグレン男爵が微笑を浮かべて出迎えた。
彼はアイザックの事情を知らないので”馬車の旅が大変だったのだろう”としか思っていない。
オルグレン男爵の背後に、見覚えのない中年の男が立っていた。
アイザックがそちらを見ている事に気が付くと紹介を始める。
「こやつはマーカス。私の愚息です」
「オルグレン男爵家、クレイグの息子マーカスです。初めまして」
「ウェルロッド侯爵家、ランドルフの息子アイザックです」
アイザックは挨拶を交わしながら「モブ顔だな」と失礼な事を考えていた。
自分の挨拶が終わった後、同行しているクロードとブリジットの紹介も済ませる。
「マーカスは今までグレーブス子爵のもとで働きながら勉強をしておりました。エルフ関係で忙しくなってきたので、呼び戻したところです」
「なるほど」
アイザックは「他の貴族の下で働いていた」と言われ、今まで会った事がない理由に納得した。
貴族とはいえ、貧富の差は大きい。
マーカスは働きながら勉強していたらしいので、テーラーを治めるグレーブス子爵の側近として働いていたのだろう。
領境にあるテーラーは商業都市として発展しているのに対し、ティリーヒルは赤字覚悟の採掘技術維持のための鉱山都市。
入ってくる税金、それに比例した代官の実入りも大きく劣る以上、オルグレン男爵家は豊かとは言えない。
ティリーヒルは今まで忙しくもなく平穏だったので、息子のマーカスが他の貴族の下で働いていたのは理解できる。
アデラも同じだ。
男爵家の妻だが、アイザックの子守りとして働いている。
ルシアの知り合いで、子育ての経験のある者が他にいなかったという事もあるが、小さな村の代官を務める夫の収入では貴族としての暮らしを送るには厳しいところがある。
だから、夫と離れて領都で暮らし、アイザックの面倒を見て金を稼いでいた。
貴族というだけで、誰も彼もが裕福な暮らしをできているわけではない。
貧富の格差は貴族内でもあるのだ。
「オルグレン男爵はお変わりの無いようで何よりです」
六十前後のオルグレン男爵は、この世界の平均寿命を考えればいつ死んでもおかしくない。
しかし見る限りでは、まだまだ元気そうだった。
だが、ニコルの祖父であるテレンスのように、何かが起きていつポックリいくかわからないので安心はできない。
「いえいえ、変わりはあります。鉄鉱石の入札が終わってから、教会から寄付のお願いをされたり、親戚が急に増えたりで困惑しているところです」
オルグレン男爵は苦笑いをする。
どこの世界でも、大金が入れば似たようなものなのだろう。
アイザックもつられて同じように苦笑いをしてしまう。
人間はどこでも変わらないなと。
「それはご愁傷様です。上手く乗り切ってください」
アイザックの方にも貴族の面会が増えてきている。
教会はどうかはわからないが、多分そちらは父か祖父が対応してくれたのだろう。
元々侯爵家として寄付しているので、あぶく銭が入ったからといって取り立てに来ていないだけかもしれない。
「まぁ、こればっかりは思わぬ収入のあった事に対する代償だと思って諦めております。視察は休憩してからにされますか?」
「ううん、今から行くよ。兵士達は休ませておいてくれるかな?」
「かしこまりました」
今回、ティリーヒルに向かうに際し、一つ実験した事がある。
それは移動速度のアップだ。
お陰で、今までは四日かかっていたところを、三日で到着する事ができた。
街道が整備された事で馬車の速度を上げられたからだ。
今までの道だと速度を上げれば振動も増して、馬車の中にいる人間がシェイクされていた。
平坦な道になったお陰で振動も小さくなり、速度を上げても乗車している人間に与える影響が小さくなった。
ただ、速度を上げた分の負担が歩兵にいった。
歩きやすくなって足の負担は減ったとはいえ、速度が上がれば負担も増える。
歩きにくい道の負担は足にいくが、平坦になった道を速く歩くのは心肺への負担となる。
今までとは違う疲れ方で、兵士達は疲労困憊の様子だった。
道がキレイになっても、調子に乗って速度を上げてはいけないという事だ。
「往路では実験的に速めに移動する」と伝えて、ちょっとしたボーナスを先に払っていなければ、不満の声が出ていたかもしれない。
「では、マーカスをお付けします。しっかりご案内するように」
「わかりました」
マーカスは少し緊張している。
父親から色々と誇張して聞かされているせいだ。
ウェルロッド侯爵家の子供というだけではなく、アイザック本人に緊張していた。
「よろしくね」
だが、それもアイザックが子供らしい笑みを浮かべる事で和らいだ。
噂で聞くと、とても子供とは思えない人物だった。
噂で聞くのと実際に見てみるのとでは大違いだ。
マーカスはそのように思っていた。
「あっ、そうだ。移動速度が変われば、泊まる街の間隔も変わる。ちょうど良い場所に大規模な宿泊施設を新設する必要が出てくる可能性ありってメモに書いておいて」
アイザックはノーマンに覚え書きを残しておくように命じる。
その内容を聞いて、マーカスは「あっ、やっぱり聞いた話通り、ただの子供じゃないかもしれない」と考え直した。
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まずはカカオの植林地帯の見学に向かう。
「わぁ、凄い。もうこんなに育ってる。……って、そんなわけあるかーい!」
