575 二十歳 来訪者の正体
少年は応接室で待たされていた。
彼が自称した立場は、近衛騎士達でも無視できるものではなかったからだ。
とはいえ、飲み物を出したりするほど歓迎する相手ではない。
なにしろ「アイザックを殺しにきた」と言ったのだ。
厳しい取り調べをしていてもおかしくない。
それをしなかったのは少年が武器を持っておらず、明らかに暗殺者に見えない姿だったからだ。
魔法使いが擬態しているという可能性もあったが、問答無用で厳しい扱いをしたいとは思えない。
護衛達は「拷問にかける前に指示を仰ごう」という判断をしていた。
その判断が正しいかは、アイザックが教えてくれるだろう。
気まずい沈黙の中、アイザックがマクシミリアンを連れてやってきた。
少年が立ち上がろうとするが、それは近衛騎士が肩を押さえつけて止めていた。
「名乗りは結構。ファーティル公、あの少年に見覚えはありますか?」
「うーむ……」
アイザックに問われたマクシミリアンは首をひねる。
少年の年頃は十歳前後。
それくらいの年齢の子供は、オフィーリアの婚約者候補として、それなりの人数と会ってきた。
しかし痩せている――いや、痩せこけているという事もあり、パッと思い浮かぶ容姿ではなかった。
「そういえば、四年前にお見かけしたような……」
少年の姿に見覚えがあったマクシミリアンの秘書官が、主君に対してヒントを与える。
王族や貴族は社交会から追放されていない限り、大勢の人間と接触を持つ。
そうなると、どうしても印象の薄い者の事は忘れてしまいがちだ。
秘書官の仕事の中には、そんな時に名前を教えるものもあった。
だが今回はアイザックの前という事もあり、思い出せそうなヒントだけ与えて、マクシミリアンに自力で思い出させて花を持たせようとしていた。
「ああ、私もそう思っていた。子供の成長は早い。当時はまだ五歳だったが、順当に成長すれば今のような容姿に育っているかもしれないな」
――四年前に会った事のある少年。
――元王太子の秘書官が「お見かけした」という相手。
そのヒントで思い出せたのだろう。
彼は少年の正体に見当を付けたようだ。
「ウィリアム・クローカー伯ではないでしょうか? どことなく先代の面影が見受けられます」
先代のクローカー伯爵は戦死したものの、ウィリアムはまだ三歳だったために、すぐに爵位の継承は行われなかった。
戦後の復興が進み、落ち着いた頃に爵位の継承を認められたのだ。
あの時、ウィリアムは五歳前後。
そこから四年経ったのなら、目の前の少年のようになるかもしれない。
他に心当たりがないため、マクシミリアンはクローカー伯爵の名前を出した。
「本人が名乗った通りです。どうやら本人と思ってよさそうですね。面通しに協力してくださってありがとうございました」
アイザックはうなずくと、テーブルを挟んで少年の正面の長椅子に座る。
――しかも、足を組んで。
これでは万が一の時に逃げる事ができない。
非常に無防備な状態である。
「陛下、正体が確認できたとはいえ、まだまだ危険です。足を降ろしてください」
「大丈夫、彼は私を殺しはしないよ」
トミーが足を降ろすように指摘したが、アイザックは聞き入れなかった。
出処不明の謎の自信を持って、安全を確信しているようだった。
「ファーティル公もお座りください。どんな話をするか気になるでしょう?」
アイザックは自分の隣をポンポンと叩く。
マクシミリアンは反応に困った。
相手が暗殺を狙っているのならば、アイザックの隣は非常に危険だ。
しかし、これまでは守られる立場だったが、これからはアイザックを守らねばならない立場でもある。
内心では嫌がっていたが、部下の手前怯えたところを見せられないので大人しく座る。
彼が隣に座ると、アイザックはクローカー伯爵に優しく微笑みかける。
「私がアイザック・ウェルロッド・エンフィールド・リードだ。君がウィリアム・クローカー伯爵だね?」
「はい、陛下。その通りでございます」
クローカー伯爵は立ち上がって挨拶をしようとしたが、まだ肩を押さえつけられたままなので立ち上がれなかった。
アイザックも肩から手を放せとは言わない。
それはまだ、彼の目的が周囲に伝わっていないからだ。
護衛の立場上、安全だと確認できるまでは安心できないだろう。
だからアイザックは、そのまま話を進めようとする。
「やれやれ、君は困った子だね」
呆れた様子のアイザックの言葉に、クローカー伯爵はビクリと体を震わせる。
失敗したかもしれないと思ったからだ。
「助けてほしいのならば、普通に助けを求めればよかったのに」
「な、なぜ!?」
クローカー伯爵は「なぜ助けを求めようとしているのがわかったんだ!」と驚いた。
