499 十八歳 アイザックが待ち望んでいた男
「ならば、言わせていただこう!」
(きたっ! きたよっ!)
アイザックが待ち望んでいた人物。
――ウォリック侯爵が行動に出る。
周囲の注目を集めながら、彼はアイザックの隣に立ち、貴族達を見回した。
「ウォリック侯爵家の公式見解を述べよう。当代のウィルメンテ侯には個人的な恨みはない。しかし、先代のウィルメンテ侯には大きな恨みがある!」
聞いていた者達は「おいおい、こんな場所でとんでもない事を言い出したぞ」と、腰を抜かしそうになっていた。
ウォリック侯爵が言おうとしている事は、すべて聞くまでもない。
――ウィルメンテ侯爵の国王即位に反対する。
その決意表明だろう。
しかし、国外から候補者を選ぶにしても時間がかかる。
手っ取り早く国王を選ぶのならば、ウィルメンテ侯爵が最適である。
それに継承権の順位を考えても、やはり彼が選ばれるべきだった。
だが、個人的な恨みは別にしても、ウィルメンテ侯爵を選べない・選びたくないという理由もわかる。
とはいえ、普通は言葉を濁して反対の意思表示をする場面である。
ウォリック侯爵の行動は、やはり奇異なものにしか見えなかった。
「あの、ウォリック侯――」
「――エンフィールド公には黙っていただきたい!」
アイザックが制止しようとするが、それをウォリック侯爵は言葉を被せて遮る。
「これは次期国王を選定するにあたり、必要な発言なのです。それを遮るのは、我らに任せるという言葉に反するのではありませんか?」
「……確かにその通りです」
アイザックは大人しく引き下がる。
だが、これは芝居だ。
一度、止めようとする事で「実はウィルメンテ侯爵を推そうとしていたのだな」と、周囲に思わせるためである。
こうしておくことで、このあとウォリック侯爵が言おうとしている事を受け入れやすくするためだった。
アイザックが引き下がったのを確認して、ウォリック侯爵は話を進める。
「ウォリック侯爵家は窮地に追い込まれた。共倒れを恐れて、距離を置こうとするのも無理はない。だが、アマンダとフレッドの婚約を一方的に破棄した事は許し難い! あれがなければ、もっと楽に領地を立て直す事ができたはずだ! ウィルメンテ侯爵家に見捨てられたと商人に思われたせいで、我らは更なる苦境に立たされたのだ!」
ウォリック侯爵家傘下の貴族から「そうだ、そうだ」という声が上がる。
彼らには、公然とウィルメンテ侯爵を非難するだけの恨みがあった。
もちろん、これはウォリック侯爵の仕込みではあるが、彼らの本心でもあった。
「先代ウィルメンテ侯が亡くなったからといって、簡単にこの恨みが晴れるものではない! 我らはウィルメンテ侯の下に付くつもりはない! もしもウィルメンテ侯が王位に就くような事があれば、ウォリック侯爵家は袂を分かつ覚悟であると宣言する!」
「なっ!?」
この宣言には、アイザックを含めて全員が驚いた。
あまりにも過激で攻撃的な宣言である。
(このあとの関係、大丈夫? そこまで言って、あとで仲直りできるのか?)
