524 十八歳 見学の危険性
軽く今後の打ち合わせを済ませると、アイザック達は王宮に戻った。
緊張から解き放たれたウィルメンテ侯爵が大きく息を吐く。
「ドラゴンとは恐ろしいものですな。遠目に見るだけでも恐ろしく、近くに立つだけで死神の足音が聞こえるようだった」
「ウィルメンテ侯ともあろう者が情けない。私は、エンフィールド公を守るつもりだったぞ」
ウォリック侯爵が背負った長剣の柄をポンポンと叩く。
ウィルメンテ侯爵は、情けないと言われた事よりも、その剣の方に注目した。
「もしや、それは家宝の魔剣か?」
「そうだ。アマンダの花嫁姿を見るまで、エンフィールド公に死なれては困るからな。例えドラゴンであろうとも、危害を加える様子があれば討つつもりだったのだ」
(魔剣は魔力を籠めねば効果を発揮しないのではなかったか?)
ウィルメンテ侯爵は、普通の剣にしか見えない魔剣を見て疑問に思ったが言葉にはしなかった。
アイザックの前で「魔力を籠めねば、ただの剣だぞ」と指摘して、ウォリック侯爵の機嫌を損ねる必要などない。
関係を改善するのに必要なのは協力する事ばかりではない。
足を引っ張らない事もまた重要な事なのだから。
「ウォリック侯爵家には貴重な魔剣があるという話は伺っていましたが、その大剣がそうだったのですか。立派なものですね」
「そうでしょう! エンフィールド公をお守りするために持ち出したのです! エンフィールド公のお命は、魔剣よりも重いですからな!」
アイザックがお世辞で剣を褒めると、ウォリック侯爵は興奮しながら食いついてきた。
愛想笑いを浮かべながら「ありがとう」と感謝を伝える。
(ドラゴンの前に行ったのに、いつもと変わらないのは凄いとは思うけど……)
感謝と同時に、この状況でも変わらない彼に引いてもいた。
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ヘクター達にもう安全だと伝え、会合は解散となった。
アイザックも必要な指示を出したあと帰宅する。
「ただいまー。今日は色々と大変な事があったよ」
パメラとリサに、ただいまのキスをしながら話しかける。
「ドラゴンの事でしょうか?」
「あれ、知ってたの?」
「ここからも見えていましたから。それに王宮の南側にドラゴンがいるという噂も流れています」
ウェルロッド侯爵家の屋敷からは王宮が見える。
ドラゴンが降りてきた時、外を見ていれば見えたかもしれない。
(そもそも、あれほど大きなものが上空を旋回していれば嫌でも目立つか)
土産話の出鼻をくじかれてしまった。
だが、他にも話す事はたくさんある。
「その辺りの事も聞いてほしいな。今日一日で色々あったからね」
「楽しみにしています」
アイザック達は食堂に向かう。
最初に話題に挙がったのは、やはりドラゴンに関してだった。
「あの時のドラゴンがきたの? なかなか強欲な奴ね」
ブリジットが呆れる。
「ドラゴンくらい強ければ、世の中のものすべてが自分のものだと思っていても仕方ないさ。建物を壊して、自分勝手に奪い回らないだけありがたいと思わないと」
クロードは「ドラゴンだから仕方ない」と諦めているようだった。
それだけ圧倒的な存在だという事だ。
「確かにその通りですね。もし話が通じないドラゴンだったら、この屋敷も危なかった。アイザックが平和裏に物品を手に入れられる方法を教えていたおかげでしょう」
ランドルフは「一歩間違えれば大惨事だった」と顔をしかめながら語る。
家族の危機だったのだ。
それにドラゴンがまだ王都にいる以上、楽観はできないと考えていた。
「でも、一度くらいは近くで見て見たいですわ。だって、ドラゴンなのですよ。お話の中でしか聞いた事のないドラゴン! しかも暴れないのであれば見てみたいです」
「私も見たいです」
珍しくパメラが興奮している。
よほどドラゴンを見てみたいのだろう。
彼女につられて、ケンドラまでも見たいと言い出した。
これにはアイザック達も困る。
「遠目にちょっと見る分にはいいんだろうけど……。セレクションを近くで見るのはやめたほうがいいかもね」
「やはり危険だからですか?」
「毎年のように来られては困るから、商会には『一級品ではあっても最高級品ではないものを持ってくるように』と命じている。ノイアイゼンには負担を強いる事になるだろうけど、あちらで開いているセレクションに人間が参加するという形にしようと思っているんだ」