まだなにも話していない。
名前を伝えてもらっただけだ。
それだけで用件を見抜いた事に「噂は本当だったんだ」と、今度は興奮で体を震わせた。
そんな彼を見て、アイザックがクスクスと笑う。
「ファーティル王国を編入するにあたり、どのような問題があるのか下調べくらいはしている。その中に、クローカー伯爵家の一件もあったんだよ。三日後、私の歓迎パーティーが開かれる。その時、君のところに迎えを出すつもりだったんだ」
アイザックは、モーガンが持ち帰った情報を元に「最初に悪党を粛清して、アイザック政権下では不正はできない」と思い知らせるつもりだった。
クローカー伯爵家の問題は、その中にリストアップされていた。
――ただし、その優先度は低いものである。
クローカー伯爵家の問題は貴族間で収まっている。
アイザックは「戦後からの復興」を理由に税金を搾り取っている者や、不当に平民をいたぶっている者を見せしめにするつもりだった。
貴族にとってお家騒動は、そこまで珍しくなかった。
そんなものを解決してもインパクトは薄い。
むしろ「余計な事をする国王だ」と思われたりするかもしれない危険もあったので、後回しにしても問題はないと考えていた問題だった。
――しかし、その優先順位が大きく変わる出来事が起きた。
それはアルバコア子爵が多くの祝いの品を持ってきた事だ。
あの頃はファーティル王国貴族に大きな衝撃を与えられそうな案件を中心に検討していた。
だからアイザックは、彼の事を気にはしていなかった。
しかしアルバコア子爵の「クローカー伯爵家の私財を使った」という発言から言動を怪しみ、詳しく調べたところ「あの野郎! 俺の事を賄賂を渡せばなにしても黙認する人間だと見くびっていやがったのか!」とアイザックは怒った。
アルバコア子爵の付け届けは、まったくの逆効果になってしまっていたのだ。
「どういう事なのでしょうか? 状況の説明を願います」
状況を知らぬマクシミリアンが説明を求める。
「アルバコア子爵が後見人という立場を悪用してクローカー伯爵家を乗っ取ろうとしています。こちらに来る前に、自分の息子をクローカー伯の養子として認めてほしいという申請書を出していきましたよ」
「それは珍しい事ではないのではありませんか?」
クローカー伯爵家の現当主は十歳にも満たない子供。
当然、子供もいない。
万が一の事があってはクローカー伯爵家が途絶えてしまうので、養子を取る事自体は珍しくはない。
「それにクローカー伯の父親は戦死したものの、母親は存命だったはず。家督を甥に渡すような事は認め――」
話している途中、マクシミリアンはクローカー伯爵家のとある事情を思い出す。
「そういえばクローカー伯の両親は恋愛結婚だったが、実際はかなり強引に求婚したという噂もあった。もしそれが事実で、血を引くクローカー伯に恨みをぶつけようとしているのならあり得る……のか?」
「僕は母上に嫌われています。『あなたが生まれてこなければ』と何度言われた事か……」
クローカー伯爵がうつむく。
マクシミリアンは気まずそうに顔をしかめていた。
だがまだ聞いておけねばならない事があるので、口を閉じる事はなかった。
「しかし、それならば普通に名乗ってから助けを求めればよかったのでは? 冗談でも陛下を殺める意思を見せるのは許せぬ行為です」
これは聞いておかねばならない事だった。
子供といえども当主である。
場合によっては家ごと処罰を与えねばならない大問題だ。
その疑問に答えたのはクローカー伯爵ではなく、アイザックだった。
彼にはクローカー伯爵が、そのような行動を取った理由を察していた。
「それはそうする事で私と会えると思ったのでしょう。アルバコア子爵に説得されているかもしれないので、門前払いにされるのを警戒したはずです。私に興味を持ってもらい、会える可能性が高い方法だと思って実行したのでしょう。ファーティル地方を編入したばかりだという事を考えれば、いきなり子供を処刑するわけにはいきませんから」
いくら「アイザックを殺す」と言ったとしても、相手はなんの力も持っていなさそうな子供である。
そんな子供を編入から間もない時期に処刑してしまえば、ファーティル地方の人々はアイザックの治世に不安を感じるだろう。
だから警備に就いている者が暴力的な方法で追い払うのもためらわれる状況だ。
しかし無視もできないので、上役に相談するはず。
そこからアイザックの耳に入れば、クローカー伯爵の勝利というところだった。
「助けを求めにきたはずなのに、その相手を困らせるような真似をするなんて君は本当に悪い子だ」
アイザックが「めっ」と叱る仕草をすると、クローカー伯爵はばつが悪そうにしていた。