テンションの上がっているアイザックは、思わず一人ツッコミをしてしまった。
「いや、おかしいだろ。なんで三ヵ月やそこらでこんなに育ってるんだ!?」
前世のアイザックなら、疑問には思わなかっただろう。
だが、今世では花の世話をしている。
種から芽が出るどころか、アイザックの腹の下くらいの高さにまで成長している木に違和感を覚えた。
カカオが成長の早い木かどうかはわからないが、さすがに早すぎる気がする。
クロードも同じ事を感じたようだ。
「アンドレ、ブリュノ。ちょっとこっちに来い!」
クロードが近くにいた子供達に声をかける。
こんなところで遊んでいるとは思えないので、もしかすると今日の見回り担当者かもしれない。
呼ばれた二人の子供達が駆けてくる。
アイザックと年齢は変わらないようだが、エルフなのでかなりの年上だろう。
名前を知っているので、顔見知りなのだろうと予想される。
「クロードおじさん久し振り」
「誰、その子? もしかして、隠し子? グゲッ」
アイザックを「クロードの隠し子か」と訊ねたブリュノと呼ばれた子供の頭に、クロードの拳が落とされた。
「冗談なのにヒドイよ」
ブリュノは涙目になりながら抗議の声をあげた。
「相手が悪い。この子はアイザックだぞ。名前くらい聞いてるだろ」
「アイザック」の名前を聞き、二人は驚く。
彼らもアイザックの立場を話に聞いているのだろう。
「マジかよ! それを先に言ってよ。クロードおじさんは気が利かないなぁ」
「そんなんだから、後妻さんが見つからないんだよ」
今度は二人に怒りの鉄槌が下る。
先ほどよりも力が籠っているようだ
「いてぇ、いてぇよ。俺は気が利かないって言っただけなのに」
「誰か、ジドー・ソーダンショを呼んできてくれ」
二人は頭を抱えながら苦しみ悶える。
「大人をからかうんじゃない。まったく……。そうだ、こんな事を話すために呼んだんじゃない。木の成長が早いみたいなんだが、お前達何か知らないか?」
まだ拳をニギニギしながらクロードは問いかける。
後妻さんが見つからない事を気にしているのか。
それとも、まだ死に別れた妻を忘れていないから、奥さんネタでからかわれたのが気に入らないのかまではわからない。
だが、まだ怒っているような気配のあるクロードを見て、子供達は不満そうな表情をしたままだが素直に答える。
「みんなちょっとずつ育ちやすいように木に魔力をやってるみたいだよ」
「なんでそんな事を!? 大地に魔力を含ませるだけでいいのに」
魔法で大地の栄養を豊かにするのはいいが、木の成長を直接促すのはNG。
以前、クロードはそう語っていた。
話を聞いたクロードはかなり驚いている。
エルフとしての禁忌を破る行いをみんながしていると知ったからだ。
「知らないよ。でも、木が育てば仕事も増えるって言ってたよ」
「仕事が増えたらお金がもらえる人も増えるってさ」
二人の言葉を聞いて、クロードは合点がいったようだ。
深い溜息を吐く。
「ちょっとだけっていっても、みんながちょっとずつやり続けたら結構な量になるじゃないか」
「うん。だから今まで木の見回りしてた大人達が木の成長を見て「あっ、やべっ」みたいな顔してたよ」
アンドレの言葉にクロードは頭を抱える。
どうやら、エルフの倫理観念を金の魅力で少しだけ破ってしまったようだ。
アイザックにしてみれば「エルフを人間の経済圏に取り込める」という確信を得る事ができたので大収穫だが、クロードにしてみれば悩みでしかない。
倫理観念に囚われるから苦労するのだが、それを捨てろとは言わなかった。
誰にだって譲れない一線はある。
その一線を他人が越えさせてはわだかまりが残る。
今後も良い付き合いをしたければ、自分で一線を踏み越えてもらわなければならない。
「誰がやったかは聞かない。俺からあとでみんなに伝えておく。お前達も直接木に魔力を注ぐような事はするなよ」
「オッケーオッケー」
軽く返事するのが不安なのだろう。
クロードの表情は暗い。
アンドレとブリュノはアイザックの方を見ると、親指と人差し指をくっつけてOKサインを作る。
「エルフの倫理観は重い」
「けど、天秤に乗せるお金の重さは量次第でもっと重い」
「「報酬次第でいつでも相談に乗るよ」」
どうやら、OKサインはお金を意味するものだったらしい。
アイザックに金次第で相談に乗ると言ってきた。
クロードの前だというのに、なかなか胆が太いようだ。
「お前ら!」
これにはクロードも声を荒らげて怒る。
だが、子供達の逃げ足は速い。
今度は殴られる前に走り去ってしまった。
「まったく、最近の若い奴等は……。何を考えているんだか」
クロードが苦々しく呟く。
なんとなくアイザックはブリジットの方を見た。
「……なんでこのタイミングでこっちを見るのよ」
「いや、別に……」
アイザックは何でもないとそっぽを向くが、不愉快に思ったブリジットがアイザックの頬をつねる。
その手から逃れようと助けを求めるが、残念ながらこういう時はノーマンや騎士達は助けてくれない。
ブリジットが、なんとなく前世の妹を思い出させるので、いつもアイザックはからかってしまう。
そのせいで「いつものじゃれ合いだ」とわかっている者達は見守っているだけだ。
ただ一人、慣れていないマーカスだけがどうしようかとオロオロしていた。