アイザックも、つい心配してしまうほどである。
ウォリック侯爵が行動するだろうというのはわかっていた。
しかし、いくらなんでも、このタイミングでこのような宣言をするというのは完全な計算外だった。
アイザックは本気の驚きを見せる。
だが、トミーとジュリアの実家の事を考えれば、無理もない事だとも思う。
彼らは百年以上前の事を原因に、ずっと反目を続けていた。
貴族にとっては、家の恨みは忘れられないものである。
苦渋を舐めた本人であるウォリック侯爵の恨みは、トミーの親達とは比べものにならないほど強いはずだ。
こういう無茶な行動に出るのも、理解してやらねばならないのかもしれない。
「国外の王族ならば認めるというのか?」
さすがに、この状況で黙っていられなかったウィンザー侯爵が口を挟む。
「国外の王族も反対です! 皆も覚えているだろう! 王立学院に入るまで、ジェイソンがどのように言われていたのかを!」
ウォリック侯爵は、ウィンザー侯爵の質問すら一言で切り捨てたあと、全員に問いかける。
必死に思い起こさねばならぬほど、昔の事ではないのだ。
皆が、すぐさまジェイソンの事を思い出す。
――入学前のジェイソンは、聡明な王太子と言われていた。
王位を簒奪するような愚か者という話は、軽い冗談でも聞いた事がない。
立派な王になるだろうという話しか聞かなかった。
あのような愚物だとは、誰も想像していなかったのである。
前評判が良い者でも、ジェイソンのようになる可能性は十分にあった。
貴族達も、よく知らぬ者を呼び寄せる不安に気付いた。
「ならば、誰を王にしようというのだ? まさか、自分が王になるなどとは言わぬだろうな?」
ウィンザー侯爵の質問に、ウォリック侯爵は待ってましたと笑みを浮かべる。
そして、アイザックの肩に手を置いた。
「ここにいるではないですか。実力と信望があり、厳しさの中にも優しさがある。我らの王にふさわしいお方が」
「いや、ちょっと、ウォリック侯!?」
(それはない。それはないよ!)
これにはアイザックも焦る。
確かに、ウォリック侯爵が動くだろうという事はわかっていた。
しかし、それは彼が優秀な人物だと思ったからだ。
ここまで雑なやり方で推薦してくるとは思っていなかった。
アイザックの本気の焦りを見て「これは予想外の動きだったのか?」と思ったモーガンが動く。
「ウォリック侯、エンフィールド公には王位に就く正統性がない。私も祖父として、孫を王に推したいと高く評価してくれているのはありがたいと思うが、それでは国が乱れる元凶となろう。個人的な感情で動くべき時と場合ではないのだぞ?」
「ふざけている時ではない」と、モーガンはウォリック侯爵を止めようとする。
だが、ウォリック侯爵も馬鹿ではない。
仮にも侯爵という地位にある者が、裏付けのない行動を取るはずがなかった。
「それは正当な理由があれば認める。そう受け取ってもいいのですな」
「あるのならば」
「では、お見せしよう。扉を開けよ! 部屋の外で待っている者を中に入れるのだ」
ウォリック侯爵が、扉の脇に控えていた兵士に命じる。
扉が開かれると、そこには――
(誰っ!?)
――見知らぬ男が二人、立っていた。
「むっ」
唯一、クーパー伯爵だけが反応する。
彼らに見覚えがあるのかもしれない。
「例の本を持ってこい」
ウォリック侯爵が指示を出すと、男達は部屋の隅を通って、アイザック達のもとへやってきた。
重要な書物を急いで運ばなくてはいけなかったが、さすがに貴族が居並ぶ中、中央を通ってくる度胸はなかったらしい。
貴族であったり、重要な職に就いているものであれば、自分の顔を売るチャンスとして、堂々と皆の視線を集めていたはずだ。
その事から、あまり重要な役職には就いていない役人なのだろうという事がわかる。
「彼らは、いったい何者なのですか?」
「法務省の役人です」
アイザックはウォリック侯爵に尋ねたのだが、その疑問にはクーパー伯爵が答えた。
しかし、なんのためにやってきたのかまではわからない様子である。
「皆も疑問に思っているだろう。彼らは法務省の役人だ。私はある事実に気付いたので、彼らに確認を依頼していたのだ。さぁ、公爵位に関する記述に、王位継承権を認めないという記述はあったか?」
(なんだ、気付いていてくれたのか)
ウォリック侯爵がノリで動いているわけではなかったとわかり、アイザックは胸を撫で下ろす。
だが、表面上は「何が起きているんだ!?」と、戸惑った姿を見せていた。
「公爵家が断絶となった十年後、公爵位は子に受け継がれない一代限りの爵位として復活いたしました。その時に編纂された法令集には『公爵としての権利は以前と同じままではあるが、王族に対する罪に関しては今後減刑したり、免除したりはしない』と書かれておりました」
一人が書物を開き、該当箇所をアイザック達に見えるように掲げる。
「それ以後の法令集には、公爵位に関する追記がございましたが『領地を与えない代わりに、物価に応じた貴族年金を支給する』と追記されている程度です。王位継承権に関する内容は、現代の法令集に至るまで調べましたが、どこにも書かれてはおりませんでした」
彼らの発表に、会場がどよめく。
まさかの事態に、誰もが「アイザックが王になる可能性」について、近くにいる者と語り始めていた。
この内容は、アイザックが公表を待ち望んでいたものだった。
(やっぱり気付いていたか……。信じていたよ、あんたならやってくれるって)
アイザックは、ウォリック侯爵がこの情報にたどり着くと信じていた。
彼はパメラと結婚したアイザックに、隙あらばアマンダを娶らせようという男である。
しかし、先ほどアイザックが言ったように、問題となるのは「公爵ではあるものの、実質的に侯爵家の跡取り」という立場である。
同格の侯爵家から二人も妻を娶れば、それは大きな混乱の元となる。
――では、アイザックが侯爵を越える存在になればどうか?