「なるほど……。気に入る品物がなかったドラゴンが怒り狂うのを恐れているというわけですね?」
「そうだ。だから見学するにしても、すぐに逃げられる場所でいてほしい。できれば、見学はしてほしくないけど……」
普段のパメラならば、逃げられる場所であれば快く許可を出しただろう。
だが、今は妊娠中である。
逃げるにしても軽やかにとはいかないはずだ。
もし逃げる途中で転んだりしたら大変だ。
子供も心配だが、流産が原因で母親も死ぬという話を、アイザックはどこかで聞いた覚えがある。
一度に二人を失うような危険は避けてほしかった。
「少なくとも、パメラは避けるべきだ」
興味を持っているパメラに強く「来るな」と言えなかったアイザックに代わり、モーガンが動いた。
「ドラゴンの近くに立つだけでも気を失いそうになる。私でも『挨拶をしようだなんて理不尽な事を言い出したアイザックを殴りたい』と、八つ当たりで恐怖を誤魔化そうと思うくらい恐ろしい相手だ。若い娘、特に妊婦では影響が大きいだろう。広場には近づかないほうがいい。それに万が一を考え、ウェルロッドとウィンザーの血を残せるように、王都の外へ避難しておいてほしいところだな」
彼はウェルロッド侯爵家の当主として、血の存続の重要性に触れる。
特にパメラは、ウェルロッド侯爵家とウィンザー侯爵家の血を存続させられる貴重な存在である。
ドラゴンを見に行くなどという危険な行為を、簡単には認められなかった。
「そうですよね。自重するべきでした。申し訳ございません」
パメラが謝る。
その姿を見て、アイザックは可哀想に思った。
(パメラは子供の頃から家族に行動を制限されていた。ちょっとくらい羽根を伸ばさせてあげてもいいんじゃないか?)
アイザックは子供にしては自由に行動していた。
だが、彼女は違う。
エルフの村に出かけたり、ドワーフの国へ出かけたりしていたわけではない。
この国から出た事すらないのだ。
――少しくらいは見学させてあげてもいいのではないか?
「ダメだ」と言われて、大人しく従う彼女の姿を見て、アイザックはそう感じた。
「……一か所に集まらねばいいのではありませんか? ケンドラがお婆様と母上と。パメラはリサと一緒にといったように、離れた場所から見物すればいいでしょう。もちろん広場の中ではなく、少し離れた建物の中からという事になるでしょうけど」
「一度に一家全滅という事はなさそうだが……。しかし、遠目になら見ておきたいという気持ちはわからんでもないが……。うーん……」
モーガンは悩む。
これは即答できるような問題ではない。
できれば、家族には無理をしてほしくなかった。
とはいえ、ドラゴンを一度は見ておきたいという気持ちもよくわかる。
彼自身、初めて見た時は新鮮な感動を覚えていたからだ。
もっとも、近くで見るのは嫌だったが。
「適度な距離があって、広場の様子を確認できる建物があれば認めてもよかろう。あとで使えそうな場所があるか調べさせよう。ただし、なければ諦めてもらう」
「ありがとうございます」
パメラが笑顔を見せた。
それだけで、アイザックは報われた気がした。
「でも気を付けないといけないよ。初めて見た時は、近くにいるだけで死んだと覚悟したくらい恐ろしい相手だ。武器を持っていて怖いとかじゃない。本能的に死を予感する相手だからね」
「大丈夫。パメラとリサには私がついていくから、何かあっても怪我くらい治すわよ」
ブリジットが、パメラの事は任せろと言う。
確かにエルフがついていてくれるのはありがたいが、エルフでもどうにもできない事はある。
「それは頼もしいですが、ドラゴンが暴れたら、怪我を直す以前に死んじゃいますよ。気分が悪くなった時に治していただいたり、逃げるのを優先していただきたいですね」
「任せてよ。ちゃんと見ててあげるから」
「じゃあ、リサ。悪いけど二人をよろしく」
胸を張るブリジットに微笑みながら、リサに面倒を見てくれと頼む。
「そこは私でしょう!」
「そこはほら、日頃の信頼というわけで」
「なによそれ!」
不機嫌になるブリジットだったが、アイザックは余裕の態度で彼女の不満を受け止める。
他の者達も「とめたほうがいいのか?」と思うが、そうはしなかった。
こうした他愛のないやりとりも、ドラゴンと会ったあとの緊張をほぐすにはいいだろうと思ったからだ。
だが、明日の結果次第では、こうして話す事ができなくなるかもしれない。
「本当に、こうしていていいのだろうか?」と、不安に感じる者の方が多かった。