ウォリック侯爵は混乱した領地を受け継ぎながらも、根気よく領内の混乱を収めた男だ。
アイザックならば、足元を見て暴利を貪る商人を見せしめに何人か殺していたかもしれない。
だが、ウォリック侯爵はそれをしなかった。
時間をかけながらも、見事解決した。
一定以上の実力と根気強さを兼ね備えているに違いない。
だからこそ、アイザックは信頼したのだ。
――良く言えば、根気強く粘り強い。
――悪く言えば、粘着質なストーカー気質。
――そんな彼ならば、アマンダを嫁がせるためにあらゆる方法を模索するだろうと。
付け入る隙があるとすれば、アイザックが公爵位を授かっているというところだ。
だから真っ先に公爵位に関する事を調べているはずだった。
調べた当時は無駄だったと思っただろうが、今は違う。
今はアイザックが王になれるかもしれないという最大のチャンスである。
王族が全滅したと聞いて、法的な根拠を調べさせるはずだった。
エリアスに恨みがあり、悲しむ事のなかった彼だからこそ、気を回す余裕があるとアイザックは見抜いていた。
「あの――」
「先ほども申し上げたように、これは王位継承に関わる話です。それとも、エンフィールド公は口出ししないと言っておきながら、すぐさま前言を撤回されるのですか? 公爵ともあろうお方が?」
ウォリック侯爵は、アイザックの隙を突けたので喜んでいた。
満面の笑みを浮かべたいのだろうが、さすがに彼でも場をわきまえているからか、頬をヒクヒクとさせるだけで我慢していた。
「アイザックを出し抜いた」と喜んでいるのがわかった。
しかし、アイザックもこうなる事を期待して、あえて口出ししないと公言し、主導権を手放したのだ。
望み通りに踊ってくれているので、アイザックも悪い気はしない。
「……先ほど言ったように賛成も反対もしませんが、質問くらいはよろしいでしょうか。今まで公爵位を賜った方々は数多くおられます。ですが王位の継承で、問題になったと聞いた事がありません。勘違いではないのですか?」
「それでは、元法務大臣の宰相閣下にお聞きいたしましょう。宰相閣下。法律上、エンフィールド公が王位を継承する障害はないのではありませんか?」
「いや、それは即答しかねる。少しお待ちいただきたい」
クーパー伯爵も、次の王を決める重要な判断になるとわかっていた。
役人が持ってきた法令集をよく読み、見落としがないように内容をしっかりと確認する。
謁見の間に集まっていた貴族達は息を呑む。
唾をゴクリと飲み込む音さえも、周囲に聞こえるのではないかという静けさが訪れた。
クーパー伯爵が調べた結果――
「公爵位の王位継承権を今後は認めない、という内容の記述はどこにもありません。書いていないという事は、家が取り潰される前の公爵位の権利を保持したままだという解釈ができます」
――法的な根拠ができてしまった。
今度はウォリック侯爵も我慢できずに、遠めにもハッキリとわかる笑みを見せる。
「おそらく、功臣へ与える栄誉としてしか考えられていなかったのでしょうな。それならばまず、王位簒奪を企むような不届き者には与えられないでしょうし、王族が全滅するという事態にもならなかったので、問題にはならなかったのだと思われます。私も公爵位の王位継承権に関しては、ウォリック侯に言われるまで気にしておりませんでした」
これはクーパー伯爵だけが見落としていたというわけではない。
歴代の法務大臣もそうであるし、そもそも公爵位を復活させた時に省いておくべき権利である。
長年、公爵位は功臣に与えられる栄誉でしかないという思い込みがあったため、クーパー伯爵も今までの大臣同様に疑いもしなかっただけだ。
慣例と化してしまっていたため、疑う余地がなかったせいである。
「そう、今までは問題にならなかった。なぜなら公爵位を賜る貴族は、基本的に一線を退いた高齢者だからだ。この中で公爵位を賜っていてもおかしくないのは、長年宰相を務めあげたウィンザー侯くらいだろう」
ウォリック侯爵は、クーパー伯爵が気付かなかったのも無理はないと、今まで問題にならなかった理由を話し始める。
「エリアス陛下が崩御された時、次はウィンザー侯にとなるだろうか? なるはずがない。なぜならウィンザー侯は、エリアス陛下よりも高齢だからだ。ジェイソンのように若い王子がいれば、そちらが継ぐのが当然。こう言ってはなんだが、王位に就いた翌年には亡くなってしまいそうな高齢者に王位を継がせる必要があるだろうか? 今まで公爵位を賜った者が王位に就くという話が忘れ去られていたのは、そのためだろう」
「翌年には死んでそうな老人」と言われたウィンザー侯爵は、ムッとした表情を見せる。
だが、ウォリック侯爵の話している内容にケチは付けなかった。
この流れは悪くない。
もしかすると、パメラが王妃という立場に返り咲く事ができるかもしれない流れだからだ。
(そうか、ウォリック侯爵の協力を取り付けたというのは、この事か。アマンダは気立ての良い娘だと聞いている。可愛らしく、気立てのいい娘を嫁にしてくれと懇願されても断り続けたのは、この時のためだったのか)
ウィンザー侯爵は、アイザックが本当に昔から計画を立てていたのだと感服する。
ウォリック侯爵家との縁談が進んでいれば、これまでの言葉は婿を王にしようとする野心家の言葉でしかない。
だが、アマンダとの縁談は進んでいない。
これならば「娘を嫁がせる理由作りのために、どれだけ必死になってるんだ」と思われるだけである。
アイザックとの関係を疑われる事はない。
そうなると「王になってからアマンダを娶る」という約束が裏で交わされているかもしれない。
ウィンザー侯爵は、その可能性にも気付いた。
しかし、パメラを第一夫人にしたままならば構わないと考え、事態を静観する事にした。
「賢王と呼ばれていたエリアス陛下ならば、この事をわかっていたはずだ! エンフィールド公に公爵位を授けたのは、王位継承権を与えてもいいと思う相手だったからだ! 年齢を考えれば、国を譲ってもいいと思っていただろう! つまり、エンフィールド公の存在自体がエリアス陛下の遺言とも取れるのではないだろうか! 私はエリアス陛下の遺志を継ぎ、エンフィールド公を次期国王にするべきだと考えている! どうだ!」
ウォリック侯爵が、エリアスを嫌っていたのは周知の事実である。
その彼が、エリアスの遺志を継ぐと言っている事に、誰もが苦笑を禁じえなかった。
とはいえ悪くはない提案である。
ウィルメンテ侯爵では、本人の実力とは関係ないところで問題が起きるだろう。
だが、アイザックなら自分で解決できる。
それに、すでに反ジェイソンの下で、アイザックを中心に結束した実績もある。
素早く反ジェイソン派をまとめ上げた手腕は、他の誰にもできない事だった。
結果的にエリアスは救い出せなかったが、それは認めねばならない。
貴族達の心は、アイザックに傾き始めていた。
しかし正統性があるとはいえ、積極的に応援するには、もう一歩というところだった。
誰かが積極的にウォリック侯爵の意見に賛同すれば、他の者達も追従するだろう。
最も動きそうなモーガンやウィンザー侯爵は、なぜか沈黙している。
そのせいで、誰もが有力者が動くまで様子を見るという状況になっていた。







